Thursday, December 10, 2009

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第四章 トラフック・モメントとは何か?

 私たちは個というものを考える時明らかに私と結び付けたがる。しかし個において私は公との相関においてのみ重要である。何故なら公において個を晒す時必然的に私が浮上するからである。しかし自という意識が私と共にあるとすると、それは他ということを私と公としてではない形で考えることを促す。公とは集団であり、個とはその一員であるという意識である。しかし案外私たちはそれをまず基本として叩き込まれ、然る後一人になった時に自を意識するのかも知れない。私とは公に対する個ということの性格を他から植えつけられている部分と自でしか理解出来ない部分との相克において顕在化しているとも言えよう。
 さて私にとって他者全員は、自にとっての他一般という形で何らかの形で公あるいは集団に属していると考えられるし、感じられるが(勿論例外もあるだろうが概ねという意味で)、しかしその他とは常に特定の自による関心対象である。その関心対象に対して私たちは自としても私としても固有の興味とかもっと知りたいという欲望を抱くが、常にその関心対象にのみ釘付けになっているわけではなく、刻々とその関心対象を移行させている。それは食べて歩いてパソコンでワードを打ち込んで、眠くなり睡眠を取り、散歩をし、風呂に入り、再びパソコンの前に向かうという行為の切り替えにおいても、関心対象の移行においても、実際に会う他者の顔ぶれに対しても、仕事のルティンにおける順番とか手順においても、常に切り替えをすることを誘引する動因と言う者がある。ある行為に赴くこと、ある行為を中断すること、それら全ては知覚自体がある対象にのみ注視していることが出来ないある種の辟易というものもあるし、移り気ということもある。それらは概して気分や衝動の問題である。
 しかしそれらを我々はあまり見てこなかったと言える。あるいは見ること避けてきたとも言える。それを私は関心対象、実際の行為に切り替え、中断、再開、変更の全てをトラフィック・モメントと呼ぶのである。これは端的に知覚と行為への動因である。
 我々は生において一度たりとも同じ状況での同じ知覚も行為もすることはない。常にその時々で一回限りのことである。
 私はある部分では自において成立する他、他において成立する自において、他に自以外の全て、つまり私で出来ること以外の全てを委ねておこう、そうすることで、その領域においては自は他に対して偶像崇拝する(前章でも述べた)、そして自においては他から一定の偶像崇拝された部分を担うという意識こそが、トラフィック・モメント足り得るのではないかと考えているのである。実はその中にこそ意図も、感情も、知覚も、自由意志も、意識も、クオリアも、記憶も介在したり、発生したり、持ち出されたりするのではないかと考えているのである。
 動因があるから記憶や感情があるのか、それとも記憶や感情があるから動因があるのかということは決着がつかない問題だろう。第一それは常に双方が双方の因果である。
 往来の契機(トラフィック・モメント)こそが往来を促し、往来が新たな往来の契機を形作ると言える。それは男女があるから愛の睦言があり、セックスがあり、愛の睦言をしたい気持ちがあり、セックスする欲望があるから男女があるとも言える。男女という差異が仮に私たちになくても尚、何かそれに代わる自と他の相関における動因は存在したであろうと我々は想定出来る。愛の睦言も男女の関係ではなければそれなりにあるし、自と他との間の羞恥とその温存、払拭全てに対する構えにおいてあると言えよう。それは第一章の図式における次の部分が該当する。

 行為への意識が自・行為を振舞いとして意識させる

ここに自は自らの羞恥を知る。羞恥は行為への意識によって創出され、ア・プリオリに付与されたものとされる

 偶像崇拝的逃避もある種の行為への動因である。何故なら他は他である立場とかある態度とかがあるということであり、自はそれとは別の意味で立場や態度があるということだからだ。しかし自においては私においてよりも立場や態度は希薄かも知れない。つまりそこにこそ哲学で自己と他者という概念を考える余地があると言える。
 偶像崇拝的逃避とはある部分では完全に他に対する関心を払拭する意味合いがある。不干渉であり無関心であり自自体への意識の集中へと切り替え、それに集中させるために他一切に自において行為不可能なことを委ねるという意識を持つ。あるいは自への集中においてそれを必然的に結果させる。
 つまりトラフィック・モメントにおける重要な動因の一つとして偶像崇拝的逃避というものを考えることが出来る。
 また偶像崇拝的逃避とはトラフィック・モメント成立に寄与する記述とも言える。そしてトラフィック・モメントが行為や知覚の切り替えを動因するとなると、それは知覚や行為を生じさせる時の構えであるとも言える。偶像崇拝的逃避はそれを意識の上で介在させる際に羞恥が生じると言える。自の全てを他に悟られたくはないという自動的な予防措置が心的にあり得る。何かを説明する時もそうだし、何かを聞きだそうとする時もそうだし、何かを終わらせようとする時もそうである。何らかの契機を必要とする。その時我々はトラフィック・モメントを探す。それが見出せればトラフィック・モメント自体が我々に行為や知覚の切り替えをする。
 一つの行為や知覚の持続は辟易を呼ぶ。そこで我々は偶像崇拝的逃避を応用してトラフィック・モメントを探る。それはほぼ同時的である場合もあるだろうし、多少時間的ズレがある場合もあるだろう。食事をし終えればレストランから出て行くし、トイレで用を足せば、トイレから出て行くし、ATMで金を引き下ろせば銀行から出て行く。一つの行為の終了に対する確認がこの場合トラフィック・モメントであり、ある長くつきあっている異性から許せない一言を聞いてそれが許せないと感じたら、別の異性に対して関心を示しだし、長く付き合ってきた異性と別れようと決意する時、その決意のトラフィック・モメントとするものこそその異性の不用意な一言である。
 つまり我々は公私を往来させる時も、行為や知覚を切り替える時も、新たな行為へと赴く時も、ある行為を中断したり、止めたりする時、ある集団から抜け出したりする時にもこのその決心を誘引し動因するトラフィック・モメントを自覚し、認識するのである。その際に我々は偶像崇拝的逃避を採用したり、利用したり、それ自体をトラフィック・モメントにしたりすることもあるわけだ。

付記 本ブログは来年(2010年)正月明けまで休暇を取ります。またお会い致しましょう。(河口ミカル)

Wednesday, December 9, 2009

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第三章 「ふりをすること」の正体

 私たちが何かの「ふりをする」時明らかにあまりそのことをしたくないのに、したいように振舞うことである。それはある部分偽装である。しかし偽装するということ自体に既に我々がある行動をする時、行動を他者に見られる場合、行動自体が真意に沿ったものであるということを他者に円滑に示すことが出来るか否かという振舞いにおける巧さという観念が定着していることを意味しよう。だから巧く他者に「何か」が伝えられるということ自体が既に内心と外面ということが乖離していくという現実に対する覚醒がある。だから巧く伝えようと思う時既にその者の内心では偽装するという選択肢もあるという認識は形成されている。「ふりをする」こととはだからあまりそれをしたくはないのに、義務的にしなければいけないという状況があって、あまり嫌々それをしている風に他者から察せられたくはないという事態の出現があって以降の人類による意識である、と言ってよい。
 それは行為自体に対する記述が脳内で常習化した末の結果である。だから何かを意識してする、そのように振舞うという、他者に向けられた意識そのものが既に他者に対する構えが臨戦態勢にあることを意味する。その時自らの行為を自動的にするのではなく、あくまで恣意的意図の下にするわけだから、行為自体への意識という意味で行為性として脳内で記述している。だから演技すること、振舞うこと、装うことといった全ては既にそれ自体で記述された末の意図である。
 本章で考えているところのものは第一章における後半の次の部分の認識に拠っている。

行為への意識が自・行為を振舞いとして意識させる

ここに自は自らの羞恥を知る。羞恥は行為への意識によって創出され、ア・プリオリに付与されたものとされる

羞恥は以後の行為、言語行為に「ふりをする」という意識を付与する

「ふりをする」という意識は自を他へ向けた構えと自の内的世界を二元化させる(二元的に認識させる)。

 つまり我々は自というものを他との疎通了解において考える時、自の行為、とりわけ言語行為において考えられる自分にとって自然であることと、他にとって理解しやすいこととの間に介在する齟齬を必ず自覚する。それは言語行為においてそうであるから、実際に語りの入らないジャスチャーにおいてもそうなる。
 つまり内的世界と外的世界をその段になって知るのである。それが最後の「自を他へ向けた構えと自の内的世界を二元化させる」ということに他ならない。
 しかしその過程で我々が必ずと言っていいほど経験することとは、端的に「こういう気持ちを伝えたのに伝わらなかった」とか「こう考えて話したのに理解して貰えなかった」という挫折である。挫折こそがこの内的世界と外的世界との齟齬を我々に教え、他に対してなされる自の行為を「振舞う」「装う」あるいは「ふりをする」という様相において理解させることとなる。
 だから「ふりをする」ことの本質的な実体とは恐らく「自然にする」ということ自体に内在するものに必ずあること、それが「敢えてする」こと「恣意的にする」こと「技とする」こと「意図的にする」こと「人工的にする」ことである。
 ここには自然であるということ自体に内在する多義性、両義性がある。
 トラフィック・モメントは偶像崇拝逃避によって自と他の領域を責任転嫁的に明確に峻別することにおける安心、そしてその安心を突き崩す他の自への領域侵犯によって、あるいは自の他の領域への好奇によって発動する。他によって見られる自の「在り方」に一抹の不安と懸念を感じるからこそ我々は「ふりをする」ことをその都度構える。自による自に対する他からの視線への同化を試みるのだ。
 よってトラフィック・モメントとは偶像崇拝的逃避があるからこそその再考と検証においてなされるのである。その際に偶像崇拝的逃避自体への懐疑が「ふりをすること」を促進すると考えてもいいだろう。

Tuesday, December 8, 2009

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第二章 意識とは 記述と構え によって作られている

 意識は先験的に私たちに付与されているわけではない。それは寧ろア・ポステリオリに私たち自身の意味(私たちが私たちに付与した)→人格、人格→意味 という連関によって先験的であるように思い込んでいるに過ぎない。意味は体験的記憶に伴う感情であり、その傾向性が人格を理性的方向付けとの兼ね合いにおいてその都度決定している。
 記述とはその都度の私たちの判断そのものの傾向性こそが、個々の対象への構えとして構成させている。
 ここに次に図式が成立する。

  →
意味 記憶
  ←↓ ↑
  →
記述 判断
  ←↰↓ ↑→構え
↳ 傾向性

 これら個々のトラフィック・モメントも又、傾向性そのものと理性的判断、あるいはその都度の決心に依存している、と言える。
 尚前章で私が示した図式の↓はあくまで概念上での展開可能性として示しているのであり、因果的時間系列ではない。それはある部分では常に同時的であるとも言い得るし、ある部分ではある事象に対して後天的にそう認識し得るということである。
 尚人格について言えば、それは他との相関性において自においても決定するし、また記憶内容の概略的事実以外のエピソードに纏わる意味は刻々と変更させていっている。そういう意味では全ての心的決定はその都度の偶像崇拝的逃避(本ブログ「トラフィック・モメント」を参照されたし)、つまり自において他に責任転嫁的に委ねておけばよいという判断に基づいて、こればかりは他一般という偶像には委ねられないというもののみを自における対象化すべきもの、つまり関心事項とする。
 要するにここで重要なこととは、端的に我々は常に意識が全ての行動、意志決定の出発点であるように思い勝ちであるが、それは一種のそう思いたいこととしてであり、内実的には我々にとって意図(ここでは図式に登場しないが、記述が行動と結びつく時には登場する)こそが全てを決しているのであり、そこには目的と期待、願望といったものがある。しかしそれは覚醒しているという意味では確かに意識ではあるが、覚醒していることと意識とを通常我々は形而上的には違うものとして考えている。つまり意識とは意志と覚醒とが結びついている時のことを言う。すると意識とは本質的に後発的な複合化された概念ということになる。そこで私は複合化される以前的なものとしては記述と判断、傾向性そしてそれらの相関性を軸とした構えを意図の根源と考え、構えが行動へと移される時に意図となって明白化、顕在化される、と捉えるのだ。
 だからこそ本章を 意識とは 記述と構え によって作られている としたのである。

Monday, December 7, 2009

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第一章 相互構成関係

 世界とはア・プリオリにあるのではない。他に対して構える時世界は現出する。他は構えられていて自によって世界を構成することに参与する。
 構えそのものを自覚する時、そこに意識がある、と私たちはする。
 他が自の前に現出する以前のそれは未だ構え自体は自覚せられていなければ意識ではない。
 自覚すること、そうしながら構えを過去との対比で現在のものとする、つまり構えそのものを記憶する時、意識が人格を構成するものとして把握される。意識が人格を構成するものとして把握されれば、世界は意識によって記述される対象となるが、世界が対象であることが、恒常化すれば意識は既に記述によってのみ認識され、世界も記述することによってのみ成立するものとなる。これが言語化された世界(「世界」)の最初の構えである。
 語彙はこの構えにその都度引っかかってくる。どのように引っかかってくるかと言うと、世界に対する判断によってである。知覚と対象化の構えに対する自覚と、反省的判断が他の存在とその認知を通して語彙は選択されるが、言語行為においては自を「世界」の中に位置づけ他をもそれと並列されたものとして要請する。
 言語行為は対象に対する全ての判断を事後化する。
 しかし意外と言語行為は他への構えよりも「世界」への構えを優先させる。それは 意味=過去と現在の連続の自覚 の合間に反省されるし、反省対象となって現出する。
 意識は言語行為中は 「世界」=意味 の背後にあり、寧ろ言語行為の合間に言語行為の意味の往来への反省、つまりそこに人格を自然と認識的に形成し、(持続された)構えに対する 自覚=対自 の事実そのものである過去と現在の連続の自覚から現出する意味は、言語行為の認識だが、実はこの人格規定(自に対しても他に対しても)そのものが、あるいは他に対する自、自に対する他の認識、あるいはその往来そのものが意味を創出している。私たちはここに次のような図式を得ることが出来る。
 
意識の記述化が言語化の構えである

他を通して構えの自覚という自を、他と自の並列化への手段とする

記述された「世界」の中に自の人格を形成し、人格は他との言語行為において、その反省意識によってその都度決定される。

反省の伴う過去と現在の連続の自覚が、自と他との間の人格の往来を自覚させる

自・他の人格の往来が意味を創出し、意味が自の行為を自のためのものも、他への投企をも行為そのものへと意識を向かわせる

行為への意識が自・行為を振舞いとして意識させる

ここに自は自らの羞恥を知る。羞恥は行為への意識によって創出され、ア・プリオリに付与されたものとされる

羞恥は以後の行為、言語行為に「ふりをする」という意識を付与する

「ふりをする」という意識は自を他へ向けた構えと自の内的世界を二元化させる(二元的に認識させる)

 「ふりをする」は意味を伝えることに供せられる。あるいは意味を伝えることのために自の内心をこの次のものとする。
 ここに往来(トラフィック)がその都度意味を作るから、意味とは意味に対する作り変えによって意識される。
 つまり意味への構え、意味から別の意味への作り変えを誘引するものとは、言語行為であり、 「世界」への構え=記述 であり、 自・他の言語行為の反省=人格への自覚、あるいは確認 であり、これらこそ、自・他の意味(人格を作る)、人格(意味の伝達の手段)を往来の契機(トラフィック・モメント)とする。
 意識にとって記述と構えはその都度なくてはならぬものであり、まさにこれこそが「世界」を構成、私たちを存在者としている。あるいは記述と構えが成立すること(事実)そのものを、意識自体は反省によって得られる。
 反省こそ過去と現在の往来の契機(トラフィック・モメント)が作用している。それは私たちが世界を知るために「世界」(言語化作用)を通したその都度の関心という固有の構えである。
 反省という構え、関心という構えを構え自体として自覚し意識することそのものが記述であり、この記述こそが自・他において意味と人格を作り、その都度作り変える。
 反省(過去と現在の連続の自覚への構え)と関心(世界を知るために「世界」を通して何かを対象化すること)こそ行為を誘引し、意味と人格を作るトラフィック・モメントである。
 
 トラフィック・モメントはア・プリオリに付与された傾向性と、そのことへの自覚と反省、そして傾向性の作り変えをも含めて常に新たに意味と人格と関わっている。トラフィック・モメントとは反省と関心の質量である。
 「世界」とは意味の公理化によって構成されている。

Sunday, December 6, 2009

〔言語の幻想とその力〕5、「ふりをする」ことの哲学

 その女性は結婚した。そして夫と共に生活する道を選んだ。彼女は愛しているふりをしていた。しかし愛してしまった。愛してしまった以上は身を焦がすほど接近することを求め始める。求め始めると所有したくなる。しかし所有は所詮不可能なので、常に距離が感じられる。他性認識の発生である。距離が彼女の愛を求めることを更に促す。求めることは求めるふりをすることから始まる。求めるふりをすることが愛するふりをすることになる。だから何かをすることとは、何かをするふりをすることと寸分違わないのだ。ふりをすることは示すことであり、それを受け取る者がその通りに受け取ることを望むことである。自己の本意とその本意の外面的現れは一致しないこともあるかも知れないが、一致しないことばかりであるということもまたあり得ない。だから愛しているから愛しているふりをすることとなるが、愛しているふりをすると、愛することともなるのだ。行為の持続がその行為を望むこととなるのだ。愛するふりをすることの下手な者は、愛しているが、そのふりをすることが出来ない(嬉しい時に嬉しい表情が出来ない。)こともあるし、逆にそれが上手な者は愛していないのに、そのふりをすることがどうといこともないのかも知れないが、表面だけのふりは長くは続かない。それを見破る者が必ず現れるからである。だから表面的な取り繕いは他者に対する社交辞令的な行為と見做される。
 憂鬱な態度、刺々しい性格といったものも一面では、その人間の身体病理、例えば胃や肝臓を治すとか、痔を治すとか改善する部分があるから、心と身体は一繋がりである。だから逆に身体病理を抱えているのに、晴れやかな顔をするのは、偽装となる。それ以外の偽装では相手を快く思っていないのに、好感を抱いたりすることがよく見受けられる。しかしそれを持続してゆくとストレスが溜まり、一気に爆発してしまうであろう。だから逆に楽しいのににこにこしないで、ぶすっとした態度を採っていると、段々と本当に楽しくなくなるものなのだ。だから「ふりをする」ことは、それが本意であるのなら、不可欠な大切な行為である。それは意思表示なのである。意思表示はその時の心の内容を伝える意志の表示であると同時に、その表示が真意に基づくものであることの態度表明である。それは表情と見つめ合うことの中で取り交わされる。
 ただ「ふりをする」ことは、職務上のマナーである場合、偽装であるということも考えられる。例えば幼児なら両親に連れられてどこかの商店に入店した時に、にこやかに来客に笑顔で接する店員に対して「ねえ、あのお姉さん笑っていたよ。あの人僕のこと好きなの?」などと両親に問い詰めるかも知れない(尤も私の幼い頃はそういう素直な無垢な子供が多かったが、今時の子供はテレビ等からの影響があって、そのような純真な感慨は持てないのかも知れないが)。しかし職務上のマナーはたとえ笑顔でも「ふりをする」ことであり、その人間の真心であるかどうか断言することは極めて難しい。たとえ消費者金融の事務職員さえ、金を借りに来る客に愛想よく笑顔で接するに違いない。しかしそれは相手に対する忖度ではなく、あくまで実利的な装いであるに過ぎない。

 付記 一応「言語の幻想とその力」はここで終了致しますが、暫く論文作成のため休暇を頂き、この最終章のテーマである「ふりをすること」は極めて重要なテーマなので、再度別の形で本格的に論文を作成してから掲載更新致します。当ブログはそれ以降も「理屈っぽいあなたに贈る言葉集」、そして引き続いて「権力の構造」を修正した後に掲載更新致します。(河口ミカル)

Thursday, December 3, 2009

〔言語の幻想とその力〕4、客観としての他

 フッサールが言う超越論的主観性というのも、ハイデッガーの言う現存在による配視も、ミシェル・アンリが言う限定態としての他性認識も、レヴィナスが言う贈与とか他性も共に、我々が主体とか自己といった認識を得る際に、根源的に他を客観的に認識する能力に発しているという思想性に裏打ちされている。それは対自的認識の発生根拠であり、対他的な認識も、対自によって得られた即自的な認識の発生の事後的な在り方かも知れない。さてフッサールが「論理学研究」期において示した純粋心理学的見地はどちらかと言うと、即自的認識であった。しかし即自へといきなり行くということにはある種の不自然さが伴う。フッサールは超越論的主観性においては、即自以前的な対自認識を「イデーン」期において規定した。そしてその根源的な思想には場といったものであるとか、他性ということが背後にはあったのかも知れない。事実志向性というものさえ、他を必要とするからである。そうである。主観とは客観を起源としていのである。そして客観とは同を得る以前に異を得ることであるが、根源的には異とはそれ自体で同であり、然る後、我々は自己を同であると認識する。そして異を他へと転化させるに至るというわけである。
 ヒラリー・パットナムは現象学を批判的に捉えているが、彼が言うように「生起するものとは能力である」(「理性・真理・歴史」より)という捉え方は明らかに外在主義的視点のものである。我々の意識を内在主義的に捉えたのと逆のベクトルが哲学上のスタンスとして介在している以上、パットナムの批判を受け入れ、即座にフッサールを批判するわけにもいかない。その意味では幾分ウィトゲンシュタインもまた外在主義的である。言語それ自体を使用と捉えるその遣り方は、使用する側からの発言であるよりは、寧ろ使用されている事態を俯瞰した物の見方であるからである。そこでフッサール的な前言語状態といったような根源性への認識と私というものと外延との、つまり経験し得ることの全て、目撃し、体験し得ることの全てとしての世界と私の一致というウィトゲンシュタインの認識もまた、外在主義的視点の応用として位置づけることが可能である。よって先述のように私がそのどちらを選択したらよいかを決めあぐねているという事態の回答としては、我々がフッサール的言語観を正統とするか、ウィトゲンシュタイン的言語観を正統とするかという問いそのものが不毛なものと化す、ということだけは確かなようである。これは採用される視点と問題設定の質的な相違に応じてどちらかを選択するというよりないという結論に達するのだ。
 少なくともフッサールもウィトゲンシュタインも共に哲学が外在主義的な脳科学的な解釈とか神経学的解釈として納得し得ることだけで人間が生を理解し得るとは思われないという面では全く一致している。そしてそれはハイデッガーの次の一言(「存在と時間」中公クラシックスⅡの41~42ページより)の主張を説得力あるものにしている。
<現存在の非透視性は、ひとえに、また第一次的に「自己中心的」な自己錯覚のうちにその根をもっているのではなく、それと同じくらい、世界を識別しえないことのうちにもっているのである。>
 つまりハイデッガーの言う現存在は極めて意識の自覚というのに近いものなので、現在「生」を実感している私のこの息遣い、思考の志向性といった全ては、時間論的に言えば、そういう全てとして把握し得ると思った途端に次の瞬間に移行しているようなものなので(「存在と時間」は時間という謂いは最後近くしか多く登場しないが、全編に渡って時間意識の哲学テクストである。)そういう全体的な推移の中でだけしか自己を把握出来はしないある種の曖昧さ、大まかさといったものが、我々に純粋な現存在という意識を確固たる指示を不可能にしている。それを恐らくハイデッガーは非透視性と呼ぶのであろう。透視というのは真理の直視である。真理とは純粋であり、曖昧さとか大まかさはない。そこで我々はこの真理の直視の不可能性において、それが認識上は可能であるということを我々自身が信じて哲学するわけだから、それにもかかわらず認識論上真理という名辞として指示し得るのだから、出来ない能力を名指すことそれ自体をハイデッガーが「自己錯覚」と呼ぶという風に私は解釈する。
 そしてそれはフッサールとウィトゲンシュタインを巡る言語の二つの認識の在り方から見る私たちの外在主義ならざる認識としての哲学の在り方が、今内在的に自らの心の在り様を解釈しようと欲すると我々はそれを曖昧な、大まかなものとしてしか掴みきれないことをも示しているのだ。しかしその現実の掴み切れなさとは無縁に、あるいは反比例して認識上の真理はどこまでも明快である。「そういうものとして理解する」ことが哲学の認識の在り方であるとすれば、純粋な正三角形は世界には実体論的には存在しない。しかし正三角形の定義とかその定義を通して理解し得る概念上の正三角形は常に我々が存在し続ける限り我々の理解上、つまり脳内に存在する。そして後者の概念上の純粋な正三角形こそ真理である。そして客観性というものはそういう真理として実存するものの他としての価値論的な認識に他ならない。
 つまり客観的な認識を持つことそれ自体が正三角形という概念上でしか存在し得ないものをあたかも存在するものとして認識し、それを基準に三角形に近い存在物を認識しているのが私たちである。それは客観的に他を認識することを通して、知らず知らずの内に我々は本来持つ我々の能力として他を、そこに真理を見るための方策として利用しているのである。他は真理を持つために見るということにしなければ、一々固有性や個別性という異だけに捕らわれていたら、一切の処理、つまりちょっとだけ見たものをやり過ごすということは出来ない。全部の事物を我々は過度の関心を持って臨むことなど出来はしない。そこでやり過ごすためにこそ、その事物をすぐに取るに足らないものとして忘却対象として位置づけるためにこそ、例えば都会で電車で乗った時に見たひとたちの顔は、それから仕事上、友人関係として必要な識別性においてではない限り、一々全員の顔を記憶に留めておく必要もない。そこで我々は電車に乗った時に人の顔は、それがどんなに魅力的な異性であっても、誰か知人に似ていても、そういう魅力的な人、似た人がいたということだけを頭に留め、後は忘れるように脳が指令を出しているのであろう。そういうものはすぐに忘れるものである。だからこそ他として自己認識以前的に立ち現れる客観的な基準の認識は、ちょうど今述べた「魅力的な人」、「誰それに似た人」というカテゴリーの名札を付与して留めおくだけで、あとは全部忘れようとするのだ。
 しかしここで一つの問題が浮上してきた。それは他者というものの存在が我々をして意思伝達せしめる誘因作用として位置づけられるなら、他性というものが即ち他者の存在を自覚、意識して初めて客観的な認識を得ることの必要性に迫られるということになる。なぜなら他者がいないのなら、我々は殊更事物を客観的に存在するものとして位置付け、「あの男性」とか「あの車」という風に陳述する必要などないであろうからである。客観としての他は存在する事物も人間も全てひっくるめて他者の存在を必要とするし、またそれなしには認識上の必要性には迫られない。(とは言え、一人で孤島に暮らしている人間でも、規則正しい生活パターンを身に付けることが可能なように<コリン・マッギンの「ウィトゲンシュタインの言語論」勁草書房刊の最後部を参照されたし。>客観的認識それ自体は他者との意思伝達なしにも可能であろう。しかし少なくとも、他者との接触を一度でも持ったことのある人間は、対自己的にも客観的なる他という認識を持つことが出来るが、生後間もなく人間社会から隔離された状況の人間(それは生物学的なホモ・サピエンスでしかなく、少なくとも言語活動による理性的人間のあるべき像ではないであろう。)、昔アベロンの野生児というケースがあったが、そういう者は恐らく客観的認識としての他を心的には感じることは出来ても、他者にそれこそ客観的に説明する能力がない。(それは動物も同じことである。)そういうものの場合、我々は客観的認識とは呼ばず、ただ主観的な記憶という風に呼ぼう。(尤もフッサールはこの客観的認識それ自体をも全体的な主旨から逸脱する可能性があるので省略しようと思う。関心のある方は西研著「哲学的思考」<副題、フッサール現象学の核心>を参照されたし。要するにフッサールはあくまで言語を取り巻く状況から考えているのであり、ウィトゲンシュタインは言語内で思考することを問題としているのである。その意味でフッサールは言語を外在的に、ウィトゲンシュタインは言語を内在的に捉えていると言える。)
 しかしここで問題となることの内で最も重要なこととは、他者の存在が誘引する客観的認識の説明責任的必要性が、他者を他者一般として、例えば親しい友人でも「これこれこういう性格の人間的なタイプ」のように叙述する可能性をも含めたカテゴリー化された認識を人間にも採用するのである。そして我々が概して社会生活において偽装する、例えば若い年齢のアナウンサーが昔活躍した政治家が死去した時に、あたかも自分もその政治家に存在をよく知っているかのように振舞う(実際に政治に詳しいアナウンサーなら可能であるが、もしそうではなくてもニュース原稿を読む際に「あの」、「例の」という風にあたかも知っているかの如く原稿を読み上げる職務上の責務を帯びている場合、我々はその原稿を読む際にアナウンサーになった誰しもが恐らく他者一般(例えばニュースで「お年寄りの方にはご存知でらっしゃるでしょうが」というような陳述は、老人一般に対しても、若いのにその人のことを知っている人に対しても失礼になるので、そういうニュース原稿作成者なら原稿は書かないであろう。つまり何十年代に活躍したとかいう風に表現するに留めるであろう。)を想定して発語しているのだろうし、またニュース原稿作成者も、そういう視聴者一般を想定している(全体的に他者一般を指示している)のであろうと思われる。
 ここに来て本論はこの職務上の偽装的とも受け取れる「ふりをする」ことの哲学に突入せねばならない。次章ではそれを扱おう。

