Thursday, March 9, 2017

第九十一章 現代人として仮面社会を生き抜くこと/記述と構えを超えて12 仮面を素顔とする様なコミュニケーションがリア充を異様なものにした

 凄く重要なことは森友学園の籠池理事長の様な極度に右傾化した教育理念を自然なものに感じている経営者を輩出する背景には、ネットコミュニケーションがあらゆる意味で日常生活に浸透して、最早書き言葉で文字を綴り手紙を郵送するという習慣がなくなってきているだけでなく、銀行に預金をする様に自分にとって重要な情報、文書や写真やあらゆるデータをネット空間上に保存する様な社会通信システムがある。つまり加速度的に10年前の社会情勢自体を遥か大昔の出来事であるかの様に思わせるウェブサイト通信システムの世界的定着と、それに伴う生活スタイルや習慣やコミュニケーションの在り方の激変が、ネット空間上でアメリカ合衆国のNSCに全てを監視・盗聴・傍受されていることを承知で、仮想的な本音だけを、そしてそういった直に人と会って考えを伝える機会よりずっとネット上で仮想会話や仮想情報送受信に慣れきってしまった現代人は、既にリア充という事態を奇異なものとして認識することさえ定着させてしまった。自らをSNSのアバター所有者とかブログ管理者として、そして送受信発信者としての本音が仮面を被った人格であることの方を自然と受け取ってしまっている以上、情報的財産の維持さえ、直に物質として自分の家屋に保存することより、サーヴィスを享受する権利を維持することの方に比重をかけてしまっている以上、我々は本物とかリアルな物質に実質的な現代社会の内実に即した価値とは見做していないということを意味する。
 我々はだからかつて活字を組む前に原稿用紙やメモ帳に筆跡として文字を綴る習慣さえ殆ど無くしてしまっているので、手先の文字執筆さえ入力という仮面性を纏って生活していると言っていいのである。
 現代人の意志決定とは実は既にそういった本音と言うもの、リア充的な共同体対人関係がメインではない、つまり仮面をつけて都市空間を歩行することの方を却って自然で、前提された生活環境条件としている。だからその反動で同一組織、法人、つまり集団内では閉鎖的な前近代的な軍隊組織に近い感性さえ或る種の懐かしさとして介在させてしまいがちなのである。だから森友学園の今回のスキャンダルはブラック企業が増殖しているブラック経営者に固有の諦念的な現代社会への対処的仕方のニヒリズムを教育者や教育理念家さえ抱え込んでしまわないと、この現代社会の激変スピードについていけない、感性的にアナクロニスティックな社会での存在理由的な自己定立からしかそれへ対処しきれないからこそ、明治期の教育勅語を新しい精神財産として彼等は称賛するのである。
 コミュニケーションのメソッドや習慣による仮面的リアルを自然な常識にして、リア充の方を寧ろ異常な事態とすることで肯定せざるを得ない現代社会生活に於ける現代人のメンタリティがアメリカのトランプ政権による保護主義的政策や北朝鮮のミサイル発射やキム・ジョンナム氏暗殺を助長させ、世界的規模でナショナリズムや極右のヘイトスピーチを盛んな現象にさせているのである。それらは全て仮面的リアル自体の潜在的な我々誰しもが持つ恐怖心が、しかし今のネット社会や送受信システムの整備された世界現状を変えることができない諦念が無意識に生じさせている潜在意識の意義申し立てであると言ってもよいのだ。
 ではこの全コミュニケーションの偽装性と仮面性に対して、どういう個の信念を維持していけばよいかということを考えてみよう。また乖離しつつある心のシェルター願望と、常習化を益々強めるコミュニケーションの偽装性と仮面性との折り合いに就いても考えてみよう。