Friday, October 28, 2011

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第七十四章 意味の理由・イコンとしての記憶Part2

 前回は主に意味的なものとして設定されているデファクトスタンダードであるところの音的な連なりに対して個人内部で抱かれるしっくりこなさに就いて触れた。それは人それぞれ違う。しかし全てに対して我々は齟齬だけを抱いているわけではない。当然これはいける、これはかなりしっくりくるということがあるからこそ、社会成員として我々はまがりなりにも生活を維持出来ているわけである。もし全てに対してしっくりこないのであれば、それは全く言語的に母国語を理解出来ていないか、或いは完全に自閉的性格であり、それは先天的な脳障害であるか、後天的にそういったタイプの何らかの障害を持つに至ったと考える方が自然である。勿論そういう状態になったからと言って何か人間理性の最低限の何かに抵触するかということは全く関係ないと言える。理性とかヒューマニティといったことはそういった社会生活に支障を来たす意思疎通的部分とは別の位相の問題である。
 しっくりくると感じることのまず基本的なこととは共感出来るということである。それは個人から発せられる言葉やその音でもそうだし、集団レヴェルで今よく青年世代の人達が使う語彙に対してとか、世間一般、国家的規模で使用され定着しつつある語彙に対してとかでもそうである。勿論個々にはかつてタモリがテレビ番組で「等身大という言葉とは一体何ですか?」とかなり批判的に捉えていたし、私もある部分では同意出来るが、そういった感覚的にどうしても共鳴出来ないという語彙、言葉の使用され方というものはあるだろう。しかしそういった齟齬感を持っている誰しもが、同時に「それなら分かる」と思える多数の語彙、意味や音を共有している筈なのである。そうでなければ、つまり全てが齟齬しか齎さないのであれば、そもそも何かに対してしっくりこないという感覚は生じようもないからである。
 我々の生活にとってかなり幼少の頃から一種の社会に於ける最大の前提として叩き込まれ、そのこと自体にかなり早い時期から「それは何故だろう?」と疑問を持つこと自体を封じされるものこそ、貨幣経済の日常的な習慣、何かものを買う時必ずお金を払うということである。恐らく日常的社会生活上での慣習であり習慣であることのお金を払ってものを買うという以上のミーム化が徹底されたものはない。
 確かに言葉も極めて重要である。しかしもし只生存していくということだけを考えるなら、ものを買う時にお金を払って物品を自分の所有物にするということだけ覚えておけば、それ以外の語彙を一切知らなくても何とか生活だけはしていける。これは日本人が外国旅行をした時に感じてきていることである筈である。
 寧ろ個々の言葉とか音とかの全ては現代社会では既にこの貨幣経済的社会運営というものを前提して、その秩序内で社会的であったり反社会的であったりしながら、言葉の体系から言葉の体系や社会秩序自体への抵抗とか修正主義的見解とかが発せられる様にシステム化されている、と言っても過言ではない。
 音も意味もミームであるが、それらの意味や音感性を育むものとは社会生活上での基本的なインフラであり、社会秩序が前提して、それを疑問に思うことを封じる慣習がほぼ既に身体的な条件反射にまで還元される様な何らかのものであるとするなら、それは所有という概念、それは住んでいる住居から何から何迄全て個々人が個人としてのアイデンティティを社会生活の上で保証される個人による所有そのものである。あらゆる愛とか正義とか倫理とかいって抽象的概念でさえ、それらは所詮そういった所有ということ、或いは家族関係に於ける親族とか親等とかいった血族関係から血族と他人との関係といったヒューマンリレーションの取り決めとか通念を支える個人という概念そのものが所有という形へと還元される。身体的に朝起きて銀行のATMに直行するとか、夕方には買い物に行くとかいった全てがこの社会秩序に起因している。そういった生活の上で初めて愛とか正義とか倫理といった概念が考える余裕(語の側から言えば考えられる余裕)を与えられている。