Monday, November 30, 2009

〔言語の幻想とその力〕3、死と言語

 言語活動は発語行為、発話意志を伴った音声的な意思伝達によって成立している。しかしそれらを心的本質で支えているのは、とりもなおさずコミュニケーション信仰という心理であり、それを真理であると信じることである。真理とは信じるからこそ真理なのだ。言語行為とは発語によってその意味を得るが、発語される瞬間まで脳によって我々は思惟とか思念とか整理することを怠ってはいない。発語されることで整理が一応つくように我々はもっていっているのである。しかし何度も触れたように発語されることでその文章を巡る思念を脇へ押しやり、別の思念を浮上させるような意味では明らかに思念というものを発語することで、その思念によって充満される停滞を防いでいるのだ。それは思念に対する探求の断念である。断念された思念はしかし完全に消え去っているわけではない。それらはもう一度どこかで浮上するようにいつの待機しているのだ。
 伝えたいことというのは伝えたくはないことの表明として伝えられる。そして伝えたいことのみを伝えることを通して伝えたくはないことを触れないようにすることでコミュニケーションの信仰に敬虔であることが証明される。
 作家が文章を書くのは何を書くべきか一言で言い表せないからである。作家は書くことで自分の書きたいことを発見してゆくのだ。画家が描きたいテーマが予めあるのではない。描きたいから描くのだが、描きながらテーマを発見してゆくのだ。予め決まりきったテーマが言い表すことが出来るのなら彼らは長い小説を、エッセイを、時間をかけて絵を描くことを止めて演説したり、人を説得したりした教育したりした方がずっとよい。
 小説もエッセイも、要するに散文というのは一言で言い表せないことを長く連続する文章で表すのだ。詩も基本的にはそうである。短歌や俳句は一句一句では簡潔であるが、その句の連続においては何をテーマとすると一言で言い表せないからこそ、創作の連鎖が日常化しているのだ。
 今さっき思い浮かんだ実にいいアイデアは書きとめておかなければすぐに忘れてしまう。その場に何か書くことが出来るもの、ボールペンとかを置いておかないと、あとで「しまった。何を思いついたんだったっけな?」と思い悩むことになる。後悔することになる。しかし一度思いついたいいアイデアは再び何らかの形でまた思い浮かぶ。その時それは確信になる。しかし何度もいいアイデアを忘れている内に、我々はそういう後悔を重ねるとそのまま人生が終わってしまうのではないかと不安に襲われる。後悔と不安が人生において死を観念上隣接させている瞬間である。ゲームが終了しない内に何か不測の事態によって進行が阻まれないように願うのは人間のごく自然な心理である。ゲームを中断させられることは後悔が残る。どうせ死ぬのなら何かゲームが終了した後の方がずっといいに決まっている。ゲームの途中であることは他者から邪魔されたくはない、触れて欲しくない瞬間の連続である。触れて欲しくはない瞬間というものは「疑問の渦中にいる」ことである。
 棋士たちが一手を考えあぐねて最終的にある一手をさす時、彼らは躊躇を断念しただけではなく、疑問を断念したのである。決心とは躊躇の断念であると同時に疑問に対する断念である。つまり決心することで理解したのである。あるいは理解したということにしたのである。後は成功してもよし、失敗してもよしという思念に任せたのである。
 理解とは疑問の死である。死は解き明かされてはいない現象であるが、死を今次の瞬間に可能性として抱える人にとって疑問は邪魔なものであろう。疑問を持つことというのは、生きてゆく上で未来への自己の存在可能性の確信そのものなのである。自分が疑問に取り組める内は死は観念上においては遠い。次の瞬間に死を可能性として引き受ける人間には理解が必要であるのかも知れない。しかし死を論じるということはある意味では生を引き受けている瞬間の連続を持っている人の特権である。だから疑問は生の証拠である。疑問を解消されることというのは一面では小さな死である。性的エクスタシーの感受と理解によって溜飲を下げることにはある共通性がある。疑問の断念という事態とは小さな死、生の瞬間の詠嘆的な純粋反省への出発である。理解することはほっとすることであり、しまった書き留めておけばよかったという後悔と対極にある。しかし後悔はある意味では生の只中にあることであり、巧くゆかなかったこと自体を反省することを強いる試行錯誤であるが、それは死に対しては遠いということをも意味するのだ。しかしほっとすることはそれ自体で死に隣接している。性的エクスタシーがそうであるような意味で。
 ある政治家が国民に向けて説得力ある演説をし終えることは、彼の力説する政論を伝達させるという意味では履行されたのであり、従って彼は高い支持率とか選挙結果での勝利ということに対してほっとするであろう。成功というものはその成功へ向けて努力したり、苦労したり、真剣に考えたりした行為の連鎖の一応の死以外の何物でもない。次の行為へと移行するための死である。ある職務から離れること、辞任することは次の職務に就くために必要な社会的な死である。売れていた商品の売り上げが落ちることとは、その商品で信用を得ていた社の社会からの認知の死である。ある流行していた社会潮流が変化して前の常識が通用しなくなることとは、前の潮流の死を意味する。ある法律が時代遅れとなることもまたその法律の死である。かつて有名であった文化人が全盛期のようには活躍出来なくなることはその文化人の社会的な死を意味する。ほっと一息つくこととは従って生の時間での死なのである。
 それに対して新たな職務に邁進し始めることとはその人間の職業における新たな責務の誕生である。我々は自己の内においても、新たな責務を獲得することで古い責務を死へと追いやるのである。その意味では死とは生の時間においても至るところで経験しているのだ。反省的意識とは言ってみれば関心的思考(志向性)から見れば、あるいは行為の只中から見れば死を意味する。だからこそ言語活動においても多分に我々は息継ぎをしながら、その休息において死を巧みに挿入していると言えるのだ。何かを定義したり、断定的に語ったり、判断したりすることは迷うことにおける死である。躊躇することにおける死である。休憩しないでずっと仕事し続けることとはゆとりを持ってことに当たることにおける死である。死とは生を活気付ける意味での変数なのである。
 あるロック・グループのメンバー・チェンジとはマンネリ化した音楽スタイルの死を意味するし、同時にそのグループに宿る新たなスタイルの誕生を意味する。何かが誕生することにおいて、何かを我々は死に追いやるのである。それは意図的な場合もあれば、自動的な場合もあるであろうけれど。
 我々は生において死を効果的に挿入している。呼気と吸気の間で我々はほんの一瞬何もしない死を挿入している。英語と日本語のバイリンガルは、日本語から英語、英語から日本語へとシフトする時、何語をも介在させないような瞬間を挿入している。ポリグロット(多言語使用者)においても同様であろう。何から何かへとシフトさせる時、我々はどちらでもない一瞬を挿入しているのだ。その瞬間我々は無生物化し、無国籍化しているのだ。そのような転換がなされる際の一瞬には如何なる脳内のカテゴリー思考にも属さない、如何なる明白なクオリアをも有さない状態が現出する。それを生の中での一個の死と捉えるなら、我々が感じる、我々がそこで我々自身の生を捉え得る場である生は、それ自体で死をあらゆる行為と行為の継ぎ目に介在させていることとなる。
 我々は我々の生活において、あるいはもっと大きなスパンである人生において出会うものを糧にその都度自らにおいて形成されたカテゴリーの体系というものの性質を少しずつ変化させてきている。ソシュールは言語が実体ではなく、形態であるとしたが、その謂いに従えば我々は例えばリンゴに関しても、人間に関しても同様に自分が新たに出会う対象を今までに見た全対象にその都度付け加えながら、リンゴという概念に纏わる自分のリンゴ観、人間という概念に纏わる自分の人間観、それはリンゴに関する自分にとっての意味、人間に関する自分にとっての意味というものを内的に形成し直す。形態は絶えず変化し続ける。しかし同時にユングが言ったような意味での集合的無意識という心的作用によって我々は極端に逸脱した個的な意味に支配されることなしに、生活してゆこうと配慮する。その意味では如何なる特殊な対象と出会おうと、例えば極端に大きなリンゴを目にすれば、それを奇形であるとか異常であると判断しようとする。あるいは極端に邪悪な人間に出会えば、その人間を異例なケースであると判断しようとする。
 クロード・レヴィ・ストロースは哲学畑から文化人類学へと転向した人物であるが、彼の「悲しき熱帯」は、そこで彼が言うようにルソーの考え方に影響を受けているが、私が想像するに、カントの「判断力批判」に垣間見られる自然に対する崇高の観念とそれらが調合された思念に裏打ちされているように感じられる。非文明化された南米の部族を訪問することで、得られる彼の人類学的な論理と倫理は、彼が属する西欧社会もまたかつては非文明化された形態を有しており、その残滓は至るところに、一見我々はそれを文明化されて信じて疑わない仕来りの中にこそ潜んでいるという価値転換を喚起させる主旨によって彩られている。彼は文明化された西欧流の生活様式の土地から徐々に非文明化された土地へと訪問し、やがて旅を終えると今度は逆に非文明化された土地から西欧流の社会へと帰還してゆくその際の訪問者としての心理的変化について微細に叙述している。そのある種社会的発展段階における異種のカテゴリーからカテゴリーへの移行段階においては、少なからぬ隙間的な空白、西欧流でもなければ、完全に非文明化されたものでもないような中途半端、あるいは双方から見捨てられた土地を目撃しているようであるが、そのようなことは我々の日常でもしばしば経験し得ることではなかろうか?
 大きいリンゴを見て、リンゴの一般性とかリンゴ一般の観念を形成してきた自分の原体験的な先入観を一挙に打ち砕くようなその大きなリンゴとの邂逅も、それ以上のカテゴリー認識をも打ち砕く邂逅の前では一挙に印象の薄いものと化すであろう。そのような意味で一つの出会いによる一般概念の脆弱さへの認識とは、その邂逅する対象、現象の大きさ、あるいはその時々に我々が抱く印象の強度に応じて明確化してゆくであろう。だから凄いものとの出会いはそれ以前における印象的な出会いを陳腐化する。「あれは今考えると大したことでなかった。」という風に。そのようにその都度書き換えられる全体的なリンゴに対する印象、人間に対する印象、つまりリンゴ観、人間観は、しかしある時期を過ぎれば固定化させてゆこうとする我々の意志(よほどショッキングな出会いさえなければ)、例えば親しい友人とか大切な財産とかがある程度固定化されてゆくように自分に中では少しずつ如何なる鮮烈な出会いがあろうともこれ以上変化させたくはない、という観念も我々には一方ではある。この観念の固定化というものはある意味では変化に対する離別という死である。しかしその死を受け入れることで寧ろ変化し続けることの中では得られない別のレヴェルでの出会い、例えばある出会った対象に対して、それが事物であれ、住居であれ、住む土地であれ、交際する人間であれ、それとの係わり合いを深めてゆこうとする意志、まさにそれが生という現実を受け入れ、直視することなのだが、それを得る。人生とはそういう深い出会いを受け入れて固定化させて生活するということではないだろうか?
 その意味ではあるリンゴ観による、人間観による言語活動において、我々が使用する一個一個の概念に対する設定基準というものは、変化しつつ不動点をどこかで求めてもいるのだ。それは言語という幻想(了解一致に対する)と死を巧みに配列させて利用しようとする知恵ではないだろうか?それは死してこの世からおさらばする成員に対しても鎮魂の情を傾けながら、彼(女)の人生全体を客観的に位置づけて生き残った我々自身の財産とすることによって死を有効に意味付けることにも似てはいないだろうか?

 カントの「判断力批判」は神の観念を通して壮大な風景を目の前にした人間の心理を描出して崇高なる形容的定義をしている。
 神とは人間の能力(身体的なことを通した物理作用としての)の限界とその卑小さ(カント活躍時代には未だ宇宙開発も核兵器もなかったのだが)に対する人間の欠落感を埋めるものとして作用していた。もし人間による地球規模の自然荒廃とか戦争破壊が起こったとしても尚人間の醜さという観点から人間の卑小さは物理的能力の拡大に伴って増大してゆくであろう。ともあれ神とは一種の観念としての幻想以外の何物でもない。それは人間の能力の限界を遥かに超え得る完全無欠性への希求である。それを幻想と呼ばずして何と呼ぼうか?
 ジジェクの言葉を借りれば「幻想とは、自分の欲望の行き詰まりを、個々人独特のやり方で隠蔽するための方便である」(「斜めから見る」293ページより)とするなら、人間は欲望を実現すればするほど神に対する恩恵心を忘れる者であるのかも知れない。しかし我々は不滅の存在ではない。これだけはどうにもならない。この死というものの不可解さを前にすると、どこか神という永遠性、完全無比性に依拠するような心持になる。マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の倫理」によれば、プロテスタンティズムとはカトリックが心情倫理的脆弱さによって原則ある生き方を弱められたことへの反省的気運によって仕事の責務、つまり労働への意欲という、言わば責任倫理遂行によって信仰を守り社会全体を安定へと導く装置として(それも一種の人生の固定化の社会版と捉えることも可能である。)機能してきたという側面があるようだ。つまり社会的責務、職務遂行というある種の神との契約性が、その報酬として賃金を得るという倫理循環の下では、日本人にある固有の「金は卑しいもの」という観念はない。西欧社会においては労働とは神への奉仕であり、労賃は神からの賜り物なのだから。しかしそういう日本人も言語が神からの恩寵であるという観念ならば、受け入れることが出来るのではないだろうか?
 カントの捉える風景の壮大さを前にした敬虔な感情と、ヴェーバー解釈の労働の持つ人間と神との契約という側面は、我々の言語活動が類推、仮定、想像といった思惟が言語的思考のあるプロトタイプとして能力として備わっており、そこにはいつかは死する人間が神のようにはなれないも、神のように少なくとも思念上では無限性や永遠を想定し得るということを自ら知っており、その思念に憩いを見出しているということを考慮に入れると、どこかで密接に関連し合っているように思われる。
 それは義務(神との契約としての労働)と権利(思念的内容の自由)の存在を思わせる。カント的思念は恐らくそういった契約的履行という義務に対する権利としての思念の自由が生み出した尊崇の念(雄大な自然を前にしてそこに神の偉大さを知る。)ではないだろうか?それは権利だけでも義務だけでもあり得ない心理ではないだろうか?
 我々が言語の幻想とその力を実感し得るのは、人間の能力の有限性の中で無限を感じることの自由を神から授けられたのだ、と認識し得る時なのか知れない。

 ジジェクによると幻想として位置する中心を我々人間は求め、というよりも不可避的にそのような個人の価値を見出し、それは私秘的なものであり、他者によって踏み込まれたくはないものであり、そういう位置にこそ神も、偶像も存在可能性を得るということのようだ。その中心の幻想の周囲をぐるぐると回り続けることこそ主体というものの在り様であると彼は考える。そしてそれを価値論的に、とは言えその意識は殆ど無意識の作用なのであるが、他者と意思疎通する時に相互に尊重すべき領域として認識し合うことに中に人間関係の基本的な形を認めている。それと似たことを熊野純彦が「レヴィナス入門」でも述べている。そしてヘンリー・ステーテンは「ウィトゲンシュタインとデリダ」において、この二人の哲学の巨人の共通性として差延ということに帰している。その差こそ、実はソシュールが述べた言語の恣意性、そして自己と他者のドラマを介した他性認識の根源的な事態なのである。ある意味では事物に対して注がれるカント的な物自体の発想もまた、物自体の移ろいやすさとか不可解さを紛らわすためにこそ、再びジジェク流に言えば、無価値であることそのものに耐えられないことを忌避しながら、そこに善とか悪とかの判断を持つようにするのが人間であるということである。その意味ではハイデッガーが言う道具的存在者といったような認識は、無意味、無価値、無目的というような事態の忌避こそが全エネルギーの源泉であるということになる。そして恐らく死に隣接した人間は言語をそのための道具として利用しながら死への恐怖を紛らわせているのかも知れない。

Thursday, November 26, 2009

〔言語の幻想とその力〕2、真理相対主義と信仰の問題

 私たちは相互の存在を他者として、それは同一共同体の成員として、知人として、友人として、家族として認可し合い、それを手掛かりに意思伝達し合う。意思伝達することそれ自体が他者を相互に意思伝達し合える相手として認可している証拠であるし、そうすることでその相互認可を確認し合っているというわけである。しかし相互理解、例えば今山の頂上にいる二人の人間が私が指す方向に鉄塔が見えるか否かということが「うん。私にも見える。」と相互確認し合えるばかりではなく、もっとメタ対象的な話題において、本当に他者が私が述べた意味内容を理解してくれているのだろうか、という疑問、あるいは私が述べる真理の意味作用を私同様に今こうやって私と発語を交わす他者は理解してくれいるのだろうかという疑問は常に私たちについて回るのである。相互に誤解に基づいて了解し合っているだけの場合も、それはいつもではないのだが、確かに存在するからである。
 しかし全ての発語において他者の自己との絶対的な意味内容了解の一致を確認し合っている暇は我々には残念ながらないのである。だからある程度の相互了解を得ることが出来れば、それ以上のものは相互に求め合わず我々は次の話題へと移行してゆこうと相互に了解し合っているのである。すると我々はこうここで一つの結論を見出すことが出来る。それは相互了解というものは絶対的な真理了解の相互一致ではなく、相対的な了解、それが酷くずれ込んでいるのではない限り、よしとしようという妥協主義的な観点による相互了解であるということが出来る。
 ただここで重要なこととは、要するにある重要な一致点さえ把握し合えれば、その一致点は実は話題模索と同様その場その時毎に模索し合うのだが、その一致点の了解をベースに我々は話題を展開し、移行すること出来る、ということである。
 例えばそれは話題とかその話題の設定という状況論的なことから、語られる意味内容的な面まで広く適合され得る真理である。
 「我々誰しも未来は予測し得ないものなのだ。」とか「我々は最早過去へは戻れないのだ。」という真理を、発語においてはもっと感慨を交えた形で我々はしばしば他者へと語る。それは無常観的な意見陳述とも言える。しかしその発語の意味内容的な真理はほぼ相互に話者同士に了解一致を得ることは可能であっても、意味作用的な例証性において、つまりそういう例として自己内部で想像する様は個人毎に大きく異なっているであろう。私がイメージする赤いというイメージとあなたがイメージする赤いというイメージがほぼ同一の色合いを指示しているという了解一致が見られても尚、その指示されたものを通して我々が得る意味は微妙にずれ込んでいると言える。それは赤いリンゴを幼い頃から沢山見てきた人とそうではない人の抱く赤いリンゴのイメージが微妙にずれ込んでいるようにである。
 しかしにもかかわらず我々は「赤いリンゴ」と言うと、その時誰しもこれこれこういうイメージものである、という了解一致を心的に設定しようとする。それをベースに「赤いリンゴ」という名詞を使用した発語の文脈を理解しようとする。そして我々は誰しもその「赤いリンゴ」という謂いを利用した会話において相互に同じことを指示して語っているのだ、と信じて疑わない。もし疑うとしたら会話は円滑に進行しないであろう。我々はある真理を語る時、それを了解し合えるという事態が、同じ意味内容を了解し合っているのだという信念と同時に、ある程度我々が抱くその意味作用的な例証性においてずれがあることを知りながら同時に、それは大幅にずれ込んでいるわけではないとい信念を持って発語しているのである。会話しているのである。このことは極めて重要である。なぜなら我々が語る真理が了解一致という面では極めて相対的なものでしかないと相互に薄々知りながら、それが酷くずれ込んでいる筈はないという確固たる信念を同時に保有しているからである。このようなことは家族とか親しい友人とかのレヴェルではなく、敵対する人間同士でさえあり得る事態である。
 例えばどんなに敵対していたり、嫌いな人間が話す意味内容においても、「赤いリンゴ」という指示がある程度信頼し合えるという事実は極めて言語活動において奇跡的事態であるとは言えまいか?
 ここで整理しておこう。我々は次にあげるような一連の了解一致の信念を抱いて発語に臨んでいると言うことは可能である。

① 私の語る「赤いリンゴ」が彼(女)が理解している「赤いリンゴ」と了解一致している筈だ、という信念を持っている。(指示性の一致)
② 私が語る「赤いリンゴ」を通した発語内容が彼(女)がその発語を通して理解している意味内容と、真理条件的な意味合いで了解一致している筈だ、という信念を持っている。(意味内容の一致)
③ 私が①、②を通して得た了解一致の観念を私と語る彼(女)も私同様了解しているという信念を持っている(信念保持の一致)
④ 私が語る「赤いリンゴ」を通した発語の意味内容を通して一致した了解の下で想像される意味作用の様相が酷くずれ込んでいるということはあり得ないであろうという信念を持っている(意味作用的想像の一致)

 ここで我々が上記のように持つ信念というものは、真理の相対主義でありながら、同時に了解可能性の絶対主義、つまり信仰であると言うことも可能である。つまり相対的な一致をしか掴み得ないのにもかかわらず、どこか一点では絶対的に理解し合える筈だという確信によって我々は言語行為を続行しているのである。それは真理相対主義を克服し、ニヒリズムに埋没することなく、最低限の理解は如何なる相手であろうとも得られる筈であるというコミュニケーションの意義に対する信仰があると言い換えることも可能である。
 そこで一つの結論をここで示そうと思う。真理了解の一致という面では我々はその履行を全面的にはなし得ない、そういう意味では言語は一種の幻想である。しかしその幻想性をも含めた力、つまり何ごとかは必ず伝達し得るのだという確たる信念が我々にはある。それを言語の力を通したコミュニケーション信仰と呼ぼう。
 我々はどういう相手をどういう話題を設定しても尚、何らかの理解を得ることが出来る。それはある意味ではその場、その都度の判断によって理解を得ているのであり、デヴィッドソン的な当座の判断である。だから何か理解するべき規範があるのではなく、ケース毎に存在する理解一致点を見出しているのだ。
 ウィトゲンシュタインはフッサールが認めていた前言語状態としての心的様相に対しては殆ど関心を持ってはいなかった。寧ろそういうものの存在に対して懐疑的であったと言えよう。しかしその両者はどこからどこまでを言語的思考と捉えるかという観点によって異なったタイプの哲学スタンスとなっているだけであり、当のフッサールが言語と無縁な思考というものを想定していたのかというと私は多少疑問に思う。
 だが少なくともウィトゲンシュタインは言語的思考を介在させずには思念出来ない思考というものの在り方と我々が日常無意識の内に採用するルール(それは文法といった形式的なことから使用という実践的な意味へと彼の哲学では移行してゆくのだが)に対して着眼して関心を注いだと言うことが出来る。しかし彼以降の哲学者たち、例えばデヴィッドソン、デリダ、サールといった人々は状況判断における普遍言語という思考能力を前提として論じてきている。それはサピアとかウオーフによる言語相対論というものがそれ以前の命題として考えられていたからであって、この論において私が言うところの相対的ではあるが、それでも尚その都度の理解点を得ることが絶対に可能である、あるいはそのように信じて発語しているような意味で、彼らは言語相対論以降の進化状況として彼らの哲学を作ったのだと今我々には言えると思う。
 何かを語ることは、その語られる対象に対して洞察したり、意味内容の探求自体に対する断念に他ならない。発語行為としての他者獲得という事態には、認識というものが不可欠であるように思われる。それは共同体的認識、社会認識の出発点である。勿論人間は言語習得以前的な他者に対する出会いはあるであろうが、いったん言語習得された(それは他者の意思疎通的対象性に対する理解の後のことである)後我々は他者を発語行為対象として認識するようになる。それから後の他者は従って自己にとって原初的意識となる。しかしフッサールは恐らくそれ以前に原意識というものを考えているようである。しかしフッサール的原意識というものは、デリダが言う原エクリチュールという概念(それは普遍言語認識的な捉え方である。「グラマトロジーについて」より)を能力として発現させる場に近いものであると考えられる。それは恐らくハイデッガーが現存在と呼んだ知覚主体の意識問題とどこかで一致した地点であるように思われる。
 断念という概念を二度ほど採用してきたが、実はこれは非常に重要なのである。というのも言語発語行為も、陳述、品詞使用も全て、語化というものは実相的にはそのものをカテゴライズすること以外の何物でもない。というのも「赤いリンゴ」という発話は、「赤黒いリンゴ」とか「カーマインのリンゴ」とか「赤いバラ科植物の果実としてのリンゴ」といった無数の形容と無数の指示の方法の中から一つのその場に適切な陳述の選択採用以外の何物でもなく、例えばリンゴ生産者間の会話なのか、植物学者間の会話なのか、日常的食料の買い物での会話なのかというような各状況に応じた陳述の体裁の選択採用に依拠した決定事項であるからである。それは陳述するその瞬間に他のあらゆる適切な陳述可能性を断念していることを意味するのだ。一つの叙述を成立させているのは紛れもなく、この他の<表現、形容>可能性の探求の断念なのだ。
 それは陳述内容、陳述形式、陳述体裁の選択だけに限らない。信じる内容、信じる対象といった日常的な判断の基礎となる全てに言い得ることである。そしてそのことは日常会話とか意思疎通の全てにも当て嵌まるのである。例えば厳密な了解一致がなされなくても、概ね理解出来れば我々は発語行為をどんどん先へと進行させる。これは一応全てを了解し合えたということをそれ自体は一種の幻想なのであるが、そういうこととして先へと進めるのである。これがなければ会話とか発話といったものは一切の進行を阻まれる。例えばある話者が「先週の日曜日秩父に出掛けた。」という内容を別の話者に告げる時、「よく秩父には行くんですか?」とか「日曜日はよくどこかへ出掛けるんですか?」とかその陳述を巡る話者固有の事情を一々全部了解しなければその先に会話が続かない場合、我々はその陳述を発端としたあらゆる陳述の主旨にはいつまでたっても進めない。つまり我々は一つの陳述の発話文章を、一応理解し、そういう内容の設定を前提としてその先を聞くことを望むのである。そういった会話とか発話といった全ての発語行為が拠って立つ前提というものは「そういうものとして聞く」というマナー、「そういう設定の下で理解する」という心的な了解が成立しているのである。これは一つのコミュニケーション信仰の実例である。
 ある陳述を話者が別の話者に行う時、その陳述は大抵、申し述べる話者の知っていて、聞かされる話者が知らないことを中心に展開される。そうした情報獲得の有無が発語行為を初めて意味あるものにする。私が見たもの、聞いたもの、感じたものの全てを誰もが了解し得るのなら私は誰にも何も語る必要はない。そしてもう一つ大事なこととは、そういう風に私だけが知る事実を私が申し述べることを私にとってのもう一人の話者が聞くことで何らかのメリットをそのもう一人の話者が認識し得るだろうという目測を私が持つことが出来る限りにおいて私は発語行為において陳述することを思い立ち、意志するということである。従って誰か他者が私に何かを申し述べるとすれば、その他者もまた私が誰か他者を陳述申し述べに対する聞き役として選択しているような意味で、私を聞き役として選択しているのだということを私は知ることになるのだ。
 しかしその陳述の意味内容そのものは、私が体験した何らかの事実によって成立しているが、その事実を聞かされた人は誰であっても、皆自分なりにその事実を内的に想像しているだけであり、その想像的絵図そのものは私が見たり、聞いたりしたものの様相とはかなりずれているであろう。要するに話者が心的に抱く過去事実に対する報告に関する限り、我々は話者の心的な様相というものは彼固有のもので、その事実に対する陳述の意味作用そのものは、報告者の内的、心的様相とは必ずずれていること、その陳述において話者である私は見たり聞いたりした当人であるが、その当人(私)のその事実に対する感受と思惑如何とは何の関係もなく、それを聞く者は私の言うことを自分勝手に想像することが許されている、そういうことを前提として、あるいはそうでなければ事実を陳述され聞かされて、そのことを想像することは出来ないというディレンマによって初めて成立しているということである。ということは、もし我々が客観的に他人の脳を開いてどういうことを想像しているかを確認し得ることが出来るのなら、自分が話す相手に想像して欲しかったことと、随分異なった様相で理解しているということを必ずそこに目撃するであろうということである。しかし実際上そういうことは不可能である。従って我々はそれをしたくてもせずに、ただ相手もまた自分が感受した事実に対する受け取り方と同様のものを受け取っているに違いないというある種の、確認に対する断念を携えて、つまりそれ以上了解一致を確認することを断念しながら、会話を、陳述の応報を続行しているということである。このことはコミュニケーション信仰があればこそ、その会話の続行を意味あるものにするが、よく考えてみるとかなり絶望的に我々が常に誤解によってのみ理解し合っているという現実をまざまざと見せつける。ここに本論の表題である言葉の幻想ということが浮上してくるのだ。
 それは真理が如何なる異なった意味作用の下で展開しても尚、その真理をある別の意味作用の下で陳述した話者の感受如何とは何の関係もなく、誰でも自分勝手な別個の、全く印象の異なった意味作用を連想しながら他者の陳述を受け取って(聞いて理解して)よい、またそういう齟齬を前提しなければ我々は何も他者には陳述することが出来ないという、要するに完全なる了解一致はなし得ないが、尚何らかの完全なる一致は得られる筈だという了解一致の幻想性を前提しつつ、かつその齟齬を常に伴った陳述応報の連鎖それ自体においては、どんなに齟齬をきたしつつも全体的なこととしては意思伝達することの意義を信じて疑わない、言葉の力を我々は認可しつつ、信仰を持って生活してもいるのである。
 そしてその事実を我々が認めるということは真理が相対的であることと、そういう相対性そのものを前提とするなら相互理解、つまり了解一致というものそのものは絶対的に可能であるという信仰を我々が決して見捨てることはないという一事を物語っている。
 真理とはしかしキルケゴール的に言えば決して誤謬のないものであるわけだから、それが相対的であるという思惟は少し矛盾するということになりはしないか、という疑問に対しては、真理の持つある意味作用の志向性というものは一元的であり、各自において異なった心的な具体的顕現(想像の仕方)があっても、尚その顕現された様相の部分的なもの同士の連関においては話者が伝える陳述に介在する真理は、どれも共通したものである筈であり、だからこそそれを真理と呼ぶに相応しいと言えるのだ。というのももしそれが真理と呼ぶに相応しくないとすれば、その陳述は意味作用の態をなさないこととなり、その陳述しようと発声されたものを巡って理解不能の声が聞かれることとなろう。つまり真理相対説とは、真理が相対的であるのでははく、その真理へと至る道筋の多様を許容するものであり、多様な様相においても尚一切の多様に漲る共通した性格こそ、真理と呼ぶものに相応しく、その真理が認識出来ない発話は、了解一致の幻想も、理解へ至る道筋も聞く者にとって見出されはしないであろうということである。よって真理とは意味内容であるよりは、ある特定の意味内容を通した多様な様相における了解へと至る道筋において共通する志向性(理解への志向性でもある。)の目指す先であると言えよう。それは異なった様相という道筋を許容し、了解一致の幻想に対する信頼、つまりコミュニケーションへの信頼という信仰心によって支えられている。
 ところで我々はそういう他者との間での信頼をコミュニケーション信仰によって確たるものとしているが、実は我々はそうしながらも自らの時間を自分で左右することが出来ない。我々の生の時間はある日突然絶たれる。死の到来である。
 死は生物学的にもなかなかその正体が掴めないもののようである。進化論的には死は多細胞生物による進化上の獲得形質であるらしいという考えが、細胞分裂の限界とかアポトーシスと呼ばれるものによって説明されてきている。次節ではその死を巡る我々の言語活動において介在させる信仰の問題について考えてみよう。

