Wednesday, January 22, 2014

第八十三章 現代人として仮面社会を生き抜くこと/記述と構えを超えて③ ハニートラップとリベンジポルノ、或いはマスコミの精神分析

 ウェブサイト上で個人的な恨みをはらす為に嫌がらせ(harassment)をする最も現代で問題となっているのがリベンジポルノと呼ばれる行為である。しかしこれはある部分ではウェブサイト上で広まれば社会問題となる、つまり不適切な行為であると見做されることを承知で広めようとするので、その本質はマスコミの似非的な大衆の好奇心に漬け込むストラテジーと相同のものである、と言うよりマスコミのえげつない仕方を個人で応用して行なうのはこのリベンジポルノだ、と言える。
 対しもっと国家機密、組織の機密の漏洩、あらゆる集団秩序を乱す機密事項の漏洩を旨とするスパイによるなりすましで最も昨今世界的に問題となってきたものがハニートラップである。要するに色仕掛けに拠る機密事項の入手とその漏洩である。
 ハニートラップはあくまで公的な社会秩序、集団内モラルの破壊を目的としているという意味で敵対する組織・集団・国家等の陣営に拠って巧みに送り込まれた色仕掛けのスリーパーに拠る行為であるのに対し、リベンジポルノは私的な怨恨を公的場であるところのウェブサイト上に流布させる悪辣な行為である。
 しかしハニートラップがなされたと見做され報道されるや、その罠に引っ掛かった政治家であれ経営者であれ、その無防備さを一斉に揶揄され批判され、リーダーとしての器を疑われ辞任に迄追い込まれることも多々あることを考慮すれば、それも又マスコミが漬け込む特権的権力者の汚点追求という観点から、やはりこれも仕掛ける側からすればマスコミのえげつなさを応用していると言い得る。
 性行為はあらゆる行為の中で最も無防備な態勢(体勢)を行為者へ強いる。それは睡眠に次ぐ防備を不可能とされる行為だ。其の点ではそういった人間の動物的側面を利用しようとすることは、利用される側の羞恥や、そういった羞恥的場面を知られたくはないという社会的顔(体面)の保持という虚栄心の軛を弄り回そうとする悪意に彩られている。そして利用しようとする者が利用される者が決して知られたくはない側面を暴露しようとするということ自体に、利用者が逆にそうされたら、最も体面に傷をつけられると知っている、という意味に於いて、最も卑劣且つ用意周到である。
 その罠に引っ掛かった者は既に利用しようとした者の悪意を責めるということをする余裕を持てないからである。本来なら名誉毀損で訴えることも可能であるにも関わらず、知られたくはないことを知られてしまったことの穴埋めに何とか体面をそれ以前の状態へ戻そうとする必要性から、犯罪者の側への非難と責任追求と罪状を証明する心の余裕を一挙に奪うからだ。
 其の点ではマスコミ自体が既に一世紀以上もの長きに渡って決して報道して騒動としてしまったこと自体へ責任を問われない特権的パワーとなっている事実を差し置いて、この二つの性的な罠を論じることは出来ない。確かに非力な市民の個人のプライヴァシーを侵害した場合マスコミは陳謝し、場合に拠ってはきちんと賠償をする。しかしそれは権力者、政治家や大企業の経営者へは当て嵌らない。その区別こそが社会全体、国家全体がマスコミへ暗黙に容認している特権である。
 ある国家、組織、法人全体へ不利益となる<知られてはまずい情報>をリークする為に色仕掛けするハニートラップも、個人情報として知られては人間的人格から派生する羞恥を隠しきれない苦悩を催す映像をリークするリベンジポルノも、マスコミの特権の乱用、一切責任を問われないことで高を括っている惰性的無反省的態度を、充分応用し戦略的に活用しているという意味でマスコミ戦略の敵対陣営、個人に拠る模倣性が高い。
 となるとハニートラップとリベンジポルノを精神分析することはマスコミをリークされた情報であれば何でも報じてしまうという野放図を放置した侭である我々自身のマスコミへの接し方を精神分析することでもあり、そうすることがマスコミに帰属する成員達の精神分析をすることと同じだ、と言える。