 さてここで思考実験をしてみよう。
 我々は一体お金というものを一切使わないで生活出来るのか、ということである。例えばまずお金を使わずに生活する方法を考えてみよう。食料ということを考えると当然自給自足生活をしなければいけないから都市部ではなく農村部で生活する必要がある。只その土地を所有するまでは確かにお金を払ってそこに住まなければいけないから最初にはお金が要る。しかし国民の義務は納税であるから、それを逃れるには一切人跡未踏の地にその活路を見出さなければいけない。衣類や食器を洗うのは全て自然の湧き水とか川によってである。食料は農村開拓することは許されない(未踏地でさえ<静岡県の樹海とか長野県の山岳地帯等>国家か地方自治体所有だから)から採集生活、それ以外は猪の狩猟生活ということが考えられよう。
 勿論電気を使用することも出来ないから夜は明かりを自分で点す必要があり、薪、蝋などを巧く自然から調達しなければいけない。衛生管理的にも家屋をしかも遠くから双眼鏡で国家や地方自治体職員から発見されない様な穴居生活か、掘っ立て小屋を建てるにせよ、森で木々に囲まれた場所の選択も必要となるが故に、北海道などでも都合のいい場所はあるだろうが、こういった生活では癌にはなり難いだろうが北海道では凍傷にならない様に気遣う必要があるし、伝染病などにも気を遣う必要がある。衣類調達も狩猟によって鹿や猪から、そしてそれを縫う為の針等も石器などで作る必要がある。
 これは既に縄文以前的生活である。ここでは同じ様に完全自給生活者たる他者との邂逅なしにはかなり困難である。勿論不可能ではないが、そういった他者を必要とする様に知恵が働く。そしてバーターをして相互の利害を調整していく必要も出て来る。そこでそういった対人関係が形成されるに従って次第に貨幣に類するものを自分達で工夫して作ることとなっていくのだ。勿論現在の日本では一人でならそういったことは可能だし、同じスタイルを脱社会、脱国家的に実践している者同士で結束することが出来ないということを前提したならば、である。もし本当にそういった自給自足者が各地に点在していて、何処かで接点を持ったとして(勿論ウェブサイトなどは利用出来ないから全て徒歩で相互に出くわすしかない)そういった工夫をして全国各地でネット化されていく間には文明社会の人達と邂逅することもあろうし、そこで衝突も生じる。それなしにネット化することは不可能である。全く死ぬ迄文明的進化も持たずに反復生活を一人で行い場合のみかなり可能である、と言える。当然結婚をすることも困難であろう。しかし同じ生活スタイルをものともしない配偶者が居れば不可能ではない。しかしそうやって非文明生活を維持する成員が増えれば増えるほど文明生活者との邂逅機会も増加する。そして衝突も避け得ない。
 人間は脳内思考によって先程述べた様に、文明的な進化を目指す様になっている。従って完全自然バーターはそうする相手が少人数、せめて三人迄であり、しかし三人という数は順列組み合わせでA:B、A:C、B:Cという風に三つの関係を生じさせる。そこで統一基準を必要とする意欲が各成員に生じさせる。何故ならAがBに対してとCに対して同じものを調達するのに異なった量で相手と交渉するなら贔屓ということが生じてしまうが故だ。それはBとCとの邂逅が果たされることによって発覚する。従って最初から三人が同時に知遇を得るのではければ統一基準は最初からは作られ得ない。しかし同時にこの三人の間での関係で二他者の間に対他的な振る舞い、態度、待遇に差異を設けることに、実は資本主義の全ての仕組みが発生する根拠があるのだ。当然BとCのAに齎す物品の質は等量でも異なるし、付随する相手から得るサーヴィス、心づけ的なことも違おう。そこで当然Aは両者の間に差別化された対応をする。それは当然B:C、B:Aでも言えるし、C:A、A:Bでも言える。しかしそこでこの三者が全て相見えることによって、相互利害調整は可能であるし、それに気づく成員は三人の内に一人は居よう。BはCとも知り合いであるが、BのAからの待遇が、Cより劣化したものであることの不平をBがCとAとで同席した時に訴えることによって三者による智恵の出し合いから統一規準案が齎される。そこから当然貨幣的意味合いの経済規準勘案が齎される可能性は極めて大き。人間はまず思考する存在者なのである。

 恐らく言葉の意味や音といったこと、それらの対応などもこの三者の関係に帰するとも言える。AがBとCとで対話する時に使用する語彙が違うことはあり得る。しかしBとCも相互にそうであれば、いずれ三者は全員相互に認知された関係となり、そこで初めて統一基準が設けられることとなる。その必要性はいずれ誰からは齎され、それが言語の発生根拠ではないかとも推察される。
 AはBとCと対話する時一々異なった語彙を相互に使う。しかしそれは三人の内は容易い。それが人員数が増加すれば、せめて三人単位で固まった時の統一基準を必要とする。それが幾つか発生すると、異なった統一基準帰属成員間で一人くらい重複帰属者も登場しよう。するとそこで必ず異なった統一基準の間を取り持つ翻訳者を登場させる。その翻訳者がより進化した統一基準を考案し、この二つの言語統一基準が一個の新しい言語を産出することとなる。こういった連鎖によって国家統一的なことがなされていくというプロセスを我々は容易に想像し得る。
 たまたま文明社会から離反して生活する完全自給自足者による生活への思考実験が、その実現に伴う生活的利便性への追求と進化的プロセスが国家起源的謎の解明に役立ち得る可能性を私は今回示したのだ。
 次回はでは統一基準に対してしっくりこなさ感がある場合どうなるか、ということに焦点化して考えてみたい。