Friday, November 20, 2009

〔言語の幻想とその力〕1、言語活動_あるいは不在のメタ対象へのかかわり

 私は先月まだ紅葉になってはいない秋口に、箱根にバスで日帰り旅行をした。しかし残念なことにはその日は午前中からずっと雲行きがよくなくて、結局正午過ぎには酷い雨に見舞われ、山の風景は全体的に霧と靄に包まれ、晴天であるならくっきりと認められる富士山や箱根の山の輪郭を見ることが出来ず全体的に悪天候の旅行となったのだった。しかし裏を返せば、その日の旅行の収穫は、実はある私の私小説形式の小説作品の導入部の描写に必要な取材旅行だったのだが、かえって晴天であるが故に心の陰影を感じさせない風景とは異なった、要するに例えば悪天候から次第に快復してゆき、太陽の光線が曇り空から斜めに射してゆく光と影のドラマを私に齎してくれた気さえするのだ。それは絶好の天候にはないある倦怠感の齎す心的様相を哲学的に私に与えてくれたのである。
 だから我々はこう言えるのだ。健康の意味がいったん健康を崩した時に自覚出来るように、悪条件下において初めて我々は条件の良好さの有難みというものが明確化するのである。健康状態の悪化は健康の美の有難さを寧ろ健康状態の時には覚醒しないような深遠なレヴェルで我々を釘付けにする。それは深層心理の自分では普段は気付かないある種の健康的鈍感さによって忘却された事象からの覚醒を伴って立ち現れると言っても過言ではない。
 ハイデッガーの道具的存在者が有用である内は、健康な状態の身体同様「死」は意識されない。しかしいったん私たちはその道具が機能しなくなると途端に物としての存在感、ある意味では役に立たないが故の鬱陶しさが立ち現れるのである。病の身体が死を意識させるようにカントの言う物自体とは、実は我々が物を見るだけではなく、他者の眼差しのように物自体もまた我々を眼差していることの覚醒であり、それは私たちもまた死んでゆき、物自体へと同化してゆくことを連想させる。
 死への連想は生の有限性、生の中での出会い(人、職、住処)の可能性の有限性へと我々を思念させる。この有限性への認識ことが、無限性を生む。この思念の意思伝達が言語活動である。有限性に対する認識が無限な想像の可能性を我々に齎す。例えば今研究室の机の前にいる学者は、あるいはオフィスにいる会社員は自分の世界の中での位置を地理的にも社会的にも認識し得る。どこどこの国のどこどこの町、どこどこのビルの一室にいると自分を世界の一部として認識出来る。しかしそれ以外のつまり彼がいる場所以外の別の場所のことを想像することが可能である。それは自分の存在を中心にすれば有限な事態が立ち現れるが、他者とか自分の知らない地域にもまた人々が住み、仕事を自分のようにしているということを想像することが可能な意味で、その想像対象は無限に可能である。そういう自分の想像対象設定の無限性という認識においてまず我々は日常的に無限という観念を自らのものにすることが思念上可能なのである。
 言語活動の大半は現前的知覚対象外の要するにメタ対象を対象としたものである。それは不在への言及に他ならない。このメタ対象へと志向した発語(想像、類推、仮定、想起)行為の反復は生の時間の経済への認識と期を一にする。つまり時間の経済と有限性の認識が無限性へと思念上展開されるわけだが、そのように現出させる価値としての無限こそ東洋哲学の無、空にも関係してくる。ハイデッガーの言う(「存在と時間」)適所性とは、行為としては意義、物としては存在理由というように位置づけられる。実はこれは存在論の認識論と一元化された(ミシェル・アンリ的に言えば)目的と手段の因果論的見方に端を発する。
 キルケゴールは「哲学的断片」で、教師とは真理を教える人であり、それは即ち神であるとした。(ということは、我々はその生徒であることになる。)私たちの自然科学的、数学的認識も全て実は客観的であるとしながら、そのこと自体で一つの信念である。あるに過ぎないと言えばニヒリズムに直結するし、信念を支える信念と言えば無限後退へと我々を誘うことになる。信念の一つの典型的なものの一つは、不可知のものの無限性と可知のものの有限性である。そこで私たちの祖先は不可知のもののない完璧な存在を神として設定する。ということは神設定とは不可知領域の存在の真理に対する認知という信念に他ならない。ある思念の言語化、あるいは言語化のための思念とは即ち思念の断念に他ならない。しかしこの見方はフッサール的ではあるが、ウィトゲンシュタイン的ではない。フッサールは言語を言語たらしめる何らかの心的作用を認めたが、ウィトゲンシュタインはそのようなものに対して懐疑的であった。そこにこの二人の天才哲学者の思想を受け継ぐ意志を巡って、大きな分岐点を後世に齎したと思う。実は私はこのことに関してまだ自分でも決着がついていないのである。しかしそれは後に詳述しよう。
 取り敢えずそのことに対する結論は先送りすることにして、今はフッサール的観点を採用して考えよう。思念を伝達するために音声的発生において表出することで、それ以上その思念に留まることを断念しているのである。ある特定の思念への「居留まり」とは思考の停滞を招聘するからである。不在のメタ対象への言及は無限に対する有限化という自己欺瞞であると言ってよい。というのも何かを話題にすることそのものが。実はそれを目の前にしていても尚、知覚されたことについての表明であってさえ、知覚されたことそれ自体に対する言及である。まして今不在の対象に対して話題にすることとは、その対象に対する過去の知識、情報、その対象に対する考え、感情的な思念といったものが入り混じる。それは最早不在対象全体に対する捉え方の表明でもあるのである。
 もともと語り尽くせない不在のメタ対象とは生の時間において知覚対象と不在対象(想起を誘引する対象としての)の有限性と想起的仕方の無限性への幻想(実際はそれとて生の時間が有限である以上、人間にとっての話題構成上の対象の全ても有限であるが、出会いそれ自体の可能性は無限であるとも捉えられる。)である。人間は未来の不確定性へと向けて無限の未来可能性の前で佇んでいる。哲学とは恐らく我々が意図的に作る不在のメタ対象間の言語的連鎖以外の何物でもない。
 批評がメタ言語であるなら、哲学はメタ対象間の連関、例えば先述の有限と無限といったもの同士の相関性への言及である。自己意識の所在である身体の有限性、生の時間の有限性(時間的な)が逆にそれを超える空間的延長、時間的延長というロック流の認識の彼方に無限を設定する、ということである。
 哲学に登場する概念はその殆どが抽象名詞である。抽象名詞とはメタ対象の自覚的な言語化である。私が見るリンゴは何百あろうと何千あろうと生きている内には世界に存在する全部のリンゴの、あるいは世界に存在した、これから存在するであろう全部のリンゴ(少なくともリンゴが絶滅しない限り)のほんの一部でしかない。あるいは私が出会う人々もまた勿論人類のある極めて極少に限定された一部の人々でしかないだろう。そのように私たちは限られた時間で限られたもの、人とのみ接する。しかしそれら特定の人々によって私たちはリンゴと言い、人と言う。別にそれらがリンゴ全体を、あるいは人全体を代表しているわけではなく、ただリンゴというカテゴリー、人というカテゴリーを通して、ある特定の存在物を認識しているということだ。そのカテゴリーを通した特定の事物や対象の認識それ自体が抽象名詞化された一般名詞の使用を巡る心的様相と言ってもよいであろう。メタ対象とは言ってみれば、概念の根源的な在り方である。
 しかし一般名詞におけるメタ対象は、具体的像が心に浮かぶ。それに対してメタ対象的自覚(メタ対象としての自覚)を持つ言語は、メタ対象間の関係概念であるが故に、具体的像とは異なり、抽象的関係像を、その概念を理解するために現出させざるを得ない。よってそれらは明らかにそのもの自体は、不在なのである対象間の連関という私たちが対象に付与する認識に他ならないのだ。それはウィトゲンシュタイン風に言えば私たちの言語ゲームを円滑にするためのものなのである。そしてここでも問題となることとは、ある対象の属するグループを概念(あるリンゴならリンゴという風に)とするのなら、あるいはその概念間の関係性そのものを全ての事例で確認することが不可能である(全てのリンゴの色彩、形状を確認することは我々には出来ない。)し、全てのリンゴとミカンの柔らかさを確認することは出来ないが、大体においてミカンはリンゴよりは柔らかいものであるということ、リンゴはどれも皆赤や黄、黄緑に近い色であり、青や黒といったものはないであろうとか、どんなに柔らかいリンゴでも、それは何らかの理由でそういう状態に今なっているだけであり、本来ミカンよりも柔らかいリンゴはないであろうという信念を私たちは持つ。つまり判断の質量として我々は信念というものを持つのだ。ある信念は別の信念と隣接しおり、その信念同士は連携プレーをしている場合もあれば、無関係の場合もあろう。しかし少なくとも一つの判断というものは恐らく幾つかの複数の信念が交差してなされると考えることが出来る。フッサールは自然科学的認識もまたその科学的なデータは信頼に足るものであるという信念によって支えられていると考えたのである。しかしそのような認識に至るまでの西欧哲学においては哲学的な思考の自律以前の神学的な認識との隣接、そこから離脱しようと欲すればするほどその残滓が堆積するというようなニュアンスも出てくる。 
 例えばハイデッガーが世界内部的道具存在者と言う時、自分を神の力の容器とルッター派が捉え、自分を神の道具とカルヴィニズムが捉えたというマックス・ヴェーバーの認識(「プロテスタンティズムと資本主義精神」より)は、前者を神秘的な感情の培養へと赴かしめ、後者を禁欲的な行動原理へと赴かしめることとなると思われる必然性においては、より後者の捉え方を喚起する思考原理であるとは言えまいか?
 なぜそのような心的様相へとハイデッガーが至ったかということについては西研が述べている(「哲学的思考」より)ように戦争の勃発による心的な不安要因が考えられるであろう。しかし人間は本来的に言語行為によって不安(それは未来に対するものであると同時に無限性へと向けられている。)を払拭するように生を生きているのだ。とすると我々がメタ対象という不在性へと依拠しながら言語行為を執り行うこと自体もまた、不安の払拭という意味を持っていることになる。それをここで無限の有限化と規定しておこう。
 熊野純彦はハイデッガーが「私」から「存在」への志向、レヴィナスを「存在」から「私」への志向という風に捉えている。(「レヴィナス入門」より)しかしこの両者のベクトルの対照性は、実は我々の認識の多義性にもよるのである。例えばハイデッガーが「遠ざかりの奪取」と言うこととは、存在者を対自的にも対他的にも世界の只中に取り残された孤立者、言ってみれば空間内における疎外者として位置づけることを意味する。しかしこの思念そのものはカントが世界の始まりと終わりに関してそのことの有無を巡るアンチノミーとして「純粋理性批判」で提出した考え、つまり「背進」という認識にも通じることなのだ。ある領域の設定はその領域外の存在を前提するし、その領域と領域外全体を包括する世界を前提する。そして世界とは限界あるものと捉えても、限界のない無限と捉えても、尚双方とも共通して言えることとは、要するに何かが設定されれば、必ずその先には何かがある、その先にも何かがあらねばならない、あるいはその先には何もないということはそのものの存在を不可能ならしめるという思念が不可避的に立ちはだかっているということである。
 そこで再び有限性という事態は、それ自体無限性を前提していることになる、という思念が持ち上がる。あるいはこう言ってもよい。無限というものを理解するために有限を我々は持ち出しているのだ、と。
 言語行為は不在のメタ対象に対する言及行為であるということは述べた。しかしそれは我々が世界を前にして、あるいは世界の中で位置する、存在する、世界を設定する我々自身による世界認識の思念的な表出として、意識的、無意識的とにかかわらず、他者と自己の社会的関係、あるいは他者と自己の心的思念の共有の確認として行われると捉えることも可能である。ハイデッガーは自己と他者という思念よりは世界の中での存在者を考えた。しかしレヴィナスはある意味では他者を自己の壁、それは対他的な意味、つまり対外的な意味でも、対自的な意味、つまり内向的な意味でも自己にとって立ちはだかる壁として位置づけている。それは自己と他者を分かつ記号として、存在自体の、あるいは消去不可能な、そして侵害不可能な対象としての顔として現出するものとしての他者である。するとハイデッガーは有限性から無限性へと、そしてレヴィナスは無限性から有限性へとベクトルを位置付けていることとなる。その時この二つのベクトルにおいてメタ対象性とはどのようなものになるのであろうか?
 空間の中の、とりわけ世界として認識された空間の中で立たされる存在者としての実存請負い型話者というものをまず考えてみよう。それは自然の中で自然と対峙する姿勢であれ、一体化する姿勢であれ、それらは皆自然と人間という二元論的な認識である。話者が私を超えて現存在の具現化された実体として発語行為をなすのであれば、それは音韻的な、極めて身体運動、身体生理学的な行為として言語活動を設定することが可能である。しかし存在から私へと志向する場合、我々は他者を壁として、ある意味では平坦ではないものであるし、かつ自己の意志ではどうにもならないものとして認識するわけだから、発語行為それ自体はあくまで共通の話題を探るという観点から考えられることとなろう。
 話題というものについてちょっと考えてみよう。話題とは認識し得る事物、現象つまり対象、そしてそれは存在するものと存在し得ないものとによって設定され得る対象間の、つまり対象とメタ対象との相関的な関連図式、あるいは自己と他者の関心領域に適合するような関連図式である。話題は予め設定されているわけではなく、当座の共通関心領域として認識されるわけであるが、実はこの共通関心領域が話題を通して認識出来るということ自体が自己と他者が共通の対象とメタ対象間の関連図式の了解事項が設定されているということとなる。デヴィッドソンはそれらをア・プリオリなカテゴリーではなく、寧ろその場、その時に当座の認知として獲得してゆくものであるとしているが、実はそのこと自体、つまりそのように当座の意味と理解の獲得をなし得る能力をこそア・プリオリと認めてもよいのではないだろうか?それは要するに他者理解をなそうとする意志と、自己と他者の壁と溝の克服を旨とする意思伝達の意志である。つまり意志とは発語行為発現の能力を滞りなく履行させる当のものなのである。ここで纏めておこう。

①空間内存在者としての発語行為→音韻的、音声発語的行為の生理物理的観点

②私という存在、つまり自己と他者の壁を通した発語行為→共通関心領域の模索、話題設定という観点

 前者をハイデッガー的認識として、後者をレヴィナス的認識とすることもまた可能であるが、前者は常に後者を後者は常に前者を必要とするのである。その意味では前者を対自的、後者を即自的な言語活動への認識と考えてみてもあながち間違いではない。
 また①を構造主義的なアプローチに見られるラングとしての言語、そして②を分析哲学、言語哲学(日常言語学派以降の)のアプローチに見られる真理条件的な言語への解釈において顕著に確認され得る成果と見ても間違いではない。しかし言語行為にはそういった顕現された発話内容と作用、つまり音声的に他者に語りかける意味作用と、その意味作用を通して伝達される意味内容という面以外のものも伝える。それはレヴィナスが触れている(「存在の彼方へ」より)のだが、語ることというのは語らないことを語るということである。それは可知が不可知をも顕現するような意味で、言語活動そのものが語り得ることが語り得ぬことをも語るという、可能、不可能ばかりではなく、語りたい(伝えたい)ことを語る(伝える)ことというのは語りたくはない(伝えたくはない)ことを語らない(伝えない)ことの表明でもある、ということであるし、そういう真意の表明であると同時にそういう真意を認可し合う形でなされる、つまりそういう前提を持った意志伝達であるということをも意味するのである。だからここで言うメタ対象ということとは、対象という明示されたもの以外の不在への言であるという言語活動の諸相が実は、メタ対象というものを通して自己と共に語る他者が語り得ることを相互に選択し合うということの了解と認可においてこそ初めて信頼を得ることが出来るということの実践でもあるのである。ここら辺の主張はごく僅かではあるが、フッサールにおいてもなされていたし、サールなども大きく取り上げている。
 だが私たちが今しっかりと確認しなければならないことというのは、言語活動というものがそういう了解と認可という面でなされているということの事実において、我々がそういう形で言語活動がなされること自体に意味がある、あるいは言語そのものにそれを誘引させる力がると信じているということが大きな問題として浮上してくるのである。
 それは言語行為そのものが、そのことによって真実が伝達され得るのだという楽観的な観測の下で執り行われる行為であるという我々自身の認識が、「そうである。我々のなす言語行為は真実を伝える。」と信じることが、真に真実であると信じつつ、幻想ではないかという懐疑をも捨てきれないところにある。このアンヴィヴァレンツの正体こそ今問わねばならないことなのである。
 そのことへの問いというものが、実は我々が見ることの出来るものが物自体ではないという現象認識と同様、我々が語ることが真理であるとは限らないという懐疑論の出所であるし、また相対主義的な心理主義の出所であると言えるのだ。あるいは自己と他者の相互理解、あるいは自己と他者の相互理解の意味内容的な一致が履行し得るのか否かという懐疑の出所でもあるのである。それは人間相互の愛というものが、相互に信じ合うことを基本としながらも、その愛の内実が微妙にずれ込んでいるということに対する直観と、そういう直観を持つことそれ自体をニヒリスティックに捉える必要があるのか、それともそうではないのかという面での論議もまた要求されているのである。

 

Friday, November 13, 2009

書き・読み、語る・描き、見る・聴く<言葉・絵・音楽> 第三章 聴く

 私は前章で少々物語ということを述べた。物語を生きることを虚妄的と言ったが、それは多分にサルトルの言った自己欺瞞的な側面からであった。尤も彼はそれを否定的にばかり使用していたわけではない。
 さて絵画で風景画が定着したのは比較的美術史上では最近のことであるが、我々はどこか自然そのものをも虚構化したくなるからこそ、風景画を描くのだ。つまりこの自然に対する虚構化という欲求があらゆる自然科学を人類の英知として我々は物語化してきたのだ。自然科学を信じるということは即ち、自然科学を英知とするという物語を生きるということである。
 私たちはフッサールの言葉を借りれば生活世界という物語を生きる。あるいは社会制度という物語を生きる。資本主義という、あるいはマルキシズムという物語を生き、出世という物語を生き、金儲けという物語を生き、各人生に固有の記憶内容が固有の物語を提供する(と少なくとも思っている)。例えば過去を想起して、後悔することもあるが、実際のところ、様々な過去の思い出という奴が私たちの人生を作品化する。過去における自分の衝動的な行動の方が振り返ってみると、どこか必然的であったと思えるような部分も我々にはある。つまり過去は全ての衝動を必然化するのである。
 社会制度に随順して生きるということは文化や伝統を物語、つまりフィクションとして受け入れ生きることである。これは勝者にも敗者にも言えることである。
 つまり私たちは人生の転機であると言いながら、そう判断することで人生という物語を生きる。いじめられていると自らを感じ、不登校をし、引きこもりそういう生き方を仕方なくしていても、そういう風に理解しつつ仕方ないという物語を生きる。進化論生物学者たちは個体を主とした自然選択による進化という物語を生きるし、古生物学者たちは断続平衡説という物語を生きる。それ以外にも我々は初詣、収支決算、決算報告;旅行の日程、株主総会、盆踊り、忘年会、CMとニュースとが挿入されるテレビ番組とマスコミという物語を生きる。入学式、始業式、卒業式という物語を生きる。聖書や仏典やクルアーンといった宗教聖典という物語を生きる。それら全ては実はそういう生き方を制度的に共有し合う言語ゲームによってなのだ。
 しかしそのように物語の渦中にいると常に考えて生きることは一面ではかなりしんどいことである。だから本当は一人一人が異なった物語を常に生きているのだから、小説家など要らない筈なのに、プロの作家たちの書いた小説を有難く読み進める。それは自らの物語があまりにも平凡であるから小説を読みたくなるのではなく、自分が常に物語の主人公であるということのストレスを忘れ去りたいという欲求からそれを読むのだ。「本当の物語」はプロの作家に任せておけばよいという代理感情が支配しているのだ。しかしそれは自然を虚構化し、言語という幻想を生きる我々が一時たりとも自分の物語を外れて生きることが出来ないという事実に対する直視を逃避した「本当の物語」という幻想以外のものではない。また民間であれ公的機関であれ、責任ある地位の人間は全ての社会成員が実は自分の物語が本当に「本当の物語」であるということに目覚めれば、革命や暴動が頻発することにも繋がるし、それは管理上困ることになるので、代理実践者として文学者とかアーティストという呼称を設けて彼らに個々の願望を解消させているのだ。
 聴くということは実は言語行為でも自然に接している時でも常に我々は実行している。しかしそれを情動そのものに浸りきりたいということで聴くということとなると、音楽以外にはない。音楽もまた個々の物語の主人公であることを一時忘れたい欲求が受動的に音楽が作る流れに身を任せるということによって成立している。
 ミシェル・アンリの著作に「共産主義から資本主義へ」というのがあるが、現代の金融経済危機という世界規模のクライシスは実は、かつて共産主義が崩壊した時期の世相とよく似ていると私はこのテクストを読み進めながら感じた。そしていつしか歴史というものそのものも時間に対する我々の自然の虚構化、つまり物語化以外のものではなく、それは受動的音楽の流れに身を任せることに近いものではないかと思っていた。つまり歴史は繰り返す、とそう感じる(実際はそうではない)ことそのものが、かつて聴いた音楽とよく似たフレーズを昨今流行っている音楽のメロディーラインから読み取るということに近いと思ったのである。
 過去は全ての衝動を必然化する、と私は言った。しかし実際過去という実体がどこかに存在しているわけではない。それは記憶がそうでっち上げているだけのことであり、私たちは想起され得るものと、記録によって確かめられるものを過去と呼んでいるだけである。すると「過去にあったこと」という捉え方そのものによって過去に私によって発せられた衝動や気分を何故か必然的であるように思えるということは、私自身が私の人生全体を記憶や同一性に対する信仰によって把握することが可能であるからに過ぎない。それは「自分は自分以外のものにはなれないのだ」という諦念に近い心理からの想念かも知れない。
 しかし私は恐らく死の瞬間まで「自分は自分以外のものにはなれない」と思いつつも、今の自分ではないもう一つの自分を追い求めていくだろう。これは私たちが日頃から常に心においては原因と結果が一致しないという感じを私が持っているからである。こう思ったからああしたではなく、そう思ったけれどもああしたということの方が多いというのが人生だし、何か決意したことも予定して決意したわけではない。それなのにいざ決意してしまえば、もっと前からそうする積もりだったとそう思うのである。
 音楽を聴くということは、既に作曲された楽曲演奏でもジャズのような即興であっても、既に演奏家の脳内には「今日はこんな感じで演奏する」という意志が粗方決定されていることそのものを受容しているわけだが、その流れに身を任せるということは、しかし「自分以外の身体的な律動」に身を委ねることになる。聴くということは、現在時の音を瞬間的に把握しているのではなく、もっと全体的な流れ、それはさっき始まった音の出だしということから今まで続いている音の流れ全体を把握する、要するに過去になりきらない過去の音の痕跡と共に今の音を聴いているということで、これは発声者、つまり話者、つまり語る者の言葉を聴くことと殆ど原理的には同じことである。しかし音楽は言葉が意味の理解に全神経が供せられているのに対し、もっと情動的なリラクゼーションと、情感的な想像、あるいは感情的な物語的進行そのものを楽しむために我々は聴いている。
 論理とは聴覚的なものであると養老孟司氏は「脳のシワ」という本で述べておられるが、まさに音を聴くように論理とは、その理の展開の中にある理屈自体を把握するのに親しみやすい物語の構造を把握するかのように理解するものである。しかし音楽は論理的な意味での理解しやすさだけではない。論理が理解しやすさと明快さ以外のものを排除しているのに対して、音楽は言葉では明快に示し得ないような感情を表現することが可能だからだ。
 第一発声者は恐らく獲物とか自然災害に面した人類が何らかの行動を促進するためにある成員が発声して、その時に相互に受信した者との間で表情を確認し合ったということに発するだろうから、その意思疎通の相互存在感確認という意味では音楽以上の情動と情感が伴われていたかも知れないが、やがて音声=意味ということになると、途端に意味了解の本質以外のものを排除して、例えば現代のビジネスマンが犇めき合う満員電車の中で作る無表情のように理解しやすさと明快さ以外のものを排除しているということが意志伝達の際にさえ顕在化してきたことを考えると、原始的な心の律動にもう一度立ち返るということが音楽に私たちが求めてきていることかも知れない。
 それは恐らく最初に何か声を出して唸ったりした時、第一発声者によって既に音楽が行われており、その発声が言語行為として定着していったことによって、逆に、言語行為が意味と音声の連携プレーになった段で、それとは違う形での意思疎通、しかもそれは陶酔と共鳴と他者相互の合一といったことだけが目的の発声になった時、彼らが第一声楽履行者となったり、あるいは最初に仕留めた獲物を包む籠や運ぶための棒などを叩いたり、日引っ掻いたりした時に音が出て、それを規則的に行うとか、要するにそこにリズムを発見したりした時、そのリズムを一旦は中止していたその者に別のもう一人が楽しいから止めるな、もう一度やれというように目配せして催促したのかも知れない。これは第一打楽器演奏者と第一打楽器演奏鑑賞者の誕生の瞬間である。
 時代は更に経過し、そこではメロディーが既に出来上がっていた。そして第一コード発見者がいた筈だ。いやその前に長短の調を発見した者もいた筈だ。そしてあるコードから別のもう一つのコードへと移行すること、それに二つ以上に恐らくもっと早く違うリズムを重ね合わせること(ポリリズム)、あるいは一つの曲に二つ以上のリズムを変則的に繋げることを最初にした人物がいたわけである。
 しかし意味論的には、と言うより感情表現的にはあるコードから別のコードへと移行することそれ自体に内在する感情の変化に対して気づいたということが、その発見者並びに、その発見者の周囲にいた者の功績である。
 音楽はある意味では現代社会では既に形骸化したコミュニケーションに対する批判体、あるいは警鐘として存在しているようにみえる。しかしそのことは本来音楽が形式的な言語行為外的に発展したのではないかという思いを抱く時には妙に現代社会の状況とは無縁に説得力を持つ。いや音楽こそが寧ろ最初は言語行為以前に定着していて、そのシステムを言語行為の方が模倣して発展進化したという風にも考えられる。
 絵画の場合、それらを鑑賞することが好きな人にとって有名であるとか、名画であるとか、権威づけられたレッテルというものを極度に警戒し、信用しないタイプの人々というのも大勢いる。そのことを考え合わせれば、音楽こそ最初は最も無名性のものだったのかも知れない。デザインは無名性のものである。アファール猿人と呼ばれる人たちは、その斧に奇妙な細工をしていたらしいが、その細工それ自体は何ら斧そのものの目的とは無縁のものであったらしい。つまりいい細工を施された斧を持った男が女から尊ばれたのではないかというのが人類学者の考えているところらしい。それは要するに孔雀の羽がかつては異性を惹きつける道具だったということ(現在の孔雀では発する音声こそが異性を惹きつけると考えられている)と相通じることかも知れない。すると音楽にもそのようなこと、つまり社会生物学者たちが想念してきたような意味で、異性を惹きつける戦略として作用してきた歴史が横たわっているのかも知れない。
 しかし異性を惹きつけることに音楽が供せられるということの前にまず聴くことに対して熱狂する、あるいは陶酔するということに対する感知ということがなされていなくてはならないだろう。本章では聴くことを主眼としているのだし、そこら辺のことについて考えてみよう。
 
