Saturday, May 7, 2011

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第六十章 老いることを許さない社会

 震災によって首都機能の東京一元化経済推進政策自体への見直しが徐々にテレビ討論などでも叫ばれてきていることはいいことだし、浜岡原発停止指令を菅総理が出したことは決して悪いことではない。
 しかし生存を賭けた国家戦略に於いて重要なことは、社会機能維持と産業活動と経済循環が同時的に推進されていくことに他ならない。日本社会は依然老人が最も経済循環に於ける消費者として期待されている筈だ。何故なら子育てに忙しい三十代から五十代迄の世代は最も仕事的には大きな推進力であるが消費レヴェルでは抑え込むという傾向は否めない。
 一方情報化社会の担い手は多くが若者である。
 しかしよく考えてみよう。旅行などをする時間的余裕のある世代とは六十代であろう。七十代は元気な人はいいが、移動の忙しい旅はしない。尤もだからこそ観光的な魅力ある旅行を望むということはあり得る。
 高速バスは受けているのは専ら若者世代を中心とする移動を多くする仕事、旅行に於いてである。つまり経済政策、要するにGDPレヴェルでの推進に対する問いは、ある部分では老いていく人間の実像を踏まえて考えていくべきなのである。
 社会機能維持的観点から言えば確かに首都機能東京一元化は危ういと言える。しかしそれと文化的レヴェルでの全国各地での相互交流は又別の問題である。
 経済循環合理主義と社会機能維持の合理主義は一方ではより利便性の強い多機能モバイルなどをメーカーに製造推進している。しかしそれは極めて上級ユーザー向けにのみ創られている。つまり一番旅行などをする精神的、物理的余裕のある老年世代に対して使い勝手のいい様に作られてはいない。この点が問題である。
 つまり青年世代にとっての上級ユーザー向けの開発が一方で経済社会経済循環に於ける回転率的忙しさを作っていくことが加速化されると、老人に対して「のんびり生活していく」ということを許さない社会の到来となってしまう。新幹線の運賃が異様に高いなどの理由で勢い、遠出の旅は老年世代では差し控えられる様になる。
 高速バスが安くリラックスして旅出来る様にせざるを得ないのは新幹線の運賃が高過ぎることに由来している。
 だから社会機能全体を老年世代にとって心地よく過ごすことの出来る精神的余裕を与えていくべきである。つまり「老いることを許す社会」にしていくという方向性が行政レヴェルでも経済推進レヴェルでも求められている。
 その為にも老年世代にとって使い勝手のいい多機能モバイル、或いは少機能のものでもいいから、要するに一番子育てにかからない消費を老年世代に促進していく様な情報摂取機器の開発が求められている。そうすれば老年世代の観光消費によってより地方と都市部との連結機能も強化され、交通の利便性も促進されるし、文化的交流も相互に地方同士で盛んになっていくことだろう。
 又そうすることで多機能モバイルその他の機器の価格も安価なものとなり、サービス産業的競争力も推進されていくことだろう。
 社会は未来に期待される子供や青年だけでなく、働き盛りの中年や老後のゆとりを享受している老年世代といった多元的な世代の共存によって成立している、ということを忘れるべきではない。

No comments:

Post a Comment