Monday, October 10, 2011

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第七十三章 意味の理由・イコンとしての記憶

 意味の習得は追憶の彼方に後退しているが、誰しもそれを何とか記憶させた経緯がある。しかし全ての意味を我々はすんなりと受け入れたわけではなく、すんなりと理解出来たものからそうではないものまで幅があり、それは個人毎に違おう。それは自転車に乗れる様になった習得期間が短いか長いかの差と共に必ず個人内部ではある。しかしそれは通常公には晒されぬ様にしている。
 だから逆に本当は~と言うのに、何故か自分ではしっくりこないと感じる言葉はあるだろう。

 例えば英語でarrogantを意味する「傲慢な」という語に対して何故か自分ではしっくり来ないでいる者Aがいるとしよう。その者は「ごうまん」という響きがその意味とそぐわない様に思えるのだ。だからある日彼は友人に「ずうでん」と言いたいと言い出すとしよう。「頭殿」とでも振っておこう。彼はその後そのことを告げた友人の前では「ずうでん」とずっと言い続ける。
 しかしそれはあくまで彼にとってのみで、Aから「ずうでん」と言うことを告げられたDにとってやはり友人であるBは「俺ならいっそ、そんな言い方せずに、「らろべえ」と言いたいぜ」と言ったとしよう。「裸露兵衛」とでもしておこう。そしてAとBの言ったことを更にDはCにも告げるとCは「俺なら「ばるぼ」と言いたいぜ」と言ったとしよう。取り敢えず「馬留簿」とでもしておこう。
 要するにDは彼の友人A、B、C全てからそれぞれ違う言葉を「傲慢」に当てて、それを一々記憶していなければいけない。

 しかしよく考えてみよう。
 この「傲慢<ごうまん>」という語の意味に固有の音とは、それを習得した後に「そういう感じがする」という感慨を持つのであり、それ以前的なものではない。勿論「傲慢」という語を習得する以前に上から目線で生意気で不遜な態度の者へ何らかの傲慢として意味される感情をある者に抱くということは我々にはあり得る。しかしその時我々はいきなり、そういう態度を「すうでん」と呼ぼうとは思わない。他の何か既に知っている言葉を使って、「でかい態度だからあの人は嫌い」とか言う。
 もし誰しもが勝手にその感情を「ごうまん」と呼ぶことを覚えずに、何か自分勝手に今述べてきた様に「すうでん」「らろべえ」「ばるぼ」などと言い始めたなら、寧ろそれらが纏まって一つの意味であるという了解さえ持てなくなるだろう。つまり実は「ごうまん」という音を通した「傲慢」が存在し得るからこそ、そこから「俺なら「ずうでん」と言いたい」という固有の「ごうまん」という音に対するしっくりこなさが感じられるのであり、その逆ではないということだ。
 第一全ての人が自分勝手に「ずうでん」とか「らろべえ」とか「ばるぼ」などと言い出していたとしたなら、たまたま私達にとって「ごうまん」が生意気でエゴイスティックで不遜な態度であるという意味であるという規約の下で、しかし自分にとってはその音は何故かしっくりこないという固有のずれの感覚、固有のその語を覚えた時の追憶そのものを成立させないままでいることだろう。
 皆が勝手にそれこそ聖書中最大級に説得力を持つ「バベルの塔」建造を巡る神の怒りによって言葉が通じなくなる人々の様に、「ずうでん」「らろべえ」「ばるぼ」etcを言い始めたら、そもそもその元の「傲慢」を意味する意味も定まらず、それらを一々全部友人毎に違う語彙を当てていることさえ認知されずに、全てを各成員毎に違うこととして記憶せねばならず、次第にある語彙の音と意味がしっくりこないという感じ、或いは最初に「傲慢」という語を音と共に記憶した時にあった固有の追憶も成立しないままでいることだろう。つまり記憶する事項が多くなればなるほどある語彙を巡る固有の感情は成立し難くなるからだ。
 