 最も基本的なこととして何故私たちは音楽を聴くことを必要としているかということだが、それにはどこか時間という観念に関係があるのではないかと以前から私は考えてきた。
 宗教では永遠ということを考える余地が人間に生じているが、何故永遠ということが想念されるかと言うと、恐らく人類発祥の頃から他者の死という現実があったからだと私には思えるのだ。つまり誰一人として死んだ者と再び生きていて会うことが出来ないということだけは言語行為が定着していない頃から人間の最も基本的な既知の事項だったのではないだろうか?そうすると、自分が死んだらまた会えるのかも知れないとそう我々の祖先は考えた。しかしそれを生きている内に確かめることが出来ない。つまりそれが生きているということなのである。つまり生ということの側から考えればどんなに想像を逞しくしても、一切そういうことは了解し得ない。それは永遠の謎であり、そこに永遠という考えが提出されることとなる。
 しかし時とは常にどんどん過ぎてゆき、朝は昼になり、昼は夜になる。そして幼子は成長し、老人は死ぬ。この死という生へと引き返すことの不可能な現実の前で哀惜の念が過ぎ去ってゆく者全般、そこには時間そのものも含まれるが、それに対して発生し鎮魂の情が生じる余地が生まれる。そしてその思いを発声によって示したものが「歌」だったのだ。
 音楽には切ないところがある。それがどんなに楽しい曲であれ、もの哀しいのは何故かと言えば、一切の音楽は終了するからである。そうかつて偉大な作曲家が言ったが、それは正しい。どんな長さの曲でも、それはまるで個々の人生のようではないか?
 過ぎ去っていくあの時の「今」、そして今の「今」。そして愛したあの人、この人。ごく単純な歌や演奏は、恐らく文字の発明以前に既に登場していたのではないか?
 人々を一箇所に集めることの出来たシンボルはアートであり、建築だっただろう。シンボリックな建造物や、モニュメンタルな塔や壁画の前で人々は踊り酒を飲んだ。歌はそこで歌われた可能性もあるし、誰かその中でも特に声の響きのいい者が朗読するような調子で歌を歌っただろう。ここに人類最初のコンサートがあった筈だ。例えば葬礼のような時に。この頃はまだ詩の朗読と歌の差などなかったかも知れない。そこに多少の違いが生じたのは、文字の発明だったかも知れない。文字の発明がより意味内容ということに比重をかけた表現と、原始的な唸りの差を生じさせたというわけである。表現の分化である。
 私は以前「死者と瞑想」<ブロガーの別ブログ「死者/記憶/責任」に掲載。>という論文において、ある親しい人との死別とは、私を知るその人しか知らない私(の顔、表情、気持ち、性格)への別れであると考えた<この考えは当ブログの「トラフィック・モメント」第九章 書くことの起源と葬列の順位 でも示している。>その人の前で示す私は他の人の前で示す私とは明らかに違い、その人と接する時にしか示さない私というものは、その人の死と共に永遠に別れを告げねばならない。この考えは今でも変わっていないどころか益々強まっている。私は17年前に父と死別したが、その時父親にとっての息子という私(の顔、表情、気持ち、性格)と別れを告げた。
 つまり愛する人、親しい人、好きな人、いや嫌いな人との別れすら、その人しか知らない私との別れ以外のものではない。「歌」の基本はそのことに対する了解であり、それを聴くことは過ぎ去る「今」と別れた人々への追想という意味合いがあったのではないだろか?追想してその思いを燃焼させることで再び明日を迎える、その気持ちの切り換えのためにも歌は必要だったのだ。それは小さな祭りでもあったのだろう。祭りは終わると、固有の空しさが付き纏う。まさに「宴の後」である。それと似たものは全ての音楽にもまとわりついている。音楽を聴いた後と前では明らかに気分が異なっている。
 何故歌を聴くこととは切ないのだろう?それは野暮な問いかも知れない。何故ならそれは生きていくということそれ自体が途轍もなく切ないことだからである。音楽を聴くことは母の胎盤に私たちがいた頃からその心臓の鼓動と、呼吸の度に揺さぶられる振動を感知していた時の記憶を呼び覚ますことなのだ。つまりそれは、生きているということが死から誕生し、再び死へと還ってゆくという私たちの運命を暗示しているようにさえ思える。つまり死という故郷に対する郷愁の念と、死者を送り出すということ、そしてその死者とは自分たちが生きている内には会えず、その者と死んだら会えるかもしれなくても、それを知ることは永遠に出来ない、何故なら死んだら「今」が繰り返し「かつて」になっていくことを知り続けて生きているということではない永遠の今であり永遠の過去なのだから、永遠に知り得ない謎であるという気持ちが一体化して自然と出された唸り声が歌となったのだ。そして、歌と合わせて身体を揺する、眼を閉じて陶酔するということが、狩猟の成功を祈り、狩猟の成功の喜びを分かち合うということから身体を唸り声を上げ、ものを叩き、身体を揺するということの習慣と結びついて、いつの間にか私たちは「そうであって欲しい」とか「嬉しい」とか「もの哀しい」という気持ちの意味を、意味として了解していき、その時言葉を発するということ、言葉を発して他者と自己の存在の意味を認め、そして絵を前に孤独に想念することを学び、文字を通してその文字を記した他者と一対一の対話を孤独にするということと音楽を気持ちの切り換えに利用することを習慣化していったのかも知れない。(了)

参考文献

 ウィルヘルム・フリードリッヒ・ヘーゲル「法の哲学Ⅰ」(藤野渉・赤沢正敏訳、中公クラシックス)
 エトムント・フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」(細谷恒夫・木田元訳、中央公論新社刊)
 ジャン・ポール・サルトル「存在と無」(松浪信三郎訳、人文書院刊)
 モーリス・メルロ・ポンティー「言語の現象学」(木田元・滝浦静雄・竹内芳郎訳、みすず書房刊)
 デズモンド・モリス「裸のサル」(日高敏隆訳、河出書房新社刊)
 ミシェル・アンリ「共産主義から資本主義へ」(野村直正訳、法政大学出版局刊)
 ナイルズ・エルドリッジ「ウルトラ・ダーウィニストたちへ」(新妻昭夫訳、シュプリンガー・フェアクラーク東京刊)
 ニコラス・ハンフリー「喪失と獲得」(垂水雄二訳、紀伊国屋書店刊)
 大森荘蔵「時は流れず」(青土社刊)
 各務浩司「死者と瞑想」(私の以前の論文)<ブロガーの別ブログ「死者/記憶/責任」にて掲載。>

 付記 これで「書き・読み、語る・描き、見る・聴く<言葉・絵・音楽>」は終わります。次回からは「言語の幻想とその力」を掲載更新致します。次の論文の方がこの論文よりはかなり長く続きます。しかし数日休暇を頂きます。(河口ミカル) 

Sunday, November 8, 2009

書き、読み、語る・描き、見る・聴く(言葉・絵・音楽)<存在と意味第二弾>第二章 描き、見る

 現代社会では作家という職業は殆ど一部の人たちに限られていて、文章というものはコピーしたものを知り合いに読んで貰うということなら容易に出来ることだが、権威ある人の眼にとまるかどうかということになると至難の技である。
 その点絵画というものは少し事情が違う。要するに絵画というものは、殆どそれを売って食っていくだけの力量とチャンスに恵まれた人というのは限られるが、同時にさほど有名ではなくてもほどほどの発行部数を誇る作家や評論家ほども一般の人には名が知られていない。つまり超一流であると国際的名声を勝ち取っているアーティストたちにしても、その作品を直に鑑賞することをする人たちというのが既にかなり限られている。つまり作家とか評論家といった立場の人たちは、本と、印刷物の発行による流通というシステムの中で知名度があるからこそ、その中でも一部絵画の世界の人もいるが、出版界でいくら知名度があるからと言って、あるいはテレビなどに頻繁に登場するからと言って、プロフェッショナルなアートディーラーの眼にとまるとか、流通しているとかということはまた一切別の基準なのだ。本当にプロのディーラーやコレクターに人気のあるアーティストというのは一般社会的な意味ではごく一部を除いて殆ど無名である。またそれは絵画という作品形式が、印刷物とかコピーによってそのよさが了解出来る文章とは違うというところにも起因している。
 作品というのは世界で一つしかなく、どんなにメディアで露出していても、それは作品に対する宣伝とかコピーだけであって、作品自体ではない。
 さて私は文章を書く以前に既に絵を描くことを幼い頃からしていた。勿論最初の私の絵の鑑賞者は幼い私自身だったように思う。尤も私の父が絵心のある人間だったことも手伝って父は幼い私が描いた絵を喜んで見ていた記憶はある。
 しかしまず私は基本的に私自身が鑑賞するために絵を描いていた気がする。しかし何らかのきっかけで私の両親がそれらを発見し、そこに私の絵に対する他者の視線というものが加わったように記憶している。その点では文章を書く行為と絵を描く行為は、何ら変わりないものであろう。絵もまた描いた絵を自分だけが気に入ってそれを室内に飾るということはあり得ることだし、他者の視線を得て、他者による評定というものが気になりだすということも文章を書くことと何の変わりもない。
 その頃はしかしまだ私は芸術とかそういう意識など殆ど希薄であったと思う。そもそも芸術という語彙を知ったのは絵を描き始めた頃よりずっと後であった。寧ろ関心は絵本や漫画の方にあったのであり、私より芸術という語彙を先に知っていた生徒が小学校にいたりすると、羨望の眼差しで見ていた気さえする。その生徒は要するに私よりも先に社会の制度という現実を知っていたのだろう。
 つまり私たちはまず学問とかそういう権威的な意識を得る前に、話せるようになり、読み書きを覚え、絵を描くということを楽しみとして知る。それは権威とは無縁のプリミティヴな感性の仕業だったのだ。
 しかし小学校の高学年になっていくと、そして中学校に入学する頃には私たちはいっぱしに遠近法とかそういう語彙さえ習得していく。私は大学に入学するまでは殆ど図画工作と美術は学校でもトップクラスだったように思う。
 しかしそれはある意味では私自身が先生に褒められる絵というもののこつをもいつの間にか習得していたことも手伝っていただろう。そのことの抵抗として高校に入学してから美術部に入部し、二年生の時に部長となり、やがて美大受験というものを意識したデッサンをするようになっていった。しかし私の入学した鎌倉にある私立校は、先進的な意識の先生も多く、文化祭でモニュメントを作ることを部活動では盛んにしていたので、私は鎌倉の海岸に落ちている空き缶を拾い、それを繋げてモニュメントを作るという私のアイデアに他の部員たちが賛同し、スフィンクスを象った作品を文化祭の際に校門の前に設えることを率先してやった。すると大勢の文化祭の見学者たちだけでなく、地方の新聞から全国版の新聞の記者が訪れ、とうとう夕方のニュースショーにまで取り上げられた。そのモニュメントは出来もよかったので、学園祭終了後には、材木座海岸に暫く設置されて人々の目を楽しませた。そして五大新聞のコラム(私の名前を紹介してくれた新聞もあった)や、五大週刊誌のグラビアにカラー、白黒で写真が掲載され、やがて海外でも私の高校のしたことに刺激され、特にヨーロッパでもそのスタイルの模倣が広がっていき海外の新聞でも紹介されたことは嬉しかった。つまり私たちのした空き缶アートというのは一種のブームにもなっていったようである。
 しかしある意味ではそういう風に作品を発表するということと、作った作品を何らかの形でメディアに宣伝したりすることの比重において、後者が優先されていくと、次第にうけるために作品を作るという意識になっていってしまう。これはあらゆる仕事における陥穽である。作家だけでなく画家も、他の全ての表現とか作品を提示する職業の人たちは、学者でもそうだが、勿論科学者の夢はノーベル賞を取ることだろうし、映画監督とかアクターたちの夢はアカデミー賞とかカンヌ国際映画際とかブルーリボン賞で賞を取ることだろうが、それはあくまで仕事をするための起爆剤であり、それ以上にそういうことと関係なく研究に没頭したり、作品作りに参加したりすることの方が常に大事なのであり、勿論現代社会で求められているものを模索するという意識は重要であるが、それが評価されることを期待するためだけになされるということは本末転倒である。
 一面では空き缶の仕事に対する世間一般のものの見方はマスコミによって誘導されたのだ。私が最初に思いついたのはただ廃物利用ということと、リサイクル(アイロニーとしての)ということだったし、観光地に観光客が捨てていくアンモラルに対しての批判という意識も私にはあったけれど、それをマスコミが話題化すると、モニュメントは見世物となった。別にそれはそれでいい。しかしそれはニュースの送り手の意識が話題を作るために、「話題に乗せるために作る」という意識を作家たちに発生させる。しかしそれは本末転倒であり、そういう一発当て屋たちが我も我もと発表すると、一見ムーヴメントのように見えるが、それはただのブームなのだ。そのブームをマスコミが便乗して報道してニュースと視聴率を作る。
 それは貸し画廊で発表するアマチュア画家たちが作り出す幻想(今のブーム)を利用してアートディーラーがそれを象徴するプロ作家をでっちあげるのに利用する狭い社会現象である。アンデパンダンで「アマチュア精神を売り物のプロ」がディーラーとキュレーターによって生み出されるのだ。矛盾!それは「作ったから発表する」というよりも「発表するために作る」という本末転倒を作り出す。(金メダル獲得後の石井慧の話題とかと似ている。)
 そうなると作品同士の競争ではなく、作品を発表する者同士の付き合いか、似非ブーマーのプロの乱立になる。ディーラーが価格を設定、来歴に来歴を積み重ね価格が上昇してもアーティストには何の関係もないのだ。その際クリティックが名声を煽り立てる。キュレーターはそれを権威付けるのだ。美術館へ島流し。
 哲学ではそういうの遡及的因果関係と言って、結果が原因を作るということでウリクトとかが「説明と理解」といったテクストで示している。

 ところでそういった文化祭で活躍するということと、美大受験に合格するということは全く別の能力である。私は結局二浪の末ある私立大学の人文学部の芸術学科というところに入学し、四年で卒業したが、卒業した後がかなり波乱万丈の人生だった。
 しかしこの章で私が述べたいことは、そういうことではない。要するにアーティストという職業とか社会的意識、あるいはアートとか美術(この言葉は日本にしかない。しかも美術にはアートとかアールとかクンストハーレといった英語、仏語、独語などが通常ファインアートしか含んでいないのに、この言葉には伝統工芸やデザインなども含まれている。)という文化とか制度というものと、その制度を作る我々とのことである。
 そもそもある絵を見て気に入るということそれ自体は、誰それにいいと言われたからそういう気持ちになるということとは無縁のことである。例えば教科書に載っていたから、その絵が素晴らしいのだろうというのは学芸員になろうと思っている人とか、美術の専門家になりたいと思っている人にとってはある程度当然のことであるが、少なくともそれ以外の人々にとってそういう見方は通常のものではない。教養としてある寺院の宝物に眼がゆくということのようにも絵に対して一般庶民が接しているようには少なくとも私の目には映らない。
 そのことは、ある意味ではどんな権威者がこれこそが素晴らしいと思っても、自分の感性ではこちらの作品の方に惹かれるという意識だけがわざわざ美術館で高い入場料を支払い絵画を鑑賞するモティヴェーションなのである。
 しかもこれこれこういう傾向の絵画が好きだということさえ、実は概して成り立たない。つまりシュールレアリスムの絵画の中でもこれは好きだが、これはあまり好きになれないというような、フランドル絵画でも、バルビゾン派のものでも、印象派でも、キュビスムでもフォービスムでも、あるいは一人の画家、例えばレンブラントでもセザンヌでもこれは好きだが、これはあまり好きではないという判断しか成り立たない。それは何故だろうか?
 私は高校生の時に美術部の顧問の先生が力にある方で、丸木先生のお宅とか、高田博厚先生のお宅とかにお邪魔したこともあったが、顧問の先生とは関係なく当時一大ブームを巻き起こしつつあった池田満寿夫氏にも会いに行ったことがある。その時氏に私は「高校生で美大受験を目指している者なのですが、何か一言仰って頂けませんか?」と尋ねたところ、氏は、「好きなことをやる、そして習っている先生に小さな影響を受けないようにね」と言って下さったことが印象に残っている。氏はその後芥川賞を受賞し、映画制作、恋愛と話題を振りまき、1997年に死去するまで第一線で活躍された。
 私は氏の小説も好きだった。マルチアーティストという呼び方が定着したことの功労者でもあったのが氏である。それ以外では安部公房氏や荒木経惟氏、糸井重里氏などがこの範疇で語られてきているし、北野武氏もまさにそうであろう。
 問題なのは池田氏が私に言って下さった一言である。習っている先生に小さな影響を受けないでいるということは、社会が制度として私たちに教養とか教育という名で囁きかけてくる一切を雑音として処理するくらいの持ち前の反体制的感性とでも言うべきものがアーティストには必要であるということである。その意味では岡本太郎氏も、棟方志功氏も皆反逆者でもあった。しかし彼らは皆同時に日本の伝統美ということにも拘った気がする。
 しかしそれは制度としてアートというものが一方であり、それに対して制度に随順するのではなく作り変えるという意気込みとしてある感性と、アートに対する意志の問題である。だからそれは政治家や起業家に求められているものと同じような要するにプロ的な見識の問題である。そういう意味では私がかかわった高校美術部での空き缶アートもまた、私は社会におけるアートの位置づけに対して批判してはみたものの、今になって思い出してみると何らかの形で発表という形式(画家が貸し画廊で自腹を切って個展をしたり、ディーラーと組んで企画画廊で個展をしたりといったことから、絵画を商品として取り扱うこと)とか、社会における現代アート(そもそも画廊のシステムに対する抵抗から育まれた歴史的経緯がある)の地位とかそういう意識が当時皆無であったとは言えない。
 しかし本章で問題にしたいのは、もっと人間に基本的なこととしての、絵を描くとはどういうことかとか、絵を前にして佇むということは一体どういうことなのかということなのである。しかも先にも述べたが、それは制度外的な感性、つまり市場価値とかそういう価値基準で見るのはアートディーラーなどビジネスマンたちの立場であり、鑑賞者とか、絵画を投機の対象とするようなタイプのコレクター以外の人たちにとって絵画とかアート全般はあくまで個人の感性の問題である。ではこの個人の感性とは一体どういうものなのだろうか?
 それは端的にある絵に対しては、ある作品に対しては共感し得るも、別のある絵や作品に対してはそういう気持ちになれないということに尽きる。そしてそれは専門家筋の見解ともずれ込むことも多い。それは好きなタイプの小説とか、好きなタイプの映画とか音楽とも大いに通じるところがある。今これこれこういう風なタイプの映画が流行っていると言われるが、私は頑迷に全く異なったタイプのこういう映画が好きだということでも象徴されるように、それらの選択眼というものは、その人間の日常的な人間関係とか、仕事の態度とか、仕事の時間以外の過ごし方とか、要するに全くその人に固有の生活や時間の使い方に大いに関係がある。それは要するに人生に対する思想が形作るとも言えるのだ。
 しかしその人固有だからと言って、似たようなタイプの他人というものは、多く世間では存在する。そしてそういった他人の中でも何人かは波長が合う仲間として話相手となったり、一緒に旅行する相手となったりすることだろう。つまりそこにも共感という作用が密接にかかわっている。そして大勢としてはこれこれこう言われているが、私は断じて別の仕方で仕事以外の時間を過ごすとか、旅行をするとか、要するに私たちは、そのようにどこか世間一般と外れていることを自分の生活上で発見すると、そのことに賛同してくれる仲間に自慢したくなるものだ。しかもその趣味があまり体裁がよくなかったり途轍もなく悪趣味でもなかったりしない限り、つまり自分でも我ながら教養と学識に裏打ちされていると自負している場合には、益々他一般の仕方を軽蔑し、その自分にとって優位に思われる仕方を採用することに固執し、その固執に共感し得る仲間が切実なものとなっていく。
 ここには幾分社会制度にささやかながら抵抗する意図というギャンブル的感性というものも介在している。アートとは少なくとも法ではない。それは法に従順である人間ですら感性で接することを望むものだ。科学と宗教との協調が美術史には介在しているが、少なくとも遠近法確立以前的には視覚芸術の秩序化はされていなかったから、現代アートと中世美術との境界はスタイルとそれを受容する一般鑑賞者の間にはあまり明確なものではない。勿論作られたモティヴェーションは全く違うと言ってもよいのに、ではそういったモティヴェーションに対する意識もツアイトガイスト(時代精神)によって誘引されているのだとしたら、一体本当にアーティストに自由など存在するのだろうか?
 しかしそれを敏感に感じ取っているのが鑑賞者たちなのである。
 つまり一枚の絵というものの私たちにとっての存在理由というものも、実は常に世間一般の価値観に対して自己の価値観というものを構築する欲求と関係があると言えそうではないだろうか?
 恐らく幼児が絵を描く時アートとかそういう意識はない。しかもそのように無心で描くことの価値に目覚めるのは、あくまで制度としてのアートとか、美術史ということを知識として知った後のことである。このこともまた極めて重要である。しかしそのことに目覚めた段階では既に私たちは巧く描こうとか質感とか、実在感とか、要するにアートの教養レヴェルの技巧とか鑑識眼に毒されているのだ。つまり失った後に初めて知る価値という奴なのである。
 つまり別に職業ではなくても、文章の巧い人というのはいるし、絵の得意な人というのもいる。しかし少なくとも多くのプロフェッショナルたちが過去から現在まで無数の仕事をしてきたその歴史において、文学とかアートというのも成立している。どんな日曜科学者でもガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートンのことを知っている。それと同じようにプロフェッショナルという意識にある人たちや、そのようにその時代でも、後世からも評価されている人たちは、少なくとも幼児が絵を描くその楽しさと無邪気さとは一体何なのかということに対する哲学的洞察においては皆優れていただろうと思う。つまりその問いかけそれ自体の真剣さそのものが作品を伴って美術史に残っているわけである。
 ならば制度に対する抵抗という精神的な図式もまた、制度とは一体何なのかという問いかけに他ならない。私は前章において意味とは自‐他という関係そのものが作り、そういった関係が存在するということと、その存在に対する確認こそが意味であると言った。そういう意味では制度と制度に抵抗するということは一対のものであるし、プロフェッショナルということとアマチュアリズムということも一対のものである。
 世の中のロックシーンというものを作っているのは、プロフェッショナルと彼らに対するCDの購買層であるファンたちばかりではなく、親父バンドのような要するにアマチュアたちもまた、彼らと共に作ってきているものなのだ。そういう意味では私は生活のたしにするために売った絵もあったし、空き缶アートのような売るために作品を描くということに対する抵抗的な行為も多くしてきたが、それは今年亡くなられた偉大な漫画家である赤塚不二夫氏が、ギャグということや、笑いという要素を追求していくことが、食うためである職業という意識からだけではなく、要するに生き方なのであるという哲学から、ギャグや笑いを追求していくと、次第に死というものの影がちらついてくるというような感覚はどこか理解出来る気がしたのである。
 デズモンド・モリスはロックバンドなどが現代で受けていることの理由の一つとして胎盤にいた頃から我々が母親の心臓の音を聞いていたということと関連付けているが、そのことと、絵を描くことというのはどう関係があるのだろうか?そこまで追求すると脳科学者による視覚野と聴覚野、あるいは側頭葉による言語的認識とか、要するにそこから考えていかなくてはならなくなる。しかし少なくともそちらの専門家ではない私でもある程度推測出来ることとは、何らかの原風景(私が言うのは、赤ん坊の時に最初に目に飛び込んできたものや、もっとそれ以前のまだ目が開いていない時の瞼が閉じた状態での原視覚)というものがどの画家にもあるように、幼児にもあるということである。しかも私たちの体内には古代の人類や、それ以前のエポックにおける我々人類の祖先のDNAもあるわけである。つまりかつて洞窟で壁画を描いていた人々も、何らかの形で第一絵画発明者と、その者以外の第二絵画鑑賞者(作者以外の第一鑑賞者)が存在したわけである。そしてその二者の存在が絵画を成立させたということは前章での文字や文書と同じである。規約とか、制度として定着する以前には、文字や文書同様、絵もまた起源的な自‐他の関係があった筈である。
 哲学では絵画を一種の記号であるとする考えから、言語の一つであるする考え、あるいは通常の言語とは全く性格の異なったものであるとする見方が錯綜していて、そこら辺はメルロ・ポンティーでさえそう明確に定義づけているようには思えない。
 しかしそれ以上に本章で問題となることとは、私たちは言語を既に通常、第一発声者や第二発声者たちのようには把握していないということである。つまりあらゆる社会機能維持のための言語活動そのものが、制度的な呪縛、端的には社会的地位や、社会階層や職業という社会機能維持という目的のために手段化されているということと、そのことに対する一服の清涼剤として絵画というアートを鑑賞するというスタンスが制度的な駒の一つとして定着しているような気が私にはするのである。そこでこの社会制度的な意味での言語と絵画とかアートとの関係ということに絞って残りの紙面では考えてみたい。
 とは言ってもそう深刻に考えようと言うのではない。もっと日常的なこととしてなのだ。社会制度とはあらゆる存在者を社会的地位という形で呪縛する。自己欺瞞という虚妄的な物語を受容して生きるのが、社会人の姿だ。つまりある大地主とか、政治家とか、寺院の大僧正とか、そういった人たちは土地の管理とか、その土地を巡る地元や政財界の人々との繋がりと、絆を守るために奔走し、ゆっくりと秋の空や紅葉を見て回る暇などない。しかし私のように暇な人間にとって秩父に行った時椋神社(秩父事件の徒の結集した地として高名である。)まで歩いたその日は小春日和で、快晴だったので心地いい日差しの秋の空と美しい紅葉が私を包んだ。それはつい最近神川町の城峯公園から、神流湖畔を歩いていた午後もそうだった。しかしその素晴らしい色彩に包まれた午後、私以外その時間には誰も歩いていなかった。つまり200X年の11月X日の午後はここ二三年ずっと私がその風景たちを独占していたのだ。これはあらゆる制度的な社会的地位という規制の物語を生き、それを運命と諦めている人たちよりは一層幸福であるとその時思った。と言うのも私たちは広い土地の所有者にはなれないものの、素晴らしい景色、素晴らしい自然の光景を眼にすることだけは一切自由である。これはある意味で牢獄に繋がれた過去の政治犯たちが、薄明かりの中で僅かに天井に近い辺りに設えられた明かり取りからだけ光が零れ落ちるその牢獄内で、その牢獄の周囲に広がる田園や森を想像するしかないような状況でさえ、彼らはその光景を想像することと、僅かな光が差し込むその牢獄内の光景を知覚し、その内部の視覚像を、様々な角度から全く異なったような空間として認識することの自由だけはどんな時の権力者も剥奪することさえ出来ない(私は近藤勇と土方歳三が今生の別れとなって流山の建物に行ったことがあるが、この建造物もまさに上部にだけ光を取る小さな窓が僅かに開いているそんな作りだった。ここで二人は隠れていたのだ。)ことにも繋がるが、つまりそれよりは、ずっと最初から自由である我々は、自然の光景全体をいつでも見て楽しむことが出来、その山や寺社、公園を土地所有することは出来ないにしても、それを見ることはそこの土地管理者よりもよりリラックスした気分で出来るということだけは言える。そのリラックスした気分だけが絵画を制作する気分へと持ち込むのだ。
 そういった気分はまさに生きることそのものがアートに接するようなものである。まさに見ることの自由ということは、一方で人々を惹きつける政治的権力(政治家だけの特権ではなく、官僚、経済界でもそうなのであるが)を一切諦めることからしか掴め得ない。
 社会的地位に伴う責任という語彙は、実は社会制度的な意味では管理責任という名で言い換えられる。しかし管理ということの内にはゆっくりとした、ゆったりとした気分で自然の光景に接している暇を与えてはくれない。それは自分に対しても管理する人々に対してもそうなのだ。それは管理ということにおいて、鑑賞するような気持ちでその広大な土地、雄大な自然を眺め入る暇を与えてはくれないのである。これは言語が価値の固定化に直結しているということとも関係がある。
 人間が本質的に自由なのは、社会的地位に伴う説明責任とか管理責任という名における言語による実存者に対する世間的な価値固定化(価値そのものもまた既に実在者の決意において固定化されている)によって行動を制約されることを引き受けてでも経済力とか社会的影響力において自由であるのか(そうすることが出来てもどんな権力も人の心までは支配出来ない)、そういう影響力や地位においては不自由でも知覚や想像において自由であるのかというこの二者択一を迫られているとは言えないだろうか?(そうなると赤ん坊はこの世界で他のどんなタイプの成員たちよりも自由ということも言えることになる。)
 だから少なくともアートにおいて自由であるということは、政治的権力を放棄するということであるよりは、寧ろそれを持つことが出来ないということ、あるいはそれを持つことが比較的自由であったり、能力的に可能であったりすることがその者にアートの自由を得る資格を与えないということではないのか?(これは瀬戸内寂聴氏がテレビの対談で語っていたことでもある)それは端的にアートの創造性というものが社会的責任ということの自由とは定義が違うということも意味しているのだ。
 しかし哲学者は世界を斜交いに見る。これは自由でいることとも少し違う。メルロ・ポンティーの次の言葉がよくそのことを示している。
「哲学はある種の知ではない。哲学は一切の知の源泉を私たちに忘却させまいとする警戒心なのである。」(「言語の現象学」木田元・滝浦静雄・竹内芳郎訳、みすず書房刊、261ページより)
 この謂いをアートにも適用するとこうなる。
「アートはある種の自由ではない。アートは一切の制度の源泉を私たちに忘却させまいとする冒険心なのである。」