 マスコミは社会全体が自分達を報道する機関として必要だと認識しているということへの認知を前提にして取材報道を行なう。それはニュースその他の諸々の情報公開を我々自身が求めるからだ。我々はどんな些細なことでも公的なことで隠されていると知りたくなるという好奇心がある。当然機密事項として保全されるべき事項もあると弁えていても、いざその実態を知らせるぞとマスコミに唆されれば耳を塞ごうとはしない。これがマスコミの成員達に固有の特権意識を持たせている。
 そのマスコミの成員たるジャーナリストの<求められるから報じる>という意識を国家全体の利益、組織全体の利益として政治経済上の政策政局スパイ、産業スパイとして色仕掛けでオフレコ事項をスパイする成員も、個人の怨恨を晴らす為に仕掛けるウェブサイト上のリークをする個人も応用活用している。マスコミという存在、ジャーナリズムという存在が地球上に人類に存在しなかったならハニートラップもリベンジポルノも存在し得ないだろう。
 と言うことは組織や集団自体がマスコミと直接関係のない業務を執行する場合でも、個人が必ずしもマスコミ、ジャーナリズム活動自体に精通していず関心も然程ない場合でも、その応用活用をしやすい、ということ自体が、組織・集団・個人とはその数的なメジャーマイナーに関わらず既存の好奇心を満たす機能を模倣する快楽をその自己利益の保持と維持の為に必然的に持っている、と捉えてよいこととなる。
 これは集団も個人も所詮その利益追求の為には悪をも履行するものだ、という性悪的な人間の性質を示している様に思われる。
 ある知られたくはないことは隠す側からすれば自己防衛的に隠す必要性があるが、暴こうとする側からすればその者が隠そうとすればする程知りたくなるというえげつない好奇心を持つ、ということだ。
 それは既にウェブサイトでは止めることの出来ないポルノサイト、アダルトネット配信が存在することと、それを見たくなることは誰しもあり、それを止めることが出来ないということとが対となって既にウェブサイト上で消去することが不可能となっていることとも大いに関係する。個人が検閲すること自体を違法ダウンロードの様に違法化する必要性は確かにあるかも知れないが、事実上その好奇心に拠ってダウンロードすることを歯止めすることは不可能である。アップロード自体も、それをすることに拠って罪に問われても、することを阻止することも不可能である。罪に問われても尚ハッキングを止めない犯罪者が次から次へと登場することと、それは本質的には同じである。
 となるとハニートラップもリベンジポルノも既にそれを完全に排除し、消滅させることは不可能である、という前提で対処していくしかない、ということとなる。
 これらのえげつないリークを閲覧することを押し留めさせるものとは、唯一そういったえげつない好奇心よりもっと有益な情報摂取や学習というものがあるのだ、という至極真っ当なモラルだけである。そしてそれはえげつなく閲覧する全ネットユーザーも勿論承知していることである。
 恐らくウェブサイトが完全に世界へ張り巡らされた時点で既に殺人が地球上、人類史上で完全に撲滅されることがない様な意味で、これらのリークも消滅することはないということだけは決定されていたのだ。そしてそれを未然に防止するには、無防備な状況へと追い込まれる性行為自体を、安易に誘いに乗らない様に個人的に心掛ける以外の注意事項等ありはしないのだ、ということである。
 そしてマスコミのえげつなさを応用活用させることを阻止することは、結局個人の油断と隙をつかれぬ注意とモラル的な抑制力だけなのである。
 しかしドーピングがどんどん進化している様に拳銃がどんどん進化している様に、恐らく今後ハニートラップもリベンジポルノもどんどん進化していって、人を信用するということは善であるという観念さえ罠を仕掛けられた個人に疑いを抱かせる様な性悪説的心的作用を助長する様な社会状況も、きっと時と場合に拠っては必ず未来でも到来することだろう。その時我々は性行為という最も個人にとって無防備な行為をも利用する悪は滅びない、しかしそれを自分自身が如何に敵対する陣営の個人に対しても、離別して恨みを持つかつてのパートナーに対しても行なうことだけは自制するという決意だけがその都度そのえげつない行為を反復させることを辛うじて阻止することくらいなら出来るであろう。