 ある意味ではある感情に対する意味づけが、ある意味につきある音一つにだけ対応するという規約そのものが、それを習得する我々にある語とその音との間に介在してくる固有の感性を育んでいるのだ。この固有の感性は例えば自転車の例で言えば、ある個人にとって乗りやすい様に改良されることはあり得るとしても概ね自転車とはどういうタイプのものでも、やはり同じ自転車である必要があるのと同じである。例えば一人一人の能力や適性に応じてそれぞれ違う乗り物を用意しなければいけないのなら、そもそも自転車が乗れる様になった時、習得に時間がかかったとか然程時間がかからなかったなどの固有の思い出は成立し得ないだろう。
 これは各自使用しているパソコンが違う機種であっても、それらは同じパソコンである限り概ね同じ機能の仕方によって起動しているということと全く同じである。

 或いはこの問題を語彙とか利用されるツールという位相から、もっと記憶の問題そのものへと即応させて、イコンから考えてみることにしよう。
 日本人にとって神社仏閣が存在するのは日常的に見慣れたことであるが、神社仏閣にある賽銭箱、神社の鳥居、狛犬(シーサー)などは概ね同じ形でなければいけない。鳥居がそれぞれ違う形であったなら、そこが神社であるということを了解することが困難になる。或いはそもそもそこが神社であるという意識でそれらを我々が作っていないということを意味してしまおう。
 勿論人それぞれその形が好きであるとか然程ではないということはあり得よう。しかし単純で誰からも記憶されやすい形であるなら、それらは概ね誰にとっても然程違いはない感情を喚起しよう。要は一人一人顔が違う様に、仮に神社の鳥居の形が極めて細かい部分まで規定されていたなら、その形状に対する固有の感情が各自異なった形で立ち現れよう。
 これは語彙の意味と音の対応というデファクトスタンダードの下にその習得を巡る固有の出来事が記憶されることと似ている。神社が誰にとっても即座に「どの神社」でも同じ様な鳥居があることによって、神社に初めて行った時などの思い出が形成されるのだ。もし鳥居というものの基本形状が四つの直線、人がその間を潜り抜けられる様に縦に長い間の開いた二つの直線に、上方に二本の横の直線を交差させ、上の直線を縦の二本の直線を飛び出させないという規約があればこそ何処の神社でもそれは鳥居となるが、もしそれがまちまちであり、一切そういうことの規約が与えられていなければ、我々はそれを只の神社の入り口を示す門の代わりとしか認識し得なくなろう。或いはそもそもそれを神社であるという認識さえ与えられなくなるだろう。建物のデザインだけは全国で統一されているなら未だしも、それさえ統一されていなければ(第一鳥居の形状が統一されていなければ、そこが神社であると認識されずに終わろうから、中に建てられた建物が神社固有のものであるという規約さえ成立し難くなる可能性が大である)神社であるという認識は決して生じない。
 ある場所が神社である為には、その鳥居の形から本殿とかそういう建物の機能が全国的規模で統一されていなければいけないのだ。このことは実に興味深い。何故なら神社とは宗教心によって人々が集う場所であり、それは心の問題だから、人それぞれ心の在り方は違おう。しかしその心の在り方がそれぞれ違うという事実に於いて我々誰しもが容易に集うことを可能とする為に我々はその心を鎮める為の場所が誰からも了解される様にヴィジュアル的に統一された基準、つまりヴィジュアルスタンダードを誂える必要があるからなのである。

 従ってそれはある意味では心というヴィジュアルに在り方を示すことの出来ない代物を敢えて形状的に相互に他者の心を理解することを断念すること、つまりそういった理解を干渉と見做し、不干渉的態度を決め込むこと自体を容認した在り方としてヴィジュアルスタンダードが存在している、ということなのである。つまり神社であるという場所規定を我々に示すデファクトスタンダードは誰から見ても、それが鳥居であるという分かりやすさに於いてのみ成立している。それは説明する時に描きやすいということも言えるし、同時に実際に建造しやすいということも言える。

 これは文字というイコンにしてもそうである。誰からも読みやすく、書きやすいものでなければいけない。すると「傲慢」=「ごうまん」もやはり誰からも、その「ごうまん」という音自体の持つ意味への対応に対して「俺は好きになれない」とか「俺はまさにぴったりだと思う」という固有の感情をその語彙を使用するどの成員にも与えるとしても尚、何処かでは誰からも容易に記憶される音の響きであり、誰もが心に抱く感情であるということがまず前提として必要なのだ。だから仮に私にのみ固有の他の人にはほぼ絶対的に心に浮かばない感情があるとしたら、それは語彙化されずに終わるだろうし、音を我々はその感情に載せようとしないだろう。にも関わらず私はそれを語彙化させたいかも知れないし、それに音をつけたいかも知れない。
 ハイデガーは固有の語彙を沢山自著で作って載せている。これは新たに自分で語彙を作成する必要性を感じていたからである。だが「ごうまん」さえもが極めてある個人のある状況に応じた固有のものであならもっと複雑で長い、例えば「ある者Aが他人と話していて、その他人がAに取る態度の中で偉そうでAはその者にむかつく時に感じる態度」などとなってしまおう。しかし我々はそんなことを一々それぞれの者に応じてすることは出来ない。