Friday, November 6, 2009

書き、読み、語る・描き、見る・聴く(言葉・絵・音楽)<存在と意味 第二弾>第一章 書き、読み、語る(自分の他人化から他人の自分化へ・意味について)

 私は49年と三ヶ月くらい生きていてこの文章を書いている。従って今から十年経った時この文章は丁度十年前に書いた文章ということになるだろう。その時この文章を読む私は過去の自分を他人のように感じながら読むかも知れない。つまりその時の私はあたかも私がかつて書いた文章を「書いた人」の気持ちを汲んで読もうとするだろう。その時この文章に共感するか、疑問に思うかということが、これからの私の生き方にかかっていると言っていいだろう。
 私は文章を書くのが幼い頃から好きだった。しかし最初は何か「お話」、つまりストーリーのあるものの方が好きで、成長するにつれて次第に自分の胸の内にあるものを表現するものの方の分量が増えていった気がする。
 この二つ、つまり「お話」と自分の胸の内にあるものに対する表現とは、「書かれたもの」であるには違いないし、そういう意味では共通性があるのに、幾分かの違いは横たわっているように思う。それは一体何なのか?
 エッセイや自分の考えを述べたものは総じて日記と同じように少なくともフィクションとは違う意識に読む者を向かわせる。それは「あなたも私と同じような意見があるのではないか」とか「あなたも私と同じような気持ちとか考えになることもあるのではないか」というように読む者に語っているように思わせるところがある。
 しかし「お話」とか小説であれ、小噺であれ要するにフィクションというものは少し事情が違う。つまりそこで語られた話はあくまで作者によって構成された作りものであるという了解が読む側にも既に出来上がっていて、その心の構えに対して作者はどんどん次の一手を打ち出してくるので、その際に読む人の日常生活での行動とか考えがどうであるかということはあまり大した問題ではない。そもそも日常にはない形での体験を読む者に与えるような語り口そのものが作りものだからだ。それはどんなに平凡な日常を描いていても、どこか作りもの固有の虚構感というものが付き纏っている。そして私たちは大体この「お話」、つまり物語をエッセイとか評論よりは先に読む習慣を身につける。
 エッセイや評論はそれに対して、書く者が生活してきて今も生活する中で何らかの現実の中から、それを読む者もある意味では書く者とそう変わらず似たような生活状況を持っているということを前提にして、書く者にとっての固有の状況に対する感じ取り方をしていることを告白しつつ、その報告を通して、では読む側はそのことに対してどのような考えを持つかということを問いかけるような仕方で読むように誘い込む。そしてそのことを読む者も読むという時点で皆応じることに同意しているのだ。それは一つの現実内的な設定である。
 しかし小説や戯曲をはじめ全てのフィクションは明らかにそこで提示された全体が「もう一つの現実」つまり私たち自身が実際に生活する現実そのものではなく、その私たちの現実にどういう風な形にせよ、何らかの意味で対峙するように迫るように主張されている。しかしどんなに対峙するにしても、それは必ず本当の現実とは画然として距離が設定されている。だからそれは「もう一つの現実」の設定なのである。
 だから私は自分が書いた小説を再び読み返してみる時と、エッセイや評論を読み返してみる時とではいささか違った印象を常に持つのだ。つまりそれはフィクションの場合、「ここをもっとこうしておけばよくなったのに」という形で読み進むのに対して、エッセイや評論では「これを書いた時にはこういう考えだったのか」とそう受け取って読むということである。
 これは前者が純粋な創作であるのに対し、後者がどこか現実そのものから引き出されたものであり、前者が「もう一つの現実」であるのに対し、後者が「現実の中でのある時の私」であることを意味する。つまり文章を書く時の私を、創作だと現実の時空を超えてそれ自体を一つの世界として対する「操作するという行為」に赴く私、つまり主体的な私であると読む側からそう受け取るが、非創作だと私の中にある他者を見出し、その他者と読む私は対話するそういう気持ちになるのである。それは今の自分と過去の自分という他者同士の対話であるということである。
 これは「書かれたもの」自体が前者だと客体化されており、後者だとどこかそのものに対して「今の自分」の意見を用意してしまいはするが、修正しようという気持ちにはなれないのである。一旦出した意見はそのままにしておこうというわけである。
 哲学では通常他者と呼び、それはただの他人とは意味が違う。他人とは端的に家族とか身内以外の人というニュアンスの言葉である。しかし他者とはそういう分け方ではなく、意思疎通し合える存在者ということを意味するからだと思われる。
 だから私は私の創作に対しては、読み返した時その「書かれたもの」をどうにかしようと思う。と言うのもそれはその世界として閉じた一つの他人のようなものだからである。しかし非創作において私は「書かれたもの」は他者なのであり、私はその他者と語ろうとする。勿論気持ちの上でのことである。
 このことは私以外の他人(あるいは他者)が書いた文章でもこの二つの間にそのような接し方の違いがあるという意味では変わりないように思う。
 しかしもっと重要なこととは、少なくとも自分が書いた文章を読むという行為は、何とかしたいと考える他人であれ(創作の場合)、何か語り合いたいと考える他者であれ(非創作の場合)、自分の中にある非自分性と出会うということを私はいつも自然と欲求している気がするのである。これは私が私自身の既知のものやことに対してある意味では抵抗して、私も知らない私の中にある未知のものやことを探り出したいという欲求と同じことではないかと考えている。
 通常書くという行為は一人でなされるし、読むという行為も基本的にはそうである。(かつて学生時代とかに皆で一つの文章を読んでいたが、あれは特殊な状況である)つまりここら辺が映画館や劇場で、あるいは舞台を前にして通常一人以上の人数で鑑賞することと最も大きく異なる部分である。恐らくことのことが文字にかかわるという人間の行為の本質に迫ることなのではないかと私は考えている。

 私は私を一人の人間として社会人として意識する時、私以外の他人とか他者の存在を前提している。しかし私は四六時中他人や他者と私の時間を、あるいは私の存在する空間を共有しているわけではない。この一人でいる時間・空間ということが文章、つまり「書かれたもの」を読むという行為の基本にはあり、そしてその読む行為を前提として書くということは成立している。この二つのことは文字という記号を通した人間のコミュニケーションの極めて重要な本質である。
 人間は一人でいる時には何らかの意味で、他者と接していた時空間での自分というものを反省している。(ここで言う反省とは、哲学的な意味での反省である)つまり自分一人でいる状況自体が、そうではない自分以外の誰かと共にいるという状況と対になって自覚されているということだ。
 すると我々は自分のことを他人から見たような気持ちになって考えるということは、他人あるいは他者が自分に対して抱いたと自分が考える印象を想像して考えることである。つまりそうしながら自分自身が自分のことを考える時、自分を他人化している。(哲学で言うところの対自<ヘーゲル・サルトルがしきりに言っていた>と言うが)これは一つの客観的な自己内設定である。そして重要なことは、そういう設定は恐らく自分以外の誰でもするであろうとどこかで我々は信じて疑わないことである。
 それは恐らくそうでなかったなら、私は他人を一個の他者として認識し得ないだろうと思うからである。つまりそう信じることによって自分を他人化することが無意味ではないと思うことが出来るわけだ。 
 しかし私たちは自分で書いた文章のことを、その文章を書いた背後の事情と共に誰よりも熟知していることが逆に、「それは所詮私自身のごく限られた経験と主観に基づくものでしかない」という気持ちになり不安となることもある。この時私たちは何らかの意味で対話することが可能な他者の存在を求めている。だからこそ「書かれたもの」を誰かの目に通して貰いたいという欲求を持つのだ。それは何か誰かに相談したくて他者と話す機会を得ようとするのと同じことである。そしてそのことは他者固有の「自分の他人化の仕方」を知りたいという欲求も含まれるだろう。対話とはとどのつまり他者固有の「他人化の仕方」の提示に対する私の仕方との間の突合せのことである。
 文章を書くということは、創作する文章(小説やその他のフィクション)であれ、非創作的文章(エッセイ、評論、論文その他のノンフィクション)であれ、前者の他人のような世界の自由操作性、後者の対他的な対話双方とも、何らかの意味において意図的他人化、つまり自分のことを他人のように見るその見方自体、その観察するような態度のことであり、まず自分に何よりも読ませようすることである。つまり自分で自分を他人のように見るその見方自体を、ある文章を書いた時点よりは未来のある時点の自分が読むように仕向け、あるいは示そうとまず私たちは何かを書く時必ずそのように画策している。デリダが差延と呼んだ概念の内には恐らくこのようなことも含まれていたと私は思う。
 つまり文章というものを一つの記録と捉えると明らかに現在の記録者が未来の記録閲覧者を前提にしていると言える。これは誰も自分以外の人が記録したことを閲覧してくれなくても自分一人だけは最低限例外であるということを知ってそうしている、という意味では、書くことの基本に既に自分の他人化があると言える。何故なら未来の自分にとって過去の自分によって書かれた文章を読むということは、即ち過去の自分を他人化することであるからである。
 人類史的に捉えれば、恐らく文字が文字としての意味を持つに至った瞬間とは、文字を書いた者が、それをその者以外の別の誰かが目に留まるような形でそれを示して、その者の意図がもう一人に伝わるという事実によってであろうと想像される。しかしそれ以前にまずその最初の文字を書いた者が仮に他の誰かによって文字が読まれることがなかったにしても、それを書いた自分だけは例外であるということを知っていたという事実があったことだけは確かではないだろうか?
 つまり最初の文字記録者は、その文字記録の事実が他の誰かによって知られなくても、少なくとも自分だけは例外であるということに対する認知において、自分の他人化ということを図らずも実践していたことを意味する。ここで書くことにおける自分の他人化について明確な定義を与えておこう。

 <書く>自分の他人化=〔<書く>自分(現在の)に対する未来の自分(他人)から見た過去の自分(他人)〕ということの創出、あるいは設定
 
 これを今度は過去の自分の文章を読む今の自分を基準にすると、

 自分の他人化=〔<書いた>自分(過去の)という他人と接する今の自分〕ということの創出、あるいは設定

 すると、今の自分による未来の自分に対する他人化とは、未来の自分による今の自分に対する他人化と等しいということになる。
 
 ∴ 今の自分による未来の自分に対する他人化=未来(その時になってみれば今)の自分による今の自分(その時になってみれば過去)に対する他人化

 しかしここで自分以外の読者を得るとしよう。すると、その他者は端的にその文章を書いた自分による他者の自分化ということになる。その他者が過去の自分の文章をあたかも今の自分が読むように自分の文章を読むわけだからである。
 私たちはあらゆる歴史上の人物も、現今に活躍する人たちの考えも、全て過去の文章を通して知る。それはその文章を書いた人たちにとってみれば、何らかの事実や考えを文章にしてそれを通して私が知ることによって私という他者を自分化することに成功したことを意味しよう。そして私は文章を書く時その成功事例(という事実)を最初は必ず一つだけは知っていたことを意味しよう。
 つまり人類で初めて文字を書いてそれを自分以外の誰かに読ませることに成功をした人その最初の一例を除いて全ての文字記録者は、何らかの意味で過去の成功例を一回は眼にして文字記録に取り掛かったということを意味する。そしてこの例外なき事実は極めて重要である。何故ならそれこそが我々のコミュニケーションにとって最も重要なる本質だからである。だから逆に人類で最初の文字記録者の孤独も恐らくその文字を未来の自分が最初の他者となって読むことだけなら出来るということを知っていて、そのことで自分の孤独を癒していたということは想像されよう。

 しかしそのことは文字に対してなら適用出来ても、発話ということとなるといささか事情が違うかも知れない。と言うのも音声を通して何かを告げることとは、少なくとも文字が発明されてからは、その文字を私たちが音声化しているということとなるが、文字発明以前的には既成の文字を音声的に発するということが出来なかった筈であり、人類で最初の音声発声者とは、まず最低限一人の他者、つまりその発せられる音声を聴いてくれる者というのを必要とした、そしてそういう他者がいたということを意味している。
 そして文字が発明される以前に既にある音声を発し、それを誰かが聞き取るということの内に、意味というものが発生することとなったと考えられる。つまりそれは、音声自体が意味を持つと言うよりは、寧ろ音声を発することで、その発声者の存在をもう一人に誇示するということにおいて意味があるという意味でである。つまりある者が別の者に発声するということそれ自体が、自‐他という関係を構築し、発声される「書かれない文字」そのものが、内的な意味を持っていたということでもある。
 つまり文字がない段階でも既に発声者がそれを聞く側を作るということ自体に「書かれない文字」という想念を文字発明以降の私たちが想像することはたやすいが、そうであるよりは、自‐他の関係そのものが、文字的なものを誘引するような内的な(精神的なと言ってもよい)関係をその者たちに与えたであろうということである。デリダが原エクリチュールと呼んだものとはこのことだったのだろう。
 つまり意味とは、それが文字を通してではなくても、発せられ、それを聞いて貰うということ自体で、発生しているからである。それはそうすることで、内的に意味を持つ。つまり相手に対する自分の存在感の誇示ということによって相手から自分へ向けて何かが発せられるということで自分の存在感に対する相手の容認を確認出来るからだ。それは相互に存在感を示し合うという真意を確認するという下地が出来上がっていることを意味するし、それこそが意味の発生なのである。
 内的に相互の存在を一人になった時にも想起し得るように記憶する、そして相手の存在を存在として理解するということが文字以前的な原エクリチュールであろう。
 つまりここで意味についても定義しておこう。

意味=ある存在者(私)が別の存在者(他者)に音声を発する(文字を示す)ことに対する相互の了解=自分の他人化を通した他者の自分化に対する試みそれ自体の存在感の獲得

 最初の音声発声者の発声事実に対する記憶が次の音声発声者(つまり最初の音声発声者の音声に対する受信者)に介在し、やがて次から次へと音声発声行為は全成員に定着していくだろう。この過程で全ての音声発声者たち(全成員)は人類最初の音声発声者の孤独、つまり自分の他人化のファーストトライアルという認識事実を潜在的には了解していることだろう。これは要するに全音声発声者が人類最初の音声発声者の孤独を発話する際に追体験しているということである。
 私は最初発話を文字記録とは違うとしながらも、結局これをも自分の他人化であるとした。しかしこれは第一発声者が第二発声者を存在として求めるという事実そのものが、第一発声者にとって自分をその第二発声者にとっての他者にするという決断において、これもやはりもう一つの自分の他人化だと理解しているからである。しかしそれは恐らく第一発声者が最初に第二発声者となるべき存在に発声した時には、無自覚でたまたま第二発声者が自分に対して発声し返してきた時点で、初めて明確に行為として自覚されたことなのだろうとも想像されるのだ。
 意味とは要するに、意味を確認し合う最低限の他者を必要とするということから発生する。そして相互の存在確認こそが最初の意味だったのだ。(これは綾小路きみまろの漫談ネタである「あんたー!あんたー!」「何だよあんたあんたってうるさいな、何なんだよ」「ただ呼んでみただけ、返事してくれればそれでいいのよ」にも通じるものである。)
 何故そう考えるかと言うと、それは仮にたった一人だけで勝手に理解していることがあり、それを誰にも告げずにいるということは、それだけで私的言語でしかないからである。(哲学者ウィトゲンシュタインが考えた概念である。)そしてそれは第一文字記録者にも言えることである。
 すると意味発生以前的には無意味な発声のトライアルが偶発的に行われる必要があったということとなる。つまり意味とは第一発声者のこのトライアルを第二発声者が無碍にはしていなかったという事実によってのみ初めて発生したということになる(私たちは第二発声者にも感謝の念を捧げなくてはならない)。
 つまり纏めると、第一発声者にとっての他者が第二発声者となったという事実こそが、あるいはある他人が第二発声者となったが故に第一発声者にとって彼(女)が他者になったという事実こそが発声=意味という発声の意味化を齎したということになるのだ。それは要するに、自分の他人化というファーストトライアルが結果的に特定の他人の自分化という他者創出を齎したことに起因することになるのである。ここで再び定義しておこう。

意味の発生の瞬間=第一発声者の(恐らく)無自覚な自分の他人化が、ある
他人を第二発声者、つまり他者とすることによって、その他人への自分化を齎した瞬間

自分にとっての意味=自分の他人化と他人の自分化との一致=他人の他者化と自分を他者にとって他者とするような自分に対する他者化、つまり自己化の一致

∴ 意味=自分の自己化と他者の自己化とが自分にとってと他者にとって可能となるということ(自分を離れた超越的視点による判断)

 要するに意味とは、自分と他人を自己と他者として認識し得るという事実そのもののことなのである。それは自分や他人を存在論的(レヴェル)で捉えるということなのだ。
 だから書くという行為は既に上の事実を踏襲していることとなる。勿論第一記録者による最初の文字記録において、それは無自覚で偶発的突発的な行為であった可能性も大きいと私は思うのだが。

Sunday, November 1, 2009

結論になり代わるもの、あるいは言葉を巡って考えられる自由と責任③

 東浩紀氏は大塚英志氏との対談集「リアルのゆくえ」(講談社学術文庫)で次のように受け答えている。(終章2008年―秋葉原事件のあとで)

大塚 少なくともあなたは本を書いているんだから、本が届く範囲の中でやっていくべきなんだって、ぼくはずっと言ってるわけ。それからネットの上の言葉も含めて、あなたが発信できるツールの中で、あなたはあなたの言葉の中で、そういったものに対してコミットしていっているわけでしょう。
東 いや、それはやるわけです。その限りでは信じているとも言える。けれども、真剣に内省するとふと空しくなるのも事実です。評論や思想の言葉が行なっているのは、もともと心の強い読者の、その強さを高めているだけではないか。最初から心が弱く、承認を求めて陰々減々となっているひとを、本だけで変えることがあるのか。

ないだろう。もし哲学テクストを読み極度に感化され犯罪にまで走る者がいたとしても、それは哲学の本質に対する理解からではなく、そのテクストがたまたま示した「伝えるべき内容」を信じ込んでしまった結果でしかない。自分の書いた文章がどのように受け取られるかについて、東氏はそれなりの野心を前提にしている。しかしサルトルはその野心すら実存の中に封じ込め、要するにそれは終ぞ実現し得ないという地点でテクストの在り方を考えたと言える。サルトルは孤独に強かったのだ。(第七章参照)
 野心とは孤独を悟られることに対する恐怖(羞恥に根差す恐怖)が孤独を隠蔽するための便利な逃避的孤独解消法である。それは孤独に奮闘するという意味では孤独の味方であるが、それがある程度実現されると尊敬心を集めるという意味では孤独対処法でもある。
 野心はそもそも相互にぶつかり合うことを前提するので、必然的にかなり孤独を隠蔽する用意周到な手法ということになる。野心同士がぶつかり合えば、より野心の正体は見極め難くなる。
 しかしその陰で野心を発揮し得ない成員が固有の引き篭もり状態を保有する。しかしその中でも何らかの対外的な希望を抱く者はオタク化し、固有の関心領域にのめり込む。しかし一旦そうやって関心領域を設定すると、オタク同士でオタク度を巡る競争意識が生じ、やがてオタク純度を巡るエリート層が形成されていく。各オタク固有の野心の誕生である。
 2チャンネルオタクは各種差別的発言や言説の自由を謳歌し、アンチ・ヒーロー志向(朦朧会見として世界中で知られたある大臣に対して理性論的には否定しても、内心で贔屓感情を抱くこともあるかも知れないし、その場合2チャンネルに書き込むことにしようと思い立ったりする。付記 中川昭一氏のご冥福をお祈りする。河口)、マイナー・アイドル志向を性格として保有し、その中でも傑出したオタクは権威を持つようになる。2チャンネルは他の一切の権威に対する無関心を決め込み、身体論的、文化論的差別論を自由に発信することで、ある種のリビドーの捌け口として利用される。
 オタク固有の本願ぼこりは一切の横の連帯、協調を相互に拒否し、排除し合うことだ。そこには未来に対する明るい希望の奨揚は禁物である。保守安泰志向、ネクラ志向である。そもそも全ての記述が公的には表明される必要がないという前提が各オタク間の交流を最初から途絶させている。しかしそれは恐らく結社内に固有の秘密とも少々違うだろう。秘密には小さな権力に対する憧れがあるが、オタク内にそれが希薄だ。オタクは権力よりは権威を望む。
 引き篭もりにはオタクをオタクとして誇る意欲、つまり内的野心にまで至らない未消化で非充足的気分がある。AVオタク、マイナー・タレントオタクetcにさえなれない。
 勿論オタク対象全ては伝達手段という前提の上で展開される「伝えるべく内容」のヴァリアントである。しかし言葉の仕組みに着眼すれば、野心の正体、羞恥の本質や構造に対する理解のために分析を求められる。しかしそれは追究すればするほど極度の心的負担が個に圧し掛かる。つまり言葉の仕組みに対する着眼によって我々は一方で益々グローバリズム、国際スタンダードの容認へ、他方「伝えるべき内容」の追求は益々オタク的孤立化や相互不干渉化へと促進される。
 要するに全てのオタクはそのオタク内でのみ通用する私的言語の特権的利用を巡る互助会的性格の非連帯的屯に加担している。それは知る人ぞ知るいい味の店から、地方都市内に在住しているアーティストだけが集うギャラリーに至るまで様々である。
 アダルト・サイトサーフィン愛好家も、自殺サイトも今後も一切なくなることはないだろう。しかしそのこと自体を憂えることに然程意味はない。寧ろオタクが屯出来る場を何らかの形で見出そうとする心理が表向きの公的顔とは全く別な形で裏的なものとして示す必要が一般社会の中で暗黙の内に強制力として個に求められていること自体が問題なのだ。
 ウォルター・リップマンは1922年刊行の「世論」において、エリート指導者たちさえその対話の内実はたまたま寄り合った街灯の下の人々とそう変わりないという出だしで論を進めている。それは要するに言葉の強制力に対する自覚から来るものである。しかしリップマンの言説をヘーゲルは既に予感するべく次のように言述している。

(前略)世論は、尊重にも、軽蔑にも値する。軽蔑に値するのは、その具体的な意識と外に現われた姿からみてのことである。尊重に値するのは、その本質的基礎からみてのことである。だがこの基礎は、多かれ少なかれ曇らされて、右の具体的なもののなかにただ映現するだけである。世論は外に現われた姿においては、この基礎を明別する基準をもっていないし、また実体的な面を明確な知へとおのれのうちで高める能力をもっていないから、世論に従属しないことが、偉大にして理性的なものへと至る〔現実のおいても学においても〕第一の形式的条件なのである。だがこの偉大にして理性的なものの側では、世論がやがて自分を是認してくれて、世論のもつもろもろの先入見のなかの一つにしてくれるであろうと確信しているわけである。(第三部 倫理 中 第三章 国家 中 c 立法権、中公クラシックスⅡ、§三一八、392ページより)

 言葉は人間の真意を作るものであり、本音を吐くためのものではない。世論とは一つの本音であり建設的ではないことも多い。だからヘーゲルが言っているように本質的基礎を見据えることが可能か否かはまさに「伝えるべき内容」の選別に本質があるのではなく、言葉のどこに力があるかを、言葉を示すことによって伝えるものであるなら、それは言葉を語ることが語られる状況において、どう作用するかを予め心得ているか否か、つまり責任論に帰着する。言葉の影響力を考慮して語ることはそれ自体権力の行使以外のものではない。その事実はブログや2チャンネルの書き込みを通りすがりとして無記名で行なうことの通常な日本人の利用の仕方に可能性を生む。

 通常社会では年配者は年少者に対して苦悩があっても真意を告げないものと我々はしている。しかし例えば経済的問題といった実利的なこと以外でも、例えば性の問題にしても年配者の方が年少者よりも容易に克服しているとばかりは言えない。否寧ろ年配になればなるほど顕在化していくこともあり得る。しかしそれはなかなか同世代の人以外には話し難い。しかし同世代の人々は既に自分の身体に関する問題にかかりきりになりそれどころではない。そこで自分の年齢を告げずにどこかのブログに悩み事を書き込んだとしよう。その書き込みに対して中学生や高校生が極めて適切な人生相談の回答を寄せたとしよう。例えばその書き込みが老人によるものであった場合、その老人は通常の直に人と接するコミュニケーションでは若輩者たちに真意を告げることを躊躇する場合があるにせよ、回答を寄せる中学生や高校生も自分がさも大人の振りをして回答し、その回答に相談者が溜飲を下げたとすればそれは瓢箪から出た駒と言えないだろうか?つまり相手の顔が見えないからこそそこには真実を容易に語り合えるチャンスもあるのである。
 だから人間の想像力を規制しないという意味では愚痴や戯言を言い合う場を封鎖すべきではない。例えば2チャンネルの書き込みだって「僕はあんなものしたくはない」ともし人に告げるようなら、いっそ自分も書き込み参加した方がよい。つまり本当は興味があるからそういうサイトを検索しているのだから。無理に自分の欲求を押し込めるくらいなら、どんなに低俗な書き込みだってした方がいい。つまり低俗な書き込みをすること自体が精神を荒廃させると決め付けるなら、その考え方こそ短絡的である。
 ヘーゲルは「法の哲学」の中で次のように言っている。(第三部 倫理 中 第三章 国家 中 c 立法権、中公クラシックスⅡ、390~391ページより)
 
  追加
〔言論の自由〕現代世界の原理はつぎのことを要求する。すなわち各人が承認するようにと要求されていることは、それが正当なものであることが各人に示されなければならないと。だがその上なお各人は、そのことについて、ぜひとも共に語り、提言したいと望む。とはいえ各人は、自分の責めを果たしてしまえば、つまりそのことについて言うべきことを言ってしまえば、自分の主観性を満足させるわけであって、そのあとでは彼は多くのことを我慢するのである。
 フランスでは言論の自由は、黙っていることよりも、なんといってもはるかに危険が少ないと思われた。なぜなら黙っていることは、世人はことがらに対する不服を胸のうちにしまっているのではなかろうか、という懸念を起こさせるが、小理屈であろうとも、自由に喋ることのうちには、一面、捌け口と満足が含まれており、これによってことがらは、とにかくいっそう容易にはかどることができるからである。

 これは君主論心得的側面もある言述だが、社会機能論的にも、各個人の精神衛生論としても読むことが可能である。必要悪としての欲望の捌け口としてメディアを利用するその仕方を封鎖してはいけない。つまり正常とか異常とか、上品とか下品とかいうようなことと全く無縁に精神の荒廃とは訪れる。それは創造的で価値ある行為や優れた人格にも突如訪れるものである。そして精神の荒廃は寧ろ欲望の捌け口を悪と捉え、全ての欲求解消手段を封鎖することからくることも少なからずあるだろう。
 私は引用を最初殆どしないように本論を書こうと思い立った。しかし意外と多くそれをしてしまった。しかしこれはよく考えてみると、言語を偶像化する例としてそれはそれで意味がある。しかしかつてそれらの言葉を残した偉人たちも幾つかの啓示的な偶像化された言葉を常に脳裏に潜ませ自分の言葉を探ったのだ。それは「伝えるべき内容」だったかも知れないが、言葉の仕組みにまで意識を向かわせつつそうしていた筈だ。
 私たちは各メディアに対して自分を巡る他者各個人に対して異なった真意を持ち、その都度真意を書き換えているように接する。オタクはその中でも特定の関心領域に釘付けになる。しかし全てのメディアや伝達手段に対しそれぞれの利用仕方が規格化されたら管理社会の呪縛に降参したことになる。あるメディアや伝達手段の自分なりに固有の利用の仕方に執着を全くしない(オタク化を用意周到に回避する)なら、真にメディアや伝達手段の往来の意味を理解することなど出来ないのではないか?
  言葉の仕組みを問うのは哲学だとすれば、こういう情報は新聞やテレビから採る、しかしそこでは自分の意見をそう容易には伝えることが出来ないから、ブログで何か書き込み、そこでも容易に言えないことは2チャンネルでと考えて、個々の状況に応じてメディアの選択を我々は行なう。その時確かに我々の意識は「伝えるべき内容」へと向かっている。他者間依存や自愛を考えると確かに言葉の仕組みへの問いという哲学は背景へと退く。しかし「伝えるべき内容」は私的問題であり、そこで伝えられたことが記述として残された時、そこに成立した意味の世界は言葉の仕組みに則った「語られたこと」だけである。「語られたこと」の意味が正当に伝わらなかったことは誰しも経験している。しかし誤解を受けてしまった発言も時間がたつと、「今この映像を見れば」、「今この文章を読むと」正しいと判定されることもある。
 傍から見ていて幸福そうなエリート夫婦があったとしよう。しかしあまり愛情はないとしよう。夫は大学教授であるが、そうなったのは妻の父親が今勤務する大学の有力教授であったために政略結婚して妻も学者である立場をも利用しようとした自分にも責任がある。しかしそれがどこかで負い目となり、家庭はあまり居心地のよいものでないばかりか、妻の方も彼より教授職という意味では先輩なので多忙であり、講義終了後に直帰しても妻と二人の時間を過ごすことが出来ないために帰り道にあるバーに立ち寄るようになりそこのホステスと親しくなる、そういうような感じで私たちは新聞やテレビという正妻以外にネット、ブログ、携帯、2チャンネルを利用し始めたのだった。つまりそれらのメディア、伝達手段間の往来は一度は慣れたが次第に居心地の悪くなっていった家庭というような事情が個々のメディア毎にあったのだ。その往来を促進する理由こそがトラフィック・モメントである。送り手から受け渡されたメッセージを受け取る受け手であり大衆である我々購読者、視聴者、ユーザーたちは往来をこれらかも頻繁に繰り返し続けていくだろう。その往来を自分なりに人生の時間に意味づけるのはしかしやはり言語以外にはない。それは各メディアが他のメディアとの相関でどう捉えるかという観点において自分なりに言語行為の一環として位置づけているからだ。そしてそのトラフィック・モメントの位置づけ作用はメディアや伝達手段という存在自体の存在理由に対する自分なりの意味解釈に帰着する。それは言語が私にとってではなく私たちにとって意味があるとされる視点から見た場合、他者の死は「私たち」をいささかも変えはしないものの、私(自分)には何かを語りかけるような意味で偶像化された語彙や表現(最近では空気を読めないとかYKなど)を一方に確認し(合理論的に)、他方では私にとって偶像とは何なのか、醜態を晒す朦朧会見に出席した大臣に対する密かなエールかも知れない。私秘的な偶像として意味を受け取る自由が内心にはある。醜態を醜態として晒すマスコミ(の生贄模索性)に対する予防線としての内心である。
 要するに私たちは個としてより私秘的存在として意味の世界へ舞い降りるために、この意味はこのメディア、あの意味はあのメディアでと往来を繰り返す。私たちはまるで日本に中に東京があり横浜があり、大阪があり、名古屋があり、京都や札幌があるように文字があり、記号があり、デザインがあると考える。それらを往来させるものは意味という往来を作るモメント(契機)である。そして至るところに待ち構えているモメント間の相関を把握しようと思う時、言葉の仕組みが立ち上がる。それは責任という名の言葉の権力行使に対する落とし前である。往来の契機となるものは個人の中の責任という意識であり、それが自由を保障する。
 メディア間、伝達手段間の往来は、言葉の仕組みの多様を私たちに教える。例えば伝統的な語彙や表現は携帯メールや2チャンネルの言辞と相補的である。しかしそれは私たちがそのように望む以前に言葉の力を信じることから個として既に他者に向き合っている証拠である。つまり各メディア・伝達手段に私たちが固有の「伝えるべき内容」を嗅ぎ取っているという事実がある一方、脳科学ではマイケル・ガザニガが指摘しているように責任感は確認し得ないが、それはそうだろう。何故なら責任とは既に言語行為をすることの内に潜んでいるからである。そして我々はその言語‐責任の網の目からしか自由を自覚することが出来ない。
 私たちのトラフィック・モメントは言葉の仕組みを考える時にのみその存在を私たちに示す。私たちは往来をやめることはない。私たちが存在と存在者の間の往来によって全て理解されること自体が意味あることであると感じ続ける限り。(了)

参考文献
「論語」金谷治訳注 岩波文庫
プラトン「国家(下)」藤沢令夫訳 岩波文庫
「エックハルト説教集」田島照久訳 岩波文庫
ホッブス「リヴァアサン2」水田洋訳 岩波文庫
デカルト「省察/情念論」井上庄七・森啓・野田又夫訳 中公クラシックス
コンディヤック「人間認識起源論(下)」古茂田宏訳 岩波文庫
カント
ヘーゲル「法の哲学Ⅱ」藤野渉・赤沢正敏訳 中公クラシックス
ニーチェ「力への意志」
フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」細谷恒夫・木田元訳 中央公論新社刊
ルドウィヒ・ウィトゲンシュタイン「ウィトゲンシュタイン全集 哲学探究」藤本隆志訳
大修館書店刊
マルチン・ハイデッガー「存在と時間」原佑・渡邊二郎訳 中公クラシックス
「形而上学入門」川原栄峰訳 平凡社ライブラリー
マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
ウォルター・リップマン「世論(上)」掛川トミ子訳 岩波文庫
ベンヤミン「パサージュ論 第三巻」今村仁司・三島憲一訳 岩波書店刊
モーリス・メルロ・ポンティ「知覚の現象学」
ジョン・ラングショー・オースティン「言語と行為」坂本百大訳 大修館書店刊
レヴィナス「他者のユマニスム」小林康夫訳 書肆風の薔薇刊
土居健夫「「甘え」の構造」弘文社刊
ハンナ・アレント「責任と判断」ジェローム・コーエン編 中山元訳 筑摩書房刊
ジル・ドゥルーズ「ニーチェ」湯浅博雄訳 ちくま学芸文庫
スラヴォイ・ジジェク「幻想の感染」松浦俊輔訳 青土社刊
リチャード・ドーキンス「延長された表現型」日高敏隆・遠藤彰・遠藤知二訳 紀伊国屋書店刊
スティーヴ・ジョーンズ「遺伝子=生∣老∣病∣死の設計図」河田学訳、白揚社刊
ヒューバート・ドレイファス「インターネットについて 哲学的考察」石原孝ニ訳 産業図書刊
ダニエル・デネット「自由は進化する」山形浩生訳 NTT出版刊
ニコラス・ハンフリー「赤を見る 感覚の進化と意識の存在理由」柴田裕之訳 紀伊国屋
マイケル・S・ガザニガ「脳のなかの倫理 脳倫理学序説」横山あゆみ訳 紀伊国屋書店刊
中島義道「哲学者のいない国」洋泉社刊
永井均「なぜ意識は実在しないのか」岩波書店刊
梅田望夫「ウェブ進化論‐本当の大変化はこれから始まる」ちくま新書
大塚英志+東浩紀「リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか」講談社現代新書
大屋雄裕「自由とは何か」ちくま新書
池谷裕二+木村俊介「ゆらぐ脳」文藝春秋社刊
和田秀樹「<自己愛>と<依存>の精神分析コフート心理学入門」、「壊れた心をどう治すかコフート心理学入門Ⅱ」PHP新書

 付記 今回で「トラフィック・モメント」タイトル論文は終了しますが、当ブログ自体は同一タイトルのままで、別の論文「書き、読み、語る・描き、見る・聴く」(短論文)と「言語の幻想とその力」(中論文)を引き続き掲載更新いたしますが、数日休暇を取らせて頂きます。(河口ミカル)

Thursday, October 29, 2009

結論になり代わるもの、あるいは言葉を巡って考えられる自由と責任②

 哲学とか思想は人生の諸場面での経験によって書かれている。故に観念的なこととか論理的なことは、そういった経験的な真理を証明するために有効なのであり、論理自体の美を追求していくと、そこで待っているのは寧ろ数学であり物理なのだ。それはまた一つの価値だが、特に孔子とかソクラテス、あるいはプラトンといった偉大な著作にどこか共通性があるとしたら、それは人生において経験する様々な責任遂行の内に忍耐とか、忍従もあるし、逆に権力の横暴や人間の欲望によるエゴイズムに対する反省もあり、従ってそういう人間存在の実存に対して何らかの作品的固定化を我々が望む時、良心の側からの要請に従ってやんわりと示されるエロスが介在しているからこそ、そこにアナロジーを発見するのではないだろうか?つまり孔子もソクラテスもプラトンも生きた人間だったのである。

 しかしその親和力が親しんだものを大切にする一方、知らないものに対しても敬意を抱くという心理を介在させる時、そこに思い遣りという感情が生まれる。(第十三章参照)親しい者同士には固有のエゴが相互に発揮される。それは親子とか兄弟を見ても分かる。だからこそ「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるのだ。思い遣りはだから責任と容易に結びつく。そして責任の最たるものとしてやはり私たちには言葉がある。言語活動、言語行為と色々な呼び方が学問上ではされてきたが、言葉を他者と共有し、意志を示す時にそれを利用することが、直接社会機能となっている。だからたとえ本当はただ朝寝坊をしてしまっただけの場合でも、「実は今日電車が少し遅れました」と遅刻の言い訳をすることが建前上だけでも要求されるのだ。だから説明責任とは言葉を換えれば人間が思考本能的に携えている辻褄合わせ的納得に根拠がある。
 自由とは責任の遂行をする中で得る報奨であると我々は受け取っていることについて最も大きく扱った哲学者はヘーゲルだろう。
 ヘーゲルの「諸権力はむしろ、ただ概念の諸契機としてだけ区別されていなければならない」(「法の哲学Ⅱ」中第三部 倫理中§ニ七ニ、290ページより)という一説は明らかに概念の心情、愛、霊感に対する責任論的優位を示している。それは国家秩序希求の心理が私たち主体にあるという主張である。つまり一方で我々は心情や愛を内的には至上の価値としながらも、外的にはそれが行動によって示されなくてはならないことは家庭生活においても、隣人、あるいは同僚との関係においても当然のこととして知っている。つまり人間は心情とか愛を行動に置換することでその内的意志を他者に示すという当然の真理をヘーゲルは言っている。つまり本論で考えられていることを適用して考えれば、ヘーゲルは言葉の仕組みとしての概念という理を、「伝えるべき内容」=徳 にすることに粉骨するあまり忘却してきたことに対して覚醒の意図を持って読者に突きつけているのだ。
「それゆえ肝腎なことは、諸権力の諸規定が即自的には統一的全体である以上、それらの諸規定がすべて現実に顕現した姿においても概念の全体をなさねばならないことである」(同書同中、290ページより)
 ここでヘーゲルは心情、情緒、人治主義からの翻弄を何よりも訴えたと言える。その意味ではプラトンのイデア論の忠実な実践者としてヘーゲルを位置づけることも可能である。先の引用は
 「ふつう三権といえば立法権、執行権、司法権のことが語られるが第一のものは普遍性に、第二のものは特殊性に照応するのに対し、司法権は概念の第三の契機ではない。というのは権力の個別性はこれらの圏外にあるからである。」
と続く。ヘーゲルは同書をそのまま踏襲すれば、「国家の終局目的をカントの考えるごとく判決という形式的正義の実現にあるのではなく、普遍と特殊との真実の一体化にあると考えた」(同書292ページより)。
 ヘーゲルはここでフランス革命に懐疑的な立場を貫き、君主制をよしとした。
 恐らくヘーゲルは理想的代表者にして、象徴でもある君主というものを、私の言葉で言い換えれば偶像として認可することによって個々の特殊的意志をより制御し得ると考えたのだろう。その意味ではヘーゲルには内的革命論者的部分は皆無であり、偉大なる保守主義者である。そして言語活動において主軸をなす概念の優位性の主張において、彼は言語が理想的権威による訓示という性格を帯びていることを誰よりも自覚的だったと思う。つまり言語と偶像化作用を一致したものとして捉えることで、社会を安定したものとして維持出来ると考えたのだとすれば、現代社会でメディアに頻繁に登場する人気タレントやコメンテーターたちのメッセージをより親和力のあるものとして受け取る時、私たちは無意識のエロスに対する要求をごく自然な形(これが意外と難しい)での許容範囲内で授受しているという私の主張からヘーゲルはただこちこちの頭の固い哲学者なのではなくよりエロス的次元で生の実存を考えていたことも示している。事実彼は多く婚姻や性生活に対する言及をしており、羞恥という概念も何度も登場する。(同書第三部 倫理中第一章家族 
より) 
 つまり女子中学生が本音の部分では言いたいとも感じる「女の幸せが欲しい」ということ(心情)を無意識の言葉の仕組み(概念)として、しかし実際にはやんわりと建前的な配慮を踏襲して先生や目上の人たちに自らの将来の願望を伝えようと選択された「伝えるべき内容」(認可されたエロス=言葉の偶像化)に存する本質は曝け出さない形での強烈な自己主張でもあるということがヘーゲルが「法の哲学」で目指したことかも知れない。
 ヘーゲルがこの晩年の大著「法の哲学」中第三章 倫理中国家で主張していることは、国家自体が一つの意志を持ち、それが成立する基盤として個=主体の内発的要求(ニーチェ的権力への意志とも無縁ではない形で)があり、君主(ヘーゲルは共和制を否定し、立憲君主制をよしとした)による特殊的意志と個々の存在者の特殊的意志とが巧く均衡を維持している内はよいが、一度各権力が私物化されると、解体(内から)と崩壊(外から)を招く危ういものであり、その意味では個が危ういものであるのと同じであることである。
 しかしこれはとどのつまり国家であれ、個の存在者であれ、それを一つの統一体として見た場合、内的関係としての思考・想像の自由と言う時の自由はしかし、外的関係としての自由、つまり責任の遂行の報奨として我々が受け取っていることの微細な分析であるとも言える。
 ヘーゲルは「法の哲学」中同箇所でマルチン・ルターの意志を汲んで国家と宗教の分離をよしとした。(「法の哲学Ⅱ」中280ページより)つまり外的関係としての理と内的関係とを明確に分離したのだ。しかしそのことはヘーゲルが国家を蔑ろにしていたのでは決してなく、人民の良心によって国家が秩序あるものとしてあることを彼は望んだのだ。つまり国家が宗教を基礎とするのあれば、彼は理性的本性に基づかねばならないと言っている(同書273ページより)が、それは一つの理想として言っているのだ。つまり彼は宗教そのものが統治者として失格だとしている(同書276ページより)が、それは信心が良心を使い何事も規定されず主観的感情が立法者となると全ての法が反故にされることをもって、信心を外的関係に適用することの危険性を主張する。要するにこれは責任の信心や良心との分化の主張である。そこにヘーゲルの近代的性格が読み取れる。これはプラトンの「国家」以来西欧形而上学が考え続けてきた問題の一つの帰結である。
 ヘーゲルは言葉の仕組みに本当は内在するのに「伝えるべき内容」の陰で黙殺されるレアな信心=羞恥の対象=差別の契機を重々知っていたのだ。
 しかしこの考え方で行くと、責任論の重圧に人間が屈してしまうこともある。そこで現代精神分析等では内的外的な二分論、つまり主客からの脱却が試みられてきたと言うことが出来よう。土居健夫氏、和田秀樹氏、小浜逸郎氏等に共通しているスタンスとは共存、依存、甘え、自愛を基礎として私たちの存在が成立することである。今度はこの観点からその出自と、思想的背景を、言葉の仕組みと「伝えるべき内容」の二分論をベースに考えてみよう。
 
 写真の出現が絵画に存在理由を問うたように、テレビの出現が映画に存在理由を問うた。インターネットはテレビに影響を与えたのだろうか?私は第一章から使用してきたマスコミとは新聞、テレビを基本として言ってきた。しかし「究極のワンフレーズ力」たるテレビも、インターネット出現以降は確固たる存在理由を剥奪されてきたとも言える。皆一日に一回テレビは見る。しかしテレビをもっとよくしようと思う人は少ない。何故ならテレビがつまらなければネットやブログを利用すればいいと思うからだ。言語の歴史からすれば歴史の風雪に耐えてきた言説の数々は当然過ぎるほどの真理・論理だけなのだろう。しかしそれは同時に風雪に耐え切れず掻き消された数多くの無数の言説も常に飛び交っていたという厳然たる事実へと私たちの意識を向かわせる。実はインターネット以降のメッセージの在り方は、風雪に耐える言説自体に対する不信ではないか?
 万人に向けて開かれていてもそれを万人が見るわけではないと誰もが知っている。個々のユーザーはメッセージを自分なりにチョイスしている。だから公とか一般性という言葉が常に自分なりの判断と遊離してきていて、それは益々開いていくだろう。つまり第一章で述べたようにそもそもマスコミの在り方自体に責任を我々が求めないことが、逆に斜に構えてマスコミの作り出す言説に対応するというスタンスを各個人に植え付け、ネットやブログの利用の仕方自体も益々オタク化していく。オタク的選択と、公とは幻想であるという二極分離を象徴するものは2ちゃんねるだが、そこで展開する文章はメール(携帯電話もパソコンも)による遣り取りも影響を与えている。そして誹謗、中傷、差別の全てにパターン化した傾向がある。それは正規のルートでは発表出来ないような性質のものが氾濫していて、その氾濫は恐らくこれからもなくならないだろう。そしてここに精神分析的な意味での依存と甘えや自愛があるように思われる。責任を回避するために無記名で臨むこともその一つだ。その考え方はポストモダン以降の論客や思想家、哲学者たちが私たちの立つ時代は固有なのだと考えていたように、哲学史そのものを無効化するような時代の在り方を象徴している。その意味でニーチェを多くの論客が手本としたことは必然的だったし、ミシェル・フーコーのバイオポリティックスはまさにその正統なる系譜と言っていいだろう。
 我々は他者に接する時身構えるし、その構え自体を作るものがある種の公に対するステレオタイプである。「こうしておけば間違いない」ことが「伝えるべき内容」の選択を真意からかけ離れたものにする。言葉の仕組みは実は言いたいことを言うことにあるのではなく、言いたいことを理解して貰うように「言うべきこと」に置き換えることにある。これが「伝えるべき内容」として完成する時には言いたいことはどうでもよくなっている。真意を伝えることは真意を「公意」に置き換えることなのだ。私たちは公私を往来する。
 自愛の心理は全ての存在者が持っている。しかしその自愛を真意として実践するとしたら、全ての隣人や他者と共存して生活することが困難になる。「今日は俺は誰とも会いたくない」時には会わなければいいのであり、そういう時に敢えて会って「今日は会いたくはない」と伝えることには意味がない。しかし社会はそれを求めるのではないかと個が脅迫観念を抱くのが一つの「構え」に他ならない。
 だから巧い人づき合いの人間なら「構え」を持続する必要がないように常に配慮するだろう。「私はオタクです」と宣言する必要のないように生活全体を持っていく。だから言葉の仕組みとは言葉が必要な時以外は言葉を作る努力を発動させないように温存しておきましょうということでもあるのだ。
 