 しかしである。或いはそもそも根源的には、そういうものとして「ずうでん」という音、或いは「らろべえ」「ばるぼ」という音が成立しているのだとすれば、或いは「ごうまん」さえ最初はそうであったかも知れないのだ。そうである。「傲慢」という他に対する感情の意味、或いは対自的認識は、誰かが最初「俺はあいつの態度に憤りを持っているんだ。ああいう態度を俺は「ごうまん」と呼ぶ」と誰かが誰かに告げた可能性があるのだ。そして意味とはそういう様に偶発的に誰かがあることやものに対して抱く感情を思い切って誰かに告げたということが発祥である可能性は大いにあり得るのだ。それは最初に鳥居を建てた者がきっと居たであろうということと全く同じ様になのである。

 次回は初発的に何かを提言することと、それに対して多くの人達が賛意を示すことでミーム化されていくことに就いて考えてみたい。

Sunday, October 9, 2011

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第七十二章 慣習化されることの中から時代が読み取れる(様にしている)

 ある習慣は根付くことは、ある部分ではその習慣以外に何かもっといい習慣がさしあたり見つからない時である。それは案外長期に渡って、もっと素晴らしい何か別の在り方が発見される迄そうである。

 徳川幕府は日本史に於いて極めて安定していたればこそ三百年続いたのだ。それはそういった政治、国内統治の在り方自体が、それ以前的な混沌の記憶の中から見出されないということからであった。それ以前では室町幕府もそうであったし、源氏と北条家による統治もそうであった。
 しかしある時期必ずそれらさえ打ち破られる。しかしそれが何時であるかを予測することは難しいし、それは実際にある一部の扇動者によってそうなるとも言えるが、その扇動者を現出させるのはもっと大勢の人達である。勿論日本史の場合、多くは百姓などによる民の生活それ自体を何処かでもっと安定したものにしたいと願っていた公家そして武士による采配によってであったが、それらは公家の社会であれ武家社会であれ、日本全国の時代状況がそう仕向けてきたとも言える。

 では時代とはどの様に性格づけられていくのだろうか?時代とは現代はマスメディアが表層的イメージを提供している様に見える。しかしやはりそれはマスメディア以前的にマスメディアを操作する人達自身に何らかの時代的精神を植えつけられているものがあるということだ。それは一つには経済社会であり、一つには国内の国民の移動、他地域との交流、海外へ旅行したり、海外から来日したりする人達全体の動向によって決定づけられている。そして哲学命題などでは一切時代的な意識を排除して考える傾向が強いが、しかしそういった哲学命題的なスタンスさえ、ある時代に生まれて育った人達によって考えられてきている以上、時代を無視して語ることは出来ない。時代精神は確かに大衆小説の様な形で直接示されることは哲学ではないが、やはり潜在的には濃厚に反映されている。

 例えばかつて隆盛を極めてドイツ観念論哲学などもそうであるが、考え方のモード自体も人類史的には常に大きく旋廻してきたし、徐々にシフトしていっている。今でもそれは全く変わりないし、アメリカ国内でもスティーヴ・ジョブズの死は「エジソンであり、ディズニーでありダヴィンチであった」とアナウンサーによって語られるほどの影響力を持ち得たが、しかしそういった存在はこれからもどんどん出現して止むことはないだろう。そしてどんなに偉大なるカリスマでも百年その命脈が維持されることはないだろう。
 だからと言って一人のカリスマが刹那的存在であるわけではない。そういった意味ではダーウィンもマルクスも現代的視座から見て古典であり得ても、尚何時迄も新たな命題を我々に提出している様な意味でジョブズもそういう風に語られるであろうことは想像される。