 必要な時以外は言葉を安易に使わず保留しておこうという心がけは個人には適用出来るが、マスコミはそうはいかない。絶えず言葉を発信し続けなければならないからだ。「究極のワンフレーズ力」という言葉はかつて宰相の下で直接中央政治にかかわった竹中氏による謂いであることは説得力があるが、それは同時にかなり危険なことでもある。人気があるという意味ではヒトラーはまさにその典型だった。
 アレントは「責任と判断」で「良心に無制限の自由を認めると、組織的な共同体は滅亡してしまう」という謂いにおいてヘーゲルの視点をナチスに対する抵抗へと置換させることで利用しているが、権力に対する服従が積極的な一つの支持であると認識することで、「集団的な無実のようなものはありません。罪と無実の概念は個人に適用されなければ意味をなさないのです。」(38ページより)という考えで補強している。彼女はアイヒマン処刑についてマルチン・ブーバーが「ドイツの多くの若者の感じている罪の感情を消滅させる役割をはたす」(同ページより)と表明したことを批判し、ナチスに利用された若者たちが大人たちと等しい行動力と判断力を持ち得ず、罪を彼らが感じているとすれば、青年たちが間違い、混乱し、知的なゲームを演じているかいずれかだと考える。(尤も実際には狂ったふりをしてナチスへの協力を逃れた青年もいたかも知れないが)この考えにおいて、ブーバーはプラトン的系譜から、アレントはアリストテレス的系譜から考えている、つまりブーバーは純粋哲学的思惟を応用し、アレントは哲学外的可能性を哲学から探っているのだ。しかし哲学者が哲学外的思惟に赴く時、そこには哲学者が生きて、社会で生活するという現実と実存に纏わるモラルの問題へと突き落とす。例のアレントの遺作もそういう主旨のものだった。
 コンディヤックは「人間認識起源論」において無言劇というギリシャ文化を注目しているが、それは哲学が言葉を通して全てを理解しようとする試みの歴史である以上当然である。それは人間が言葉とは無縁の経験があったとしても、それは他者‐自己による人間性確立の中心には位置しないという信念がある。しかしそのことはオタク文化の現代社会の浸透とも無縁ではないし、ある私が最近読んだ対談を思い出せる。東浩紀氏と大塚英志氏は対談「リアルのゆくえ」で相互にオタクに対する全く異なったアプローチを試みている。
 この対談は大きく分けた二つの時期に行なわれている。最初が2001、2002年、そして次が2007、2008年である。そして最後の年のものは例の秋葉原事件後に行なわれている。2002年(第二章)で東氏は「理念や言語が社会を大きく動かす時代は終っていて、都市計画や情報システムのようなインフラの構造がダイレクトに人々を管理する時代になっている、というものなんですね」(119ページより)と言うが、ここで東氏は論壇や文壇のことを言語という一語で代表させているのであり、記述→印刷・出版→本の読書という形だけで言語行為が行なわれるのではないという主張をしている。しかし都市計画も情報管理も、批評的言語でも、文学でもないがやはり一つの厳然たる言語であり、設計図も口頭での指示といった全ては社会ゲームとして我々の言語的営み以外のものではない。情報工学言語、建築学言語、政治言語である。これより少し前の箇所で東氏は非人称的で工学的権力の作動(116ページ、氏は監視カメラを特に挙げて考えているが、これは大屋雄裕氏の「自由とは何か」(ちくま新書)での考察とも関係してくる。大屋氏はしかし老人の孤独死をネガティヴなだけではなく一つの選択肢としても捉えている。)を現代社会の危機的状況として捉え(まさに第六章36ページのレヴィナスの危惧そのものである)「ぼくの問題意識はまさに、権力者の意志から離れたところで、エンジニアの善意と市民の不安が組み合わさったところに自縄自爆の権力が生まれてしまうというところにある」と述べているし、それは説得力がある。しかし東氏は便利への極度の恐怖が支配しているようにも私には思えてしまう。(私は監視カメラに対しては肯定的ではないが)
 この対談で興味深いのは東氏がミームとしてのオタク文化を、大塚氏が個々のクオリアの感じ方としてのオタクを捉えている。(大塚氏はおたくと平仮名に拘っている。)しかし119ページの指摘と矛盾する形でここでも東氏は言語の本質論、つまり個々のクオリアの捨象、後退という性格に着目する。要するに氏は言葉にしか興味がないのである。そのことは氏の「ライトノベルの文体にしても、よく言われる批判は「行間を読むことができない」ことです。なんらかの現実を描こうとしているんだけれど、言葉がそれに追いつけないという不可能性の雰囲気。作者はなにかを伝えようとしているんだけれども、この言葉では言えなかったんだろうな、という苦闘の跡が行間ですね。だからそれがライトノベルにはないのは当然で、彼らはマンガやアニメの無意識のデータベースから描写を取ってきているのだから、文章は現実そのものなんですよ。この変化がいいのか悪いのかと言ったら、小説読みとしてはそれは悪いと言いたくなる。(中略)そこでは一度達成された豊かさが失われているのだから」(第二章 2002年‐言葉の変容中、165~166ページより)という発言からも頷ける。しかし内容的にはここで東氏が言われていることは、文学や批評言語の伝統的コードに対する盲目の信頼ではないだろうか?
 文学は言葉の仕組みから考えていくものだし、批評は文学についてのものであれば文学の言葉の仕組みについて「伝えるべき内容」を考えるが、その伝えるべき内容の仕組みについて考えなくてはならない。そもそも文学も批評も前段階の伝統的コードを破壊し、豊かさの定義を再編することに全ての目論見がある。つまり豊かさを失った豊かさを前提にして考えることが文学であり批評である筈だからだ。文学が言葉の仕組みから作り変える意図以外のものではないことと、批評は文学やマスコミの言説に対するメタ言語であるがそれでも、メタ言語の仕組みを作り変える意図以外のものではない意味では東氏はここで「豊かさ」を従来通りの「伝えるべき内容」から考えている。(第二章参照)
 私はこの対談で大塚氏共々双方の立場を理解することが出来る。ただ言葉には感覚的個別性を蹴散らすくらいのパワーがあり、それ自体の問題が考えていくべきことだ。つまり言葉で表現出来なさを言葉で決着つけようとするか、漫画や絵画、イラストやデザインで表現するかは個々の選択であり、つまり固定化した様式と似た言語のミームとしてのオタクを主に係わるか、感覚オタクとして生きるかの違いである。(桜というタイトルは既に日本人にとって偶像化されたミームである。J‐ポップで何曲同一タイトルの曲があるか数えてみればよい。)
 東氏は対談相手に理で攻めるので、どうしても相手は情で応酬せざるを得なくなる。感覚論的には氏はオタクではない。オタクはオタクを客観的には見られない。かく言う私もある部分ではかなりオタクなので同様だ。しかしオタクを考えるなら、オタクを分析する必要があるのでオタク外的に生きねばならない。そもそも分析オタクは分析を論に役立てることが出来ないが、論を論として纏めるのには分析も必要であり、分析オタク外的でなくてはならない。その点東氏は成功している。理念的オタクになることに成功している。
 現代人に何故2チャンネルが必要でブログ、ホームページ、新聞、テレビと親和的私秘性と公とされるものが共存するかと言うと、2チャンネル的私と幻想かも知れない公(「伝えるべき内容」を作らせるもの)との間の往復の中に意味や理があると私たちが殆ど本能的に感じ取っているからだ。オタクは特別な人を指すのではない。引き篭もりもニートと呼ばれる人たちもそうだ。全ての人たちが少なからずオタクで少なからず別のタイプのオタクや引き篭もりやニートを差別する。つまりオタクを否定する人たちとは別種のオタクでしかない。そして意味は私にも公にもない。その往復の中にある。自由は恐らくその意味を見出す思索と往復する行動の中でのみ見出され得る。勿論レヴィナスの言うように自由は責任を先験的に伴っている。(自由は責任が生むほんの一つの現象である)
 孔子が言う徳や仁はこの意味が理として作用する集積による一つの成果であろう。礼は理を守る一つの形式的所作、法として明文化される以前の「構え」である。映画「おくりびと」に代表される表現上での死を巡る思索もここに存する。カテゴリーは概念として時代毎に少しずつ変わる。しかし意味はそれとは少し違う。それは概念の相対性と違い、一つのメッセージに内在する公‐私の往復の中に見出されるものだからだ。
 2チャンネル的世界はその世界なりに一般化された偶像を作る。概念の偶像化は一つの時代の趨勢である。趨勢たる思潮が概念を変化させる。権力は思潮に乗る者に付帯する。しかし自由はニーチェに啓発されたドゥルーズが哲学者は真に反時代的たるという主張と同じようにそういう関係の中にはない。
 

Tuesday, October 27, 2009

結論になり代わるもの、あるいは言葉を巡って考えられる自由と責任①

 現代は情報化社会である。そして情報の手段は多様を極める。しかしどんなに新奇な手段であっても、それ以前の手段の存在理由を熟知して登場している。つまりそれ以前に常套的であった手段に欠けている要素を実現させてきたわけだ。例えば文字の発明は、その文字が模倣した意味を伝達する発声行為があって、それを下に音声を記述することから生じた(だろう)。(勿論文字の発生が音声より先であった可能性もゼロではないがここではそのことは問わない。)そして文字というものがあり、その文字を紙の発明は書き写すことを発明し、やがて書物が出来て、書物は人の手によって書き写すものであったが、印刷技術が可能にし本として市販されるようになり、新聞も出来て、その延長戦上に、写真が発明され、映画が発明され、電話が発明され、ラジオの発明が齎され、テレビが発明され、パソコンが普及してインターネットが発明され、メールという通信手段も出来、メールは携帯電話でも出来るようになり、そしてブログを誰でも簡単に作れるようになった。現代では政治家を選ぶのも、自分でも知らない内に誰かが選ばれているというような昔と違って、きちんと誰が立候補しているか知って、自分でも投票して選ぶことが出来るが、一度も政治家の姿を実際には見ていないで選んでいる場合も多い。つまりメディアを通じてその姿とか人物を知って投票することも多い。しかしこれは極めて人類の歴史においても特殊な状況であると言っていいだろう。現代とはマスコミ、マスメディアというものを前提として、しかもその前提としていることの内に言葉というものを通した実際上の人間の知遇を得たりする仕方ではない仕方によるコミュニケーションが加速度的に増加している(かく言う私もネット、メール上だけでの知人というものも大勢いる)のだ。こういう状況だからこそ、人類にとっての言葉を、私たちの行為や行動の自由と責任において考えることは意味がある。
 本論は第一章で言葉の問題から入り、第二章でマスコミというものの私たちにとっての在り方を考えた。その過程で自由と責任の在り方について考えてきた。そして差別という意識が生じるから偶像化が起こり、私たちの偶像化作用が、例えば職業意識を生むというところまで論じた。私たちが国家や国民、民族、出身地毎の地方意識を生じさせるのも、他と差別化するという意識からである。しかし結論というものはそう簡単に導き出せるものではない。つまり結論としてだからこうすべきであるとか、だからこうなるから気をつけろことはそうたやすくは言えるものでもない。ならば何故そう言えないかというと、そのように人類は大昔から何らかの結論を出そうとしてきたのであり、それが歴史であることだ。そして歴史が続いている以上その結論は出ていない。
 結論の代わりと言っては何だが、私は先に取り上げた孔子の「論語」にヒントを得てそれを書こうと思う。孔子は「論語」の中で徳も仁も礼も大切であると言っている。しかしその内でどれが一番大切であるかとは言っていない。そこでここで私の独断と偏見で、徳も仁も礼もその基礎として理、つまり言葉の意味、仕組みのこととしてもいい、この理(そこには法も含まれるし、習慣とか、物理とか、論理というもの全般が含まれる)が、それをベースにして「論語」中の重要だと思われる言説を、西欧哲学と併行させながらその形而上学的、精神的展開を人類がどういう形でしてきたかことを中心に考えていってみようと思う。

 私にとって極めて日本について興味深いこととは、昨今あった幾つかの大相撲に関する出来事についてである。例えば日本相撲協会にしても、横綱審議委員会にしても、我が国ではある平素から素行が問題視されている外国人力士が優勝した時にガッツポーズを取ったことを品格として訓戒措置を取っていたようだが、これなどは吉田神道という皇室と密接な歴史を背負った国技であるという意識からくる、要するに他の一般のスポーツとは違うのだということに対する見せしめであるが、本来相撲もまた一つのスポーツであるなら、彼の取ったポーズは何ら意味的に、意志表示的に悪いことではないと私は思う。つまりそれは上野由紀子がソフトボールで優勝した時に諸手を挙げて喜んだことと同じことだからだ。神道的作法云々で言うのなら、もっと現代的解釈で他の部分で改善すべき余地があるのではないだろうか?例えば興味深いことには、大麻吸引していた力士は即刻解雇して、永久追放を決め込むことによって、臭いものに蓋をしていたことである。これはここのところ頻発した不祥事であるが、そういう不祥事を招いた協会全体の指導方針とか、そのやり方の不備については一切問うことをしない。いや問わせないようにしているとしか思えない。寧ろそちらの措置の方がより国技の精神に悖るのではないか。
 つまり一方で品格を求めておきながら、他方自らの不祥事に対する協会全体の指導方針を巡る体質に対する批判だけは巧妙にすり抜けるように有無を言わさず、若い不祥事力士だけを排除する。これでは相撲界全体に蔓延した旧態依然的空気、それが大麻汚染やまさにあの若い見習い弟子の折檻死事件をも招聘したのであるが、そのことに対する反省は皆無である。しかしここには典型的な責任転嫁、つまり社会全体に責任がある、つまり薬物が蔓延しているのは何も相撲界だけではない(事実だが)という暗黙の主張がある。それはそう言い抜けなければならないとする私たちの判断がたまたま相撲界にもそういう態度を採らせるわけだ。その問題発生時の力士の親方であれ、相撲協会の理事であれ、責任転嫁出来ない成員を私たちは頼り甲斐のない無責任な人間であるという烙印を押すことに対する恐怖が責任ある地位の人間にはあるのだ。本質的な問題は決して責任者個人の問題ではないというメタ認知が出来ないとその本当の問題の解決にはならない(それは正しい面もあるが)という認識が、責任というものの所在を曖昧化していく。それは不景気になった時にも経営者たちだけは責任を取らずに済むという事態となって顕在化している。
 言語が最も頻繁に使用される概念を下に全てを判断していくような思考傾向を私たちに賦与しているのは、実は最も権威ある筋がその概念を使用すればそれに右に倣えするような模倣の原理が私たちに染みついていることに起因する。ここにある権威ある言説に対して一定の信頼を寄せるという判断を正当化する私たちのごく自然な心理(それをニーチェは権力への意志と表現した)と、そのように偶像化された言説を、理からではなく、信用から引用する頻度を増加させる判断を正当化させる心理とは全く同じベクトルのものである。そして言語が最もこのように偶像化しやすいものである。
 例えばこれが音楽の持っているモードであるなら、それこそ十年というスパンが一つのスタイルが保持されていく限界だろう。コンディヤックが「人間認識起源論」においてかつて歌詞が主体であり、歌詞のない音楽が考えられなかった状態から今日の状態、つまり歌詞から音楽が独立していることも普通であるようにまで来るのには多大な時間的プロセスを要したという主張も、実は私たちにとっての言語の歴史における最も顕著なある性格を示している。(コンディヤックはギリシャで書く行為が詩的言語から発達したと考えている。)それは言語活動が進化していく上で果たした意味の呪縛である。しかし同時に彼は想像力を重要な柱として論を展開する。つまり古代の人類の方が、現代のように音楽的表現が複雑で完成されていなかったために些細な音楽表現上での進化に対して鋭敏な感性があったに違いないという推察からは、人間がより欠如した状態から、想像力を働かせ文明を築き上げてきたという歴史的真実を見据えている。彼はパントマイムのような身体表現的言語についても同じように捉えている。身体表現としてのマイムはしかし言語活動をするようになってからの人間による表現なので、非言語的言語以外のものではない。言語活動以前的には我々は果たして身体表現そのものが可能だったのだろうか?身体的な動きで何か感情を表現することもまた、コンディヤックの主張する想像力の下で、それなりに意志は伝わったのだろうか?因みにサルトルも想像力を重要視したが、彼もコンディヤックの考えていたような哲学の系譜にあることを物語っている。
 本来言語活動とは身体的行為であり、恐らく音楽的欲望とそう変わらないものだったのだろう。しかし徐々に社会形態が秩序化されていくに従って呪術的な発声行為は意味の伝達へと進化していった。そして意味が主体となり、音声的な唸りとか呻きといった音声そのもののクオリアは付随的な要素へと後退して、そこでは意志伝達という形での言語=意識的行為媒介という秩序が形成されていく。哲学でそういった考えを前提にして言語論を展開したものの典型としてコンディヤック以外ではルソーが挙げられるだろう。
 しかし繰り返すが、音楽は音楽的欲望と衝動によるものが発祥の起源だとするなら、音楽が歌詞に従属させられるようになるという社会進化過程とは、人間が音楽本来の欲望や衝動を忘れていく過程と言い換えてもいい。つまり逆に言語の方も、実は身体的に顕在する音楽的欲望とか感情といったものを根幹に据えていると考えることも充分に出来る。だからまさに言葉の歴史であると言ってもよい哲学の歴史は、同時に哲学が考える領域が言語だけではなく言語外的なものにまで及んでいるので、必然的に言語によって言語も、言語外的なものも記述する歴史だったと言ってもよい。だからこそ必然的に哲学には哲学固有の論理に内在する音楽性というものも宿っている(ニーチェは道徳も音楽だと言う)。
 プラトンが記述から発声による対話へ重点を移した(意味の呪縛の一例)のと逆にデリダが発声から記述へと重点を移したのは、god とdogとが前者の方が後だと言って辞書が出来た時大騒ぎした西欧人たちの見た現実と同じ風に理解することが出来る。今日我々は孔子の言葉も、プラトンやアリストテレスの本も、仏陀やイエスの言葉も、アウグスティヌスの言葉も、エックハルトの本も、デカルトも、カントも、フッサールも、ベルグソンも、サイードも、隣接した書棚に陳列されていて、その中のどれを選ぼうが自由である。それはテレビでたまたまつけたチャンネルで爆笑問題が司会のクイズ番組で、別のチャンネルをつけたら石田衣良が同じ時間帯に別の番組に出ていて、別のチャンネルを廻したら西川史子が出ていたことに気づくことよりももっと珍妙なことなのだ。それは時代も、国境も、思想的な乖離もものともせずにどれでも並列的に探すことが出来る。しかしこれはアカデメイアでプラトンが目指したことでもある。そしてそれは実現したし、実現することを見越して彼らは人間にとっての世界の在り方に内在する真理を記述したのだ。
 プラトンが唱えたイデアが意味の進化と歩調を合わせ、我々は「伝えるべき内容」の選択に骨身を砕くようになっていく。しかしハイデッガーが存在とその配慮に注目した。ハイデッガーにとって言葉は人間の個にとって不可避な歴史認識の道具であると同時に、行為も歴史だし、理性も歴史である。そして歴史は私たちが存在する証である言葉によると考えたわけだ。デリダはこの精神に深く傾斜する。
 「わたしたちが神に対してすべてをさらすならば、神はわたしたちにもまた神のもっているすべてを明かしてくれる」(「エックハルト説教集」中82ページ)とか「わたしたちが神に隠すことがあれば、神もわたしたちに隠すことがある」(同書83ページ)というエックハルトの考えの内には功利主義哲学にはない、そのように真摯に神や他者と接しても報われなかったにしても、そういう気持ちになれたことで悔いはないという心の充実への快、幸福追求の考えに対する決心がある。エックハルトの考えの基礎にはフレーゲ的経験主体の考えがある。このスタンスはレヴィナスにも受け継がれている。あるいはプラトンが天上のものとしたイデアとはこのようなものだったのかも知れない。だからプラトンの真意を汲んでいたのはカントのような例外は除いて哲学者よりは宗教家だったかも知れない。ホッブス、ミル、ベンサムがアリストテレス的系譜であるなら、明らかにカントもレヴィナスもプラトン的系譜である(中島義道氏はカントを反プラトニストと捉えているが、そうだからこそ系譜学的にはそうなのである)。ルソー、ヘーゲル、ニーチェらはそのどちらでもないと言えるかも知れない。私が第一章で述べた「伝えるべき内容」は、法的規制、社会的強制力、あるいは文化伝統的な良識や通念である。しかしそれは寧ろ理と対立していくものである。
 しかし「べき」を我々が考えるのは、ある理が通っていく時、その効果や波及力が予測し得る時に他ならない。プラトンと違ってプラトニズムが批判対象となるのは、プラトニズムの方がよりプラトンの効果や波及力を助長するように政治的に動いているからである。だから一つの言説や定説、あるいは閃きに対して警戒心を持ちそう容易に認可したり、受容しない(差別する)こともある程度仕方ないとも言える。事実偉大なものとは実害として作用することも多いからだ。しかしそれは昨今言われることの多い霞ヶ関文学ではないが、「論語」中巻第三 擁也第六.一八 の言説に示唆的である。

 子日、質勝文則野、文勝質則史
 文質彬彬、然後君子

 子の日わく、質、文に勝てば即ち野、文、質に勝てば即ち史。
 文質彬彬として然る後に君子になり。
 
 先生がいわれた、「質朴さが装飾よりも強ければ野人であるし、装飾が質朴よりも強ければ文書係りである。装飾と質朴さがうまくとけあってこそ、はじめて君子だ」
 
 文書係り_「史」は朝廷の文書を司る役人で、典故に通じて文章の外面的な装飾をつとめる。

 形式か実質か、凡庸で安全な言説を善しとするか、偉大だが危険な言説を善しとするかは各人の主観に拠る。孔子は君子に対して書かれた心得書きでもあるので、理解することが困難なところもあるし、プラトンのようにその波及力に危険性があるのではなく理解や応用実践の仕方に危険性が潜んでいる。
 私はこのエッセイ風論文をこう始めた。
 「私たちは言葉という規約、規制に取り巻かれて生活している。恐らく現代人は言葉の力を借りずには何一つ社会を生きることも何一つ行動することも出来ないだろう。これは一日中誰とも話さずに過ごすデイ・トレーダーにしても変わらない。」
 これは実は古代、いやもっと人類が発祥した頃からある程度決定されていたことなのかも知れない。
 私の知人に絵を趣味で描く人がいる。彼はリタイアする前はテレビヴァラエティー番組の美術の仕事を監督されていた方だ。その人はあまり本を読まない。そして活字そのものをあまり信じていないというスタンスを取って生活している人である。しかしこの生き方ほどある意味で言葉に呪縛された生き方はない。そもそも絵画とは一つの言語活動であると例えば哲学者の永井均氏も認めている。(「なぜ意識は存在しないのか」より)しかしそれだけではない。それは言語に対する不信を抱くという心理自体が既に言語に絡め取られていると私は思うからである。
 それは最近のことを振り返ってみても、「あなたとは違うんです」と言って辞めた政治家のことをその業績からではなく、その言葉と態度で後世まで記憶する人が多いだろうことや、靴を投げられて辞めていったどこかの国の大統領にしてもその我々にとっての印象の持ち方は同じである。彼もまたその靴をよけたその所作という行為性という型に押し込めた言語的認識において記憶されるのだ。そしてその印象はそれまでにどんなに素晴らしい業績を挙げても、リタイアする時に持ってしまった以上我々はどうすることも出来ない。勿論その後継者にしてもどんなに幸先よく期待されても、辿る運命は演説の巧さと実質的手腕とが一致しなければ恐らく似たり寄ったりだろう。(そうでないことを祈る)
 だから仮にテレビもラジオも一切かからない孤島で過ごすことを決め込んで生活しようとしても、それこそ言葉の呪縛に絡め取られているという意味では言葉の力から自由であるわけではない。
 出版社の多くは経営難であり、自費出版を強力に推し進めていきたいと願っていても、本質的なムーヴメントという意味ではネット社会には太刀打ち出来ない。つまり尼僧で著名な文学者までもが一時携帯小説を試み圧倒的なアクセス数を獲得したがすぐに止めてしまったというが、携帯による配信とか、ネット配信といったことに纏わる波及力そのものが既に言語認識から逃れられないという我々の運命を示している。私自身何年も新聞を取っていずニュースは全てネットを利用しているが、その事実が既に私もまた言葉のネットの中にいることを示している。
 絵画とか舞踊とか舞踏のような表現手段においても我々は言語から自由になってそれらを鑑賞しているわけではない。絵画を鑑賞する時にも我々は言語的思考を巡らせているし、舞踊や舞踏を見てもそこに言葉を見出す。それは送り手にしても変わりない。
 だが我々の前に歴史的に残っている文化遺産における言語の在り方はそれらの認識とは少し違う。例えば孔子が素晴らしい人物であったかどうかことはあまり大した問題ではない。そのことは次の「論語」の一説が見事に語ってくれている。

 子日、君子不以言學人、不以人發言
 子の曰わく、君子は言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず。

 先生がいわれた、「君子はことばによって(立派なことをいったからといって)人を抜擢せず、また人によって(性格が悪いからなどといって)ことばをすてることをしない。」

 真実徳がその人にあるかどうかでテクストが文化遺産として残っているわけではない。ハイデッガーが積極的にナチスに対して協力的であった事実は彼の哲学の本質を歪めることはない。尤も私の挙げた例だけでは正確ではないかも知れないが、行動もまた性格の一つとして解釈することも可能だろう。勿論言説と行動の一致において歴史に残っているものもある。ハンナ・アレントはその一例だろうし、レヴィナスもそうである。そこへ来ると、孔子の言説とされる「論語」中の幾つかのものは、現代社会の様相を考える時、時代の違いをまざまざと感じさせる。例えば次のようなものである。

 (巻第二 里仁第四)
 子日、古者、言之不出、恥躬之不逮達也

 子の日わく、古者、言をこれ出ださざるは、身の逮ばざるを恥じてなり

 先生がいわれた、「昔の人がことばを〔軽々しく〕口にしなかったのは、実践がそれに
追いつけないことを恥じたからだ。」

 (巻第二 里仁第四)
 二四 子日、君子欲訥於言、而敏於行、
 子の日わく、君子は言を訥にして、行に敏ならんと欲す。

 先生がいわれた、「君子は、口を重くして、実践につとめるようにありたいと望む。」

 (巻第三 公治長第五)
 子路有聞、未之能行、唯恐有聞、

 子路、聞くこと有りて、未だこれ行なうこと能わざれば、唯だ聞く有らんことを怖る

 子路は、何かを聞いてそれをまだ行なえないうちは、さらに何かを聞くことをひたすら恐れた。

 現代社会は有言実行が当然のこととなっている。不言実行は寧ろ説明責任を蔑ろにしていることで、古いとされる。私はその現実を半分仕方ないと思い、半分戦慄を覚える。つまり言語的認識のごく初歩的で規約的な呪縛から現代人が自由ではないことから、その自由でなさを説明で補うことは致し方ないと思うと同時に、一切の言説を行なわない者を暗黙に絞め殺すような雰囲気があるからである。私は沈黙を美徳とも思っていなし、本を読まないこともいいことだと思わないし、責任転嫁の巧妙な成員だけが他者から一切の揶揄を受けないような社会通念が罷り通っている現代社会では、特に自己防衛的に言説を自己流でもいいから携えていることがマナーである(それをしない無垢を美徳として考えることも私には出来ない)と考えているが、実行することの本質に対して見極めることを億劫になり、先例の政治家の業績からではなくメディア上のイメージで判断してしまう私たちの現実に戦慄を覚えるのだ。
 つまり現代社会では専門性があまりにも細分化されてしまっていて、領域侵犯的行為とか学際的行為は、接触領域に対する配慮と、大衆に対する啓蒙精神によってメディア化され、イメージ化されざるを得ない。劇場型政治は何も云々劇場と呼ばれたかつての宰相にのみ賦与される特権的イメージではなく、寧ろ劇場型政治や、イメージ戦略の否定とか批判においてさえ成立している。つまり反体制とか、市場原理主義批判とかの言説の中に既に劇場型政治、メディア戦略型社会の様相が組み込まれているのだ。しかし九鬼久造の「<いき>の構造」のタイトルを土居健夫氏がもじって、現代社会を「<甘え>の構造」であると命名した瞬間本家取りの戦略の中に、ネット化された言葉の魔力を素直に認め受け容れる姿勢が示されている。
 しかし僅か数年前に席捲した言説が容易に覆され、しかし新聞の一面の見出しや様々なコピーやキャッチフレーズには主張する世間一般の考えの豹変とは裏腹に語呂的な覚えやすさ(キャッチーさ)だけは踏襲しているような人間の音楽的欲望に対する配慮はどんな経済状態で、どんな社会通念が罷り通っても変化しない。つまり常に同じ思考回路で違う局面、違う倫理に対処しているのが私たちなのではないかということだ。例えばサルトルは「存在と無」で崖の上に立った時に、そこから身を投げてしまう自分の衝動に対して恐れ戦く描写が登場する。実は私もホームに電車が来る時、いつもここで身を投げたならどんなに楽だろうと思う。つい最近ある老婆が私の自宅からの最寄り駅のホームを降りて線路内をしかも電車がやって来る方向へてくてく歩いている姿を見て、急いで駅員を呼んで止めさせた。私にとって衝撃だったのは、そこに居合わせた女子高生(彼女たちはひそひそその姿を見ながら笑ってさえいた)をはじめ、大人の誰もが彼女の行動(恐らく自殺したかったのだろう)に対して止めようとしたり、駅員に報告しようとしたりしなかったことである。(その時いた女子高生たちは恐らく「女の幸せが欲しい」などと担任の先生に告げて顰蹙を買う勇気など微塵もないだろう。)これは現代人のヒューマニズム云々以前の行動学的規範が崩壊している証拠である。
 例えば「論語」中の次の一説を読者諸氏はどのようにお考えあろうか?

 (巻第四 述面第七)
 子所雅言、詩書執禮、皆雅言也

 子の雅言する所は、詩、書、執礼、皆雅言す。

 先生が正しい言語を守られるのは、詩経・書経〔を読むとき〕と礼を行なうときで、みな正しい言語であった。

 正しい言語_古注に従う。伝統的な由緒正しい言語。新注では「常言」と解して「ふだんにいつも話題にしたこと」となる。

 これは言語的認識とか、言語的説明責任とか、要するに公的なこととして、孔子が考える規約ということにおいて理性論的に正しい言語の使用方法を踏襲することはよいが、そのように社会行動の知において正当であることを把握する以外の局面では理路整然なこと、あるいは理性とは必ずしも全ての規範とはなり得ないという主張のように私には思える。例えば今私の目前に溺れかけている子供がいたとしたら、私はそれが私に助けられる範囲の状況であるなら、助けようとすだろうし、それが出来ないのであれ救援を要請すべく何らかの行動を採るだろう。言葉の正しい使用法というテーゼは緊急事態にはどうでもいいことである。意志が伝わることの方が大切である。つまりこのような臨機応変な考えの内に逆に言葉の正しい使用法という概念が生きてくるのではないだろうか?言葉に関する記述は「論語」ではかなり多く、次のようなものもその典型である。

 (巻第七 子路第十三)
子路日、衛君待子而為政、子将 先、子日、必也正名乎、子路日、有是哉、子之迂也、 其正、子日野哉由也、君子於其所不知、蓋閾如也、名不正則言不順、言不順則事不成、事不成則禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所 而巳

 子路が曰わく、衛の君、子を待ちて政を為さば、子将に をか先にせん。子の日わく、必ずや名を正さんか。子路が曰わく、是れ有るかな、子の迂なるや。 ぞ其れ正さん。子の日わく、野なるかな、由や。君子は其の知らざるれば即ち礼楽興こらず、刑罰中らざれば即ち民手足を措く所なし。故に君子はこれに名づくれば必らず言うべきなり。これを言えば必らず行なうべきなり。君子、其の言に於いて、苟しくもする所なきのみ。

 蓋閾如たり_「蓋し閾如す。」と読むのがふつうであるが、蓋閾如は踧踖如などと同じ双声畳韻の形容語である。

 子路はいった、「衛の殿さまが先生をお迎えして政治をなさることになれば、先生は何から先になさいますか。」先生はいわれた、「せめては名を正すことだね。」子路はいった、「これですからね、先生のまわり遠さは。〔この急場にそんなものを〕どうしてまた正すのです。」先生はいわれた、「がさつだね、由は。君子は自分の分からないことはだまっているものだ。名が正しくなければことばも順当でなく、ことばが順当でなければ仕事もできあがらず、仕事ができあがらなければ儀礼も音楽も盛んにならず、儀礼や音楽が盛んでなければ刑罰もぴったりゆかず、刑罰がぴったりゆかなければ人民は〔不安で〕手足のおきどころがなくなる。だから君子は名をつけたらきっとそれをことばとして言えるし、ことばで言ったらきっとそれを実行できるようにする。君子は自分のことばについては決していいかげにしないものだよ。」

 衛の殿さま_衛の出公のこと。述而篇第十四章(中略著者)。孔子が「正名(君臣父子の名分を正すこと)」をいったのは、出公が父と争っていて国中の名分が乱れていたからである。
 名が正しく_名と実があっていること。父は父として、子は子として、
 儀礼や音楽が・・・・・_『孝経』に「安上治民は礼より善きはなく、移風易俗は楽より善はなし。」とある。礼楽が衰えると刑罰が適切を欠くようになると考えられた。
 君子は・・・・・_この結びは、子路の失言を戒める意味を持っている。子路は衛に仕えていてその内乱に巻き込まれて死ぬ。

 分からないことは黙っているものだ、という一説はソクラテスを彷彿させる。名とは形式、言葉は概念、仕事は責任遂行、儀礼や音楽は責任によって獲得する自由、刑罰は刑罰と考えればいいと思うが、儀礼や音楽ことを、人間の音楽的欲望と考え、儀礼という形式を名の形式とは違う人間の意識を鼓舞したり、和らげたりするものと考えると、刑罰という法秩序的執行という責任遂行は、人間の内的自由の領域がそれを保持するために必要悪として刑罰を科すことを意味するのだろうか?つまり精神の自由を確保するために法的に逸脱した者を刑罰によって制裁し、社会の安寧を図ることなのだろう。
 また「論語」の中の次の一説は最もソクラテス的である。

 (巻第一 為政第二)
 子日、由、誨女知之乎、知之為知之、不知為不知、是知也

 子の日わく、由よ、女にこれを知ることを訓えんか。これを知るをこれを知ると為し、
 知らざるを知らずと為せ。これ知るなり。
 
 女_皇本・清本では「汝」。両字は通用。(著者省略)

 先生がいわれた、「由よ、お前に知ることを教えようか。知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知ることだ。」

 孔子もソクラテスもプラトンも社会の動乱期にその考えを熟成させたというところに共通性があると思われるが、一切その種の歴史的解釈は専門家に譲るとしてここでは何故そのように時代が離れた二つの思想に共通点が見出せるかに焦点化して考えてみよう。
 
 靴を首脳に投げつけるのも、通り魔殺人を携帯メール予告するのも、その連鎖的に頻発することとは、模倣性に軸を置いている。行為を言語的に認識しているのが私たちだが、その言語的認識の基本は模倣である。言語脳科学者が考えているように言語が思考を、思考が言語をインスパイアしている。ネットで瞬時に駆け巡る情報、メールの書き込みの応報、全ては言葉から連想する行動の模倣である。
 パソコン市場では不況の煽りを食らって多機能パソコンから機能を極度に絞り込んだ低価格パソコンが主軸になることもまた株式市況に関するニュースであったり、新聞の記事であったりする。世界経済の動向という不可避が既に言葉のネットによるものである。
 ワルター・ベンヤミンは「パサージュ論」において住を基本としたパリの都市生活について、建築、デザイン、流行文学、市民によるアンティークの趣味といったことに目をつけ、様々なタイプの記述から引用し、時々自分のメッセージを挿入するスタイルでコラージュ的な論説を試みているが、その手法は明らかに既に出揃ったメディアを思考するために活用することで、様式美に対する言及となっているが、彼が本当に描出したかったのは、住を基本とした人間の深層心理なのである。それはプラトンが地下に閉じ込められた囚人が見た地上の姿の影を実体だと思っていたという有名な下りに示された実体と虚との関係で言えば、実際のモードが虚であり、実体は心の中の欲望だということだ。
 その欲望は現代社会ではロングテールビジネスにおいて大勢の人たちが一つの売れ筋の商品を求めている事実に対応するのではなく、個々の消費者のオタク的なニーズに対応して様々な商品を取り扱うというアマゾンなどの戦略などに見られるような欲望の一元化からの開放の意図もあったと思われる。
 かつて女性は深夜まで働くことなどなかったが、コンビニが24時間営業となってからは夜間に働く女性ことはタブーではなくなったが、昨今犯罪にコンビニが狙われるケースが多くなると、再びコンビニの24時間営業に関して待ったをかける考えも提出され、京都はいち早く実践しようとした(結局実現しなかったが)。
 つまり人間の新たな欲望は、何かそれまでに欠如していた状態が充足されると更新される。そしてその新たな欲望に対応した新種の犯罪が登場し、それを今度は防止する意図で新たな措置、新たなメディアや販売戦略が考案される。
 例えば竹中平蔵氏のニュースヴァラエティー番組中の言葉を借り「テレビは究極のワンフレーズ力だ」としたら、それは何故影響力が絶大であるかと言うと、「あなたとは違うんです」もそうだが、少し前では「弟です、息子です」がそれこそ問題化された時期には毎日何度も繰り返し映像が流された。それはプロデュースサイドの、そして局全体の意向だが、その反復から私たちはよりショーアップされた現実、つまり劇化された現実を目の当たりにする。そしてそれは完全なる受身としてである。そこでインターネットが存在理由を確保しているのは、ユーザー個々の意志でアクセス出来るからである。しかしテレビは絶対に観ないという人でない限り、ネットの現実はテレビの提供する現実と相互に影響し合っている。例えばネットで検索することは意外とテレビで得た情報を更に詳しくという形でなされることも多い。そしてテレビで頻繁に登場するタレント、コメンテーター、司会者などが示すメッセージが反復されることでその発信者の知名度をアップさせ、その有名な発信者によるメッセージが親和力を獲得していく。そして実際に会って話したりする時に持つ親和力や、友人と知人に対する親和力とメディア偶像や、メディアで偶像化された言説(「究極のワンフレーズ力」もそうである)との境界が曖昧化していく。親密度の指数の高い人物の発する効果的なメッセージは社会そのものが主客という形で形成されているという認識からではなく、より異なった要素を抱いた存在者たちが共存しているという現実(ハイデッガーの言葉を借りれば存在への配慮)、あるいは主従という形ではない相互依存という現実を基礎としている。そして現代のオタクとはその共存と依存の裏返しとしての自愛が基礎にある。
 本論に何度か登場した写真や映画といったメディアは純粋な視覚的メディアではない。絵画が実自体に対する内的な実という形での虚的実現であるのに対し、写真は実そのものを絵画手法によって示すのではない形での実自体の虚である。そしてそれを顕現されるものは機械という主観の欠如したメディアである。映画はそれに動きが、そして次世代では音まで加わった。そしてそれらのメディアが持っているのも親和力、つまり「見慣れたものを見慣れた仕方で知覚する」という欲求と願望の実現である。肖像画として描かれたモデルは、その絵を描いた作者とモデルの関係で見られることが多いが、写真に撮られたモデルは(報道写真であっても記念写真であっても)より撮影者よりモデルの実にまず目線が行く。(特別の腕の写真家によるものでない限り)そして写真で撮られたモデルが実際に目撃されることは、絵に描かれたモデルが目撃されるよりも虚と実の一致において前者の方が「本人であるための確認」上での信憑性が大きいことも手伝って、テレビに出演しているタレントやコメンテーター(ドラマの演技ではない形での発言等を通した)のメッセージがより強力に社会に対して波及力を持つのは、この信憑性と、映像を通して日常化される親密度である。
 ヒューバート・ドレイファスは「インターネットについて」で次のよう述べている。

 アリストテレス以来われわれは、より広い集合の下位により狭い集合を包摂するヒエラルキーを作って、その中に情報を組織するという習慣を身につけてしまっている。そこでわれわれは、事物から生物、動物、哺乳類、犬、コリー、ラッシーへと下っていくことになるのである。情報がそうした階層的なデータベースの中に組織されていれば、ユーザーは意味の環を辿って下り、特定の情報に行き着くことができる。その代わり、ユーザーはその情報を見つけだす前に、情報が属している特定の情報クラスに身を委ねることを強いられる。例えばもし私が亀に関する情報を見つけだそうとすれば、私はまず動物に対する関心に身を委ねなければならないのである。そして、一旦、データベースの中に動物系統へのコミットメントがなされたならば、私は、すでになされたコミットメントを逆に辿ることなしには、無限に存在するはずの他の問題に関する情報を調べることはできない。
 
 ここで示された考えは、哲学者の中島義道氏が大森荘蔵氏との対談での次の考えを私に連想させる。

 (前略)そこに馬が見え「馬」という名前を知っているからその物体にその名前を張りつけるという話ではなくて、むしろ馬という観念を知っているから、その物体が馬として見えてくるんですね。もし、馬という観念を持っていなければ、動物として見えてくるんでしょうね。動物という観念もなければ、物体として見えるでしょうね。物体という観念さえなければ、多分何も見えないでしょうね。全体に光の渦が巻いていて、何も見えない世界が広がっている、これがもしかしたら実在かもしれないわけです。(「たまたま地上に僕は生まれた」128ページより)

 この記述はだが極めて矛盾している。まず私たちは親しいものに対して命名されたものとしての自覚を持ち、然る後にその親しいものが何に属するかことを知る。物体を知り、そしてその中に動物もあり、その中に馬があるという順で知るわけではない。中島氏は完全に二十歳以上の大人の判断のみを哲学の基本としているから、そういう理念の上でなら理解出来るが、それは言語習得や生成論的にはナンセンスである。つまり馬という名指しとは親しいものを見て知ってそれを何と言うかということで対応させてまず知り、然る後に動物、物体と徐々にカテゴリーを理解してゆく(そこまで理解出来たら、馬そのものが観念であることも理解出来る。)が、全体的なカテゴリーを理解出来るようになっても、親しいものの存在理由的特異性は失われない。また最後の「物体という観念さえなければ、多分何も見えないでしょうね。全体に光の渦が巻いていて、何も見えない世界が広がっている、これがもしかしたら実在かもしれないわけです。」という記述は言語のない我々の世界に対する想定であるが、やはりそういう中でも漠然とした親しいものとそうではないものとの間の識別は恐らく可能であろう。ただそういう場合には確固たるカテゴリー的な記憶はなされないから、随時判断することだけの現実となり、常に不動の観念に支配されているというような状況は私たちに齎されないだろうからそれを現実と認識することも出来ない。
 ただ中島氏の主張で頷けることは、要するに言葉を身につけることが知覚を成立させているということである。言葉を身につけることがカテゴリー認識することと一致しているのだ。その意味ではネットの検索とはカテゴリー認識を形成しつつある子供のためにではなく既にそれを了解している大人のためのものであり、アリストテレス的カテゴリーは先に私が述べた親和力とは対立する。そして責任とは概してカテゴリー認識によるものである。つまり私には家族がいる。そして親友もいるし、ただの知人もいる。しかし私は私の家族や親友を愛情や友情の面では最優先しても、責任の面ではそれほど親しくはない人に対しても、親しい人と等価に払う必要もあるし、義務がある。それが社会の成員として生活することだし、公的なこととを私的なことと区別することだ。
 「女の幸せが欲しい」と女子中学生が公的に発言出来ないという気持ちは、それがかなり親和力のある内容のものだからである。最近ではテレビでも自分の母親のことを「お母さん」と言うタレントが多いが、韓国では他者に向けても「お母様」と言わなければならないが、日本語では本来親族とか同一集団の成員のことを他者には「母」とか例えば「内の藤村」と言う。つまり公的な場とは責任を遂行すべき場であり、家庭内とは愛情が第一に発揮される。故に「女の幸せが欲しい」と仮に娘が母親に向かって言ったとしても、母親ならその時「お前の気持ちはよく分かるけど、未だお前には早い、今は勉強をもっと一生懸命しなさい」と言うかも知れないし、「よく分かるわ。でも皆の前では特に先生の前なんかではそういうことをあまり言ってはいけないわよ」と言うかも知れない。つまり親和力とは公的にはタブー視される傾向があることだ。それはどこかで親和力がエロスと接触しているからだろう。だからあるタレントとかコメンテーターが異様な人気を博すことの内には彼らが何かしら性的なニュアンスに対しての親和力を発散しているとも言える。ここら辺の問題は社会生物学系列の生物学者たちによる性選択という考え方がより説得力を持つだろうが、ここではそれ以上は触れない。
 何故そのように時代が離れた二つの思想に共通点が見出せるか、ということの一つの回答を述べよう。私たちは既に人類発祥の段階から恐らく固有の他者に対する羞恥を介在させていた。そのことが例えば私が示す「女の幸せが欲しい」という発言を女子中学生に対して公的な場では憚らせるのだ。そして親和力とは人間がただ責任の遂行だけでは息が詰まるという良心(良心とは人間性というものをどこかで本能と直結させている)の側からの要請で、やんわりと唯責任論に対して抵抗しているのである。そしてこの良心の要請というところに親和力が介在するのだ。つまり親和力は公的な場で唯一許されるやんわりとしてソフィスティケートされたエロスの表現なのである。だからテレビで人気を博すタレントとかコメンテーターたちの所作がそのやんわりと示す固有のエロス表現があまり猥褻感を醸し出さないというところに我々に魅力を感じさせるのかも知れない。それは話題にしてもいい範囲内の存在なのだ。 

Sunday, October 25, 2009

第十二章 偶像と差別

 私たちが日常において何らかの判断をする時、その判断を支えるものとは意外とよくあることに、たまたま起こったことを結びつけている。たまたま起こったこと自体がかなりいいことであれ、悪いことであれそれを特別のこととして受け取ると大変なことになり身が持たない。だから本当に特別なことというのはいざという時にだけ取っておいて、それ以外はよくあることにしておくことが私たちが日常で取る態度である。よくあることというのは顕著な真理である。そしてそれは私たちが責任を負うことを拒む時にすることである。よくあることだからこそ、一々全ての他人の物言いに気にしないでおこうと思うのだ。だからいじめはなくならないことが前章の結論であった。
 例えば権力と無縁の多くの人間にとって権力とは責任を負う者の典型である。自分は責任を負う必要がない、何故なら自分には権力がないからである、というのが一般的に私たちの態度である。と言うことは逆にある者に真実に権力があると考えることは、その者を自分たちとは違うと差別していることを意味する。そしてそれは尊敬する対象、尊崇する対象にも言えることである。差別とは尊敬する者にも、敬愛する者にも、崇拝する者にも適用出来る(前章でも述べた)。
 例えばそれは私たちが他人にかける言葉にも介在している真理ではないだろうか?
 「あなたは別格なんですから。」
 「彼は努力したもん、君とは違う。」
 そう誰かに言うこと、それは尊敬する者に対しては、その者の力量で勝手にいいことをしてくれるのだから、こちらからは一切の責任は持たない、一切面倒など見ないことを意味する。つまり私たちは縋るものに対してはいつまでも自分が子供であることを決め込む。相手を大人として、自分を子供としておくことは端的にその者への責任を一切負わないという意味で、差別的である(だから子供の言動とは残酷である)。そのものに対して一切の批判を免除するという尊崇とは、そのものに助力することも拒否することだから、必然的にどこか軽蔑にさえ近い心理であると言える。
 だから何か優れたものに対しても、さほど普段接している普通のものと変わりない態度を採る時にこそ、寧ろそのものに対する愛情が溢れているとも言える。つまりそれが人間であるなら、その者は優れているけれども、未だ若いから失敗することもあるかも知れないし、思い上がるかも知れない、だからそういう時にははっきり彼に告げてやろうという思い遣りがあるからだ。それはその者と接する上で自分も責任を負うという決意である。
 だから逆に日頃誰か特定のアイドルとか、特定の人気者(どんな職業の人であってもいい)に対して贔屓感情を抱くことは、責任は一切こちら側にはないことを意味しているのであり、ある日突然そのアイドルが自分にとってあまり切実なものではなくなることも充分あり得る。しかし私たちにとって一般的に世間で通用するものに対する接し方とは大体そんなものである。
 それは言語そのもの、つまり名辞とか概念ということに対してもそうなのである。
 オタク、ヒッキー、フリーターといった言葉に自分を当て嵌めて、その帰属意識を盾に、それ以外の成員、つまり自分と共有し合う資質の一切ない成員を部外者とすることで、その者に対する責任を実は自分から免除しようと画策しているわけだ。被差別者が被差別ではない普通の人に対して仲間はずれにすることすら一つの差別なのだ。
 それは自分を公務員、官僚、会社員といった風に自己紹介する時に既に起こっていることである。それは偶像に接する時の心理を知らず知らずの内に自分にも適用しているのだ。
 マスコミは自分で言葉を捏造することを避ける傾向がある。誰か特定の言葉を編み出した人にこそその言葉を発した責任があるのであり、その者の吐く言説が流行すればそれを流すだけのことである(流す責任は取らない)。しかしその者の言説が顰蹙を買えば、ただちにその者の言説を流通させることをセーブするだけのことである。しかし先にも言った通り、私たちはそういう風に実体のないものとしてマスコミをしておきたいのだ。それは私たちが言語行為をすることそのものが、実は全ての責任を自分が負うのではなく、ある部分では自分も負うが、別の部分では積極的に責任を誰かに転嫁し、要するに責任を他者に委託していることを宣言しているからである。つまり全てのコミュニケーションとはこの委託が介在している。だからマスコミとはそういった私たちの深層心理を反映するものとしてのみ存在し続ければよいし、それ以上のものになる必要もなければ、そうなり得ないことを一番私たちが知っている。
 ヘーゲルの「法の哲学」の優れたところとは、端的に共同体の一つの究極的な完成態であるところの国家とは、私たちの内心そのものがそれを求めていること、つまり全ての責任を自分が負うことを回避し、責任を他者に転嫁することそのものにおいて共有した意識の所有者たちによる合意であるとしているところである。
 だからある意味では自己の職業に対する誇りとかプロ意識といったものは、あのマックス・ヴェーバーによる「プロテスタンティズムの倫理と資本主義精神」によっても示されていたように、それを持つことによって神との契約をなすという題目、大義名分と言ってもよいが、それを果たすことにおいて自分の就いている職業以外のものを他者に委ね、責任を委託し、転嫁し、専門外の事項を「自分には責任を持てないもの」であると差別化していくこと以外のものではない。ヴェーバーのテクストにおいて考えられている徳のようなものは、それを持つことによって社会機能が安寧に維持されていくための方便として採用されていると考えればよいだろう。
 だからある部分では積極的に自分が所属する職業専門分野以外のものを軽蔑したり、差別したり、関心の埒外に置いたり、それらの人々を敬遠したりすることというのは、その閉鎖的集団内ではかなり有効に権力機構そのものを安泰にするためには役立つことである。
 それは再び見方を変えれば、自分の所属する集団内のトップに対して尊崇の念を抱くことは、その者の責任を剥奪せず、その者に責任を委託・転嫁することであることと、自分の所属していない集団内でのいかなる委託・転嫁においても不干渉を決め込むという決意でもある。それは自分にとってのアイドルとしての権力者に対しても差別することでもあれば、自分のアイドルではない別の集団のアイドルに対しても差別することである。ただ自分のアイドルに対しては(特にその者の前では)尊敬の念を示し親密的態度を示すが、他にとってのアイドルに対しては軽蔑の念を、あるいは無関心な態度を示すという態度の違いがあるだけで、内的関係における私たちの両方のアイドルに対する距離の置き方並びに差別の仕方に寸分の違いが横たわっているわけではない。

Friday, October 23, 2009

第十一章 差別といじめの関係

 しかし誰しも差別はいけないことだとそう思っている。つまり言説的な理解、つまりモラル的にそう思っている。しかし差別はいけないが、多少のいじめなら誰しも大目に見てくれるのではないかと、そう思うからいじめは根絶されないのだ。
 私はいじめと差別を似たようなものとして前章では処理した。しかしそれはこの章の序章としての配慮からである。前章のおさらいをしておくと、本質を追求することを隠さない勇気のある者は、そう出来ない勇気のない者を知らず知らずの内に差別しているとも言える。ソクラテスはそうでなかったなら、処刑されなかっただろう。勿論それを敏感に察知する勇気のない者は勇気のある者に対して先制攻撃をしかけ周囲皆の合意で差別する。
 つまり差別される者、迫害される者とは、差別する者、迫害する者全般に対してまず自分から距離を作っている。それは差別される側に固有の差別する者に対する無意識的な差別なのである。たとえそれが宣言であっても、暗黙の態度であってもそうなのだ。
 例えば日本ではいじめというものは厄介だが、差別はいけないと知りながら、大勢の人たちは気楽に差別しているし、差別されることにも慣れている。
 例えばエリートとは大衆から差別されていて彼らはそれを受け容れている。裏方の職業の人たちと表方の職業の人たちは差別し合っている。営業畑にいる人と開発部にいる人は差別し合っている。ビジネスマンたちは全ての教育者(学者を含む)を自分たちより楽だと思っている。伝統芸能の人たちはテレビで知名度を上げることは不可欠な戦略である。本当は舞台を中心にして生計を立てたいと願ってもそれはなかなか大変であるし、テレビだけで著名なタレントたちのことを心底では自分たちとは違うと差別意識を持っていたとしても、そういう心理は顔に出てしまうので、表面だけ繕っている人はテレビでは重宝されないままでいるからテレビで活躍出来る人だけが生活に困窮しないでいられる。学者は芸術家とか芸人を尊敬しつつ差別しているし、サラリーマンを違う世界の住人だと意識する。また彼らは頭脳の官僚なので頭脳の政治家である評論家を見下す傾向があるし、逆に評論家は自分たちの方がより社会とかかわっていると考えている。舞台役者は舞台を踏まないテレビタレントを差別しているだろう。売れっ子のテレビタレントもまた彼らを差別する者を差別する。芸人は学者やエリートを差別する。既婚者は独身者を自分たちより気楽だと思う。経営者は株主を差別するし、株主も経営者を差別する。勤勉な人は、ルーズな人とか怠惰な人を差別するし、その逆もありだ。
 差別という言葉がよくないのなら、無縁と思ったり不干渉を貫き、敬遠していると言い換えてもいい。私が差別と言う時そこには軽い気持ちの自分の属する世界に対する誇りと、それ以外の人たちを別種に扱う(違う世界の人たちだと思う)心理のことであり、企業が営利追求のために差別化するという時の差別も広く言えばその一つである。
 勿論個人的レヴェルでは決してそうではない人もいるし、いつもそうであるわけではないものの、気楽にそういう気持ちになることは今言ったようなタイプのこととして誰にでもある。つまりこういうことだ。差別とはある意味では一つの意識のカテゴリーに属さない者を異分子として見る見方(彼らは自分とは違うという意識)のことである。だから差別とは端的に相手に対する尊敬においても成立すると私は考える。
 例えばもっと分かりやすく言えば、オタクとはオタク外的な人を自分たちの仲間とは見なさない。SNSとは、端的に仲間以外の人には知られないタイプのコミュニケーションである。これらは皆そういう風に閉鎖的に親睦を図ることを通してそれ以外の人たち、つまり関係者以外をシャットアウトしているのだ。そして固有の帰属意識を持つことによって部外者に対する無視を決め込んでいる。
 まさに「そんなの関係ない」なのである。つまり何らかの集団に属することとか、何らかの意識を誰かと共有することは既にそういった集団に属さない人とか、意識を共有し得ない人に対する無視の姿勢の表明であり、それ自体が一つの差別以外の心理ではない。しかしそうしながら、積極的に「自分は彼らを差別している」と言ってはいけないものなのである。これもまたジジェク的認識である。つまり差別は端的にしてはいけないと知りながら意外と安易に誰でもしているし、またされることに慣れているという部分すらある。しかしそれはそうしてもいいとは決して言ってはいけないことなのだ。
 しかしいじめはそうではない。いじめは軽いことであるなら許されるとさえ多くの人は思っている。いじめられたらいじめ返せとか、差別することはよくないが、せめて軽いいじめくらいならしても非難されないだろうとさえ多くの人は思っている。だからこそいじめは根絶されないどころか益々増加するのである。つまりいじめとはいじめられた側がいじめられたと意識することも多分に手伝っていて、いじめた側にはそういう意識ではないと考えている場合の方が多い。差別は違う。差別は明らかにそうしている側もそうしていると知っている。それがいけないと知っていながら、差別されること自体に差別される側が積極的に慣れ親しんでいる場合すらある。
 いじめという言葉が適切ではないのなら、嫌がらせとか、意地悪と言ってもいい。誰でも他人に厭な態度の一つや二つはとったことがある筈だ。しかしその時、相手はいじめとか嫌がらせとか、意地悪と受け取ることもあるだろう。それが積み重なれば必然的にいじめの成立と言ってよい。差別の場合予防線を張ることを未然にすること(敢えて誰かとつきあわないとか近づかないという選択肢が)が可能なのに対して、いじめは突発的に起きるからそうはいかない。
 例えば本当はそれをすることがよくないと知りながら、相手から黙認して欲しいのに、厳しく言及されるとむかっと来ることというのは誰しも経験あるだろう。例えば学校でクラスの誰かを茶化した生徒がいたとして、その者を「そんなことを言うものではない」と衆目の前で糾弾する生徒がいたとしたら、誰かを茶化した生徒はその正義の味方に対して強い恨みを持つだろう。つまり本当はいけないことと知りながら、それがいけないとはっきり言わないで済ますことの方が無難なケースも社会には多くあり、それを見過ごさないタイプの成員に対して概して我々は「潔癖」とか「融通が利かない」とか判断する傾向もある。いやその一言を意地悪と受け取るのだ。
 しかし茶化す相手を探すことも相手に対して明らかに差別していることだし、正義の味方の方も、どんな些細な悪も見逃さないという意味で、小さな悪の実践者に対して無視出来ないという差別をしている。だからこそ逆にそうではないつまり見逃してもいいものとしていじめとは存在する。しかし同時に今の例で言えば正義の味方が出現しない限りいじめはなくならない、とそう簡単にも言えない。つまり誰かにそのように言及された者は、却って茶化した生徒に対してそれまで以上に辛く当たるかも知れない。つまりたまたまそこに居合わせた正義の味方がいじめを黙認してくれなかったがために、「お前のために俺は恥をかいた」と最初はほんの出来心だったその茶化した相手に対する感情が本物になって、正義の味方のいない時には積極的にその者をいじめるようになる。これは殆ど必然的な成り行きである。そしてこれは差別ではない。差別はそうしていると公言してはいけないものなのに意識の上では容認されている。しかしいじめは黙認される可能性が極めて大きいし、こういう場合いじめる側も知っているからである。しかもいじめの場合親しい者同士ではない相手(部外者)に対してそうしたとしても、その親しい者同士では罪にさえならない。差別してはいけないという大義名分を果たしているのなら、別にそれくらい許されることを親しい者同士というものは考えの上で成立させる。
 つまり差別とは端的に誰でも軽い気持ちですることもあるが、理念的に正しくないと知っていることであるのに対し、いじめはよくないことであると知りながら理念的なレヴェルの問題にまでする必要がないと決め込んでいることなのだ。だからある店に見慣れない人や人種が入店することを拒むことは差別に繋がるからしないとしても、厭な顔をするくらいなら許されるという意識を持っていることがよい例であろう。そしてそれが積もり積もれば本当のいじめになるし、本当のいじめが恒常化すれば、それはれっきとした差別となる。そしてそうなったなら、いくら何でもいけないことだと殆ど全ての人は知っている。だからこそ小さなレヴェルでの嫌がらせとかいじめはなくならないのである。それくらい許してくれなければ息が詰まっちまうというわけである。