 時代を形成するものの正体とは一体何なのだろう、と問うと、それは一つには習慣が定着していくに連れて、慣習化されて、それがいいことであるか悪いことであるかを問うことが不毛であるとされ、慣習化されることによって立ち上がる一つの不動的な期間を時代と呼ぶことは出来よう。しかしどんな時代でも少しずつ生活スタイルも日々の習慣も変化していっている。そして人員も少しずつ新陳代謝して交代していっている。だからある日突然自分が途方もなく老いさらばえていることを自覚した時三十年前と今とでは全く変わってしまっていると気づくことによって時代は自覚されるかも知れない。しかし恐らく一人の人間の中ではたとえ五十年前のことでも鮮烈に記憶されている。そういった意味では記憶の深層に於いて時代は捉えられる。それは即ち時代が公共的なものだということ自体も一つの幻想ではないか、という視点である。

 時代は一個人の中で現象的に捉えられる記憶や習慣と共に、自分なりに各自が読み解くことであると言える。つまり一人一人の人生の在り方から全く異なった時代の在り方が存在し得て、それら全ては否定されるべきものではない、ということだ。だから時代という語彙を我々が使用する時明らかに、恣意的に公共的に一纏まりに大勢の人達が~であったと語るに相応しい素材を探して、あれがそうであると発見したことを論ってそれを時代にしているのである。しかし一群の人達にとってそれは決してメインな関心事ではあり得ないし、そうであった。今多くの人達にとって関心事であることも又別の人達、それは達と括ることさえ意味がないくらいに皆思い思いに違うことに関心を抱いている。ある人達にとって七十年代の日本が転換期であったかも知れないし、ある人達にとっては八十年代、九十年代、ゼロ年代がそうであったかも知れない。
 達と言おうとする時時代は立ち上がっているが、それ自体言語的伝達による恣意的な操作でしかない。

 社会はそれ自体大いなる幻想である。ある日ある人は社会から姿を消す。死ぬことによって。しかし社会全体には殆ど何の影響もない。それはジョブズくらいに偉大な仕事を成し遂げた人であってさえ。
 だから時代とは集団とか組織とか複数の人達による熱狂的気分が作り上げる恣意的なものでしかない。しかしそれに意外と大きく我々は日常的に影響を受ける。それは他者存在が自己に対して圧倒的に数の上でメジャーであるということを誰しも知っているからであるし、そうであるからに過ぎない。だからこそ認識の上では哲学と社会学はずっと対立し続けてきた。しかしそれは案外同じことの中の別々の展開でしかなかったとも言い得るのである。

 確かにマクロ的に言えばPC端末と携帯端末とが併合している時代に於いてPDA端末とタブレット端末の持つ比重が加速度を増して大きくなっていき、次第にPC、携帯両端末の並存から、PDA、タブレット両端末の間に存在する無限のグラデーションの方がメジャー化して、何処かにその理想的不動点を見出していくことだろう。PC、携帯端末共にやがて時代の遺物になっていくことは容易に想像される。
 しかし用途自体はさして変わりなく存在し続けるだろう。その用途の余り大きく変わりなさと、機器の利便性の推移、変化という両義性に恐らく何かがある。それは利便性がある機器だけでなく人員でもそうだし、社会制度でもそうである。
 変わりないニーズがあって、それに対処する為に益々便利なものが作られる。そして便利なものそれ自体によって新たなニーズが産出される。そこで大きく一つの時代の旋廻がなされる、と我々に自覚されるわけだ。

 これは既にリチャード・ドーキンスによって一段階淘汰と累進淘汰という形で示されていたし、それ以前にはスティーヴン・ジェイ・グールドやナイルズ・エルドリッジによって断続平衡説という形でも示されていた。進化論の問題でもあるし、人類学的なヴィジョンの問題でもある。しかし哲学的には時間というものは何か空間上に配置されたこととは違って、いっぺんに全てを見渡すことが出来ない。全ては記憶に依存している。ここが問題なのである。そして記憶は同じ時間を生きていた人一人一人でも微妙に違う。違う部分の方が本当は大きいのに、あたかも同じ部分の方が大きいものとして互いに語り合ってきただけのことである。

 映画がVシネマによって鑑賞され、DVDによって鑑賞される様になるに連れてかつてあった映画館の存在理由は変質してきたが、社会という一纏まりではそうであっても個人史では違う。変わらずに存在し続けたものもあるだろうし、変わらないと社会ではされてきたことでも個人内部では日毎に変わってきたものもあるだろう。その点で全ての人員に於いて時代とされるものと、自分で時代であると思うものとがずれている。そのすれだけが全成員に於いて共通したことである。何時迄も前時代のある部分に固執する部分を誰しも持っている。そして常に時代の求めるものに只管合わそうとしてきている部分もある。そしてその二つは常に全成員に於いて個々異なるが、異なるとか似ていると比較しようのないこととして密かに感受されてきている。恐らく、あくまで恐らくであるが、それだけが真実であろう。

 どんなに時代を先取りしてきた人でも必ず何処かでは浦島太郎的感慨を抱く部分を発見する。つまりそれこそが時間というものをあたかも、実在するかの様に(たとえ実在しなくても)思わせる何かである。ジョブズさえそれを携えていた筈である。でなければStay foolishと彼が言った筈がない。何かに関心を寄せることは、何かに対して無関心を決め込むことである。それは何かを推進していきつつ、何か推進してこなかったものから逆襲されることである。それはその人にとってどんなに社会的には小さなことでも本人からすれば大きなことなのである。偉大な仕事をした人につき物の後悔や贖罪心理は恐らくあるだろう。勿論それは社会全体からすれば些細なことかも知れない。しかし一個人内部では記憶というものは時代のメインストリームにマッチした形で存在するわけではないので、必然的に時代や社会全体のことなど個的で現象的なこととは全く接合しない形で、ずれはずれとしてだけ個内部では認識され、記憶され続けるのだ。人より遅くやっと自転車に乗れたということは大人になれば確かにさして大きなことではないだろう。しかし追憶に於いては案外何時迄も大きく心の中心に立ちはだかっているものでもあるのだ。

 次回は追憶ということに就いてより掘り下げて考えてみよう。

Thursday, October 6, 2011

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第七十一章 原点に人類は絶対に回帰しないPart2

 前回触れた市川中車の歌舞伎デビューで一躍脚光を浴びている出雲阿国以来の芸能的原点への我々の注視、原田芳雄の遺作となった「大鹿村騒動記」で紹介された大鹿歌舞伎、小鹿野町歌舞伎などの地域共同体芸能が再評価されていること全ては、実はそれだけ共同体的発想の熱狂が今日行われた小沢一郎元民主党代表初公判に見られる傍聴席での膨張など以外では大半が失われていることの証拠なのである。
 ある意味では貨幣経済が発生した段階から人類は着々とグローバリティへと向けて出立していたのだ。まず言語行為が定着したこと、そして貨幣経済が原始資本主義から中世、近代資本主義を経て現在の世界経済へと発展しているが、その途中でマルキシズムと共産主義が勃興したとしても尚、ずっと世界経済は貨幣経済を基本として営まれてきた。
 貨幣経済の基本は物品の売買であるし、直接売買ではない間接売買という形では株取引がある。
 株取引に於いて我々は株価という間接的なデータを常に参照する。株価が下がった段階で株を買いたいということ、そして株価が最大値になった時に株を売りたいということが、株のバイヤーと株主との間で駆け引きされるわけだ。
 要するに株主は株を最大値の時に換金したいが、その最大値であることを株のバイヤーは見越せば当然買い渋る。従って株の売買は、売る側からすれば一番高値で売りたいが、買い手は出来る限り高値になる以前に買いたいのだ。と言うことはそれ以上に株価が吊り上る可能性に賭けてバイヤーは株を買おうとするが、売る側は一番高値の時に売ることが理想であるということは、売る側も買う側も双方が最大の満足を得ることはないことになる。いずれかが最大の利益を上げればいずれかが損をしている。従って双方が同じくらいだけ満足するには同じくらい双方がやや最大利益より少ない利益で満足し手打ちするしかないということになる。
 それは直接売買でも言えることだ。一番安い時にどんな商品でも購入した方が購買者にとっては得であるが、何時もそうはいかない。日曜必需品はそうもいかない。
 貨幣経済によってどんな地域から来た人に対しても等しく売ることが許され、どんな地域へ旅をしてもそこで商品を買うことが出来るという意味で、共同体閉鎖社会は既に成立し得ようはなく、貨幣経済自体がグローバリズムを志向するのだ。
 
 陶芸制作はかつて納入先が限定されていたので、地方では窯元は職人が国から出ることを許さず、脱走したら罰せられた。隣接する別の共同体に陶芸手法を盗まれることを恐れたからである。
 そこでは当然共同体閉鎖社会が実現していた。しかしそれは基本的に明治期以降完全撤廃される。廃藩置県である。しかし再び道州制への効用も語られ、共同体的発想も地域、地方の時代ということで持て囃されている。しかしそれは完全にかつての共同体に移行することを目指しているわけではない。

 日本国内を円で統一すること、アメリカをドルで統一することなども国内の地域、地方格差からではなく、国内統一貨幣によるグローバリズムの発想である。それは言語的統一と共に進化してきたものであることも了解される。
 共同体回帰はノモスの側からピュシスの側への見直し、統一基準という形でのグローバリティによるアポロン的発想から、かつて在った地域的熱狂という形、つまりディオニュソス的発想の見直し以外ではない。
 それは端的に行過ぎたノモスとアポロンへの地下水脈的なピュシスとディオニュソスからの提言である。
 しかしやはりそれは言語を獲得した段階である意味ではピュシスを喪失した人類による修正主義的な考えであるに過ぎず、完全原点回帰ということ自体が語義矛盾である。貨幣が紙幣やコインではなく貝殻にしたってそれは同じことである。そうなのである。我々が言語を獲得した段階で既にグローバリティへの志向だけが中心化してきたのである。そのグローバリティの中心化こそがあるシステムを固定化することを我々が望んだということである。

 QWERTY配列それ自体の理想的在り方を巡る修正とは、QWERTY配列が完成されることによってのみ 問われ得る。QWERTY配列が決定される以前に色々試行錯誤してそう決定されたのだろう。しかしそれはタイプライターの発案者によることである。タイプライターはある時点で発表され発売された。
 そしてQWERTY配列が規格化された。デファクトスタンダードがそれ以降、だからこそそれ以外の配列の可能性に於いて考えられる様になる。もっといい配列はないものか、と。
 しかし今のところflick入力がPDA端末で採用されるに至って、同一データへ到達する為に唯QWERTY配列ではない形でのバリエーションが出現し、それがアプリ化される。新しいアプローチ方法が出現した時益々最初のQWERTY配列は固定化、安定化、不動的地位性を獲得するに至る。それはピアノやギターの音色以外の音を出せる楽器が開発され発明された時点で、ピアノやギターの音を出す位置の配列は固定化、安定化が齎され、不動的地位性を獲得するのと同じである。

 貨幣経済の場合は固定相場制から変動相場制へと移行し、固定化と安定化自体が不可能化した。しかしその段階で却って円が日本の通貨であり、ドルがアメリカの通過であること以外の規格出現可能性は消滅した、と言える。それは言語で言えばある語彙の定着と言っていいだろう。ある時点から東日本大震災と命名された様にである(それ以前は東北地方並びに太平洋沖大地震などとも言っていた)。
 何物かがデファクトスタンダードへと固定化されることは、何か新しいアプローチが進化した段階であると言えるのだ。
 しかしそれは習慣が慣習化されるという規格化の運命、制度的な決定という事態を必要とするのだ。そのことに就いて次回考えていこう。それこそまさに今回言述しなかったが、カダフィ大佐が国家元首から犯罪者へと世界的に統一されて見做される時点と全く構造的には同じなのである。

Tuesday, October 4, 2011

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第七十章 原点に人類は絶対に回帰しない

 よく今の老人は「貴方も私くらいの年齢になったら、今の私の気持ちも分かる」という言い方をする。日本人は温泉が好きで、それは年齢を経る毎に皆好きになっていくとも言われる。
 私はさして温泉には関心ないし(嫌いではないが)、何が何でも高齢者になったら温泉に行こうという気持ちにはならないだろう。適度に好きで適度に無関心だろうと思う。

 老人になったら皆が皆巣鴨の刺抜き地蔵に行くものだとは限らない。
 例えば私くらいの年齢の人達(私は現在五十二歳だが)から今三十五歳くらいの年齢の人達にとって三十年後、或いは四十年後には案外渋谷の109辺りが同窓会をするのに相応しい場所になっていて、今渋谷は確かに若者の町であるが、ここ十数年の間に渋谷、原宿以外の例えば下北沢とか恵比寿とか大崎が若者の町化していき、逆に渋谷や原宿はかつて若者だった人達の集う街になっていき、三十年から四十年後の日本では巣鴨の刺抜き地蔵はかつて老人に親しまれたということで再評価され、若者のデートスポットになっているかも知れない。
 そういった意味では日本人の心の故郷は~であるという謂い自体は決して不変なことではない。十分年月と共に変化していく可能性はあるのだ。

 歌舞伎界の重鎮である市川猿之助の長男であるが、猿之助がかつての妻(浜木綿子)と離別したことで父子の間柄が疎遠になっていき一般演劇、テレビ、映画で活躍してきた香川照之が歌舞伎界にデビューすることを宣言して話題となっている。芸名は市川中車だそうだ。
 しかしそういう風に歌舞伎のことが話題となるのは、歌舞伎という演劇形態が既に一般的に庶民のものではないからだ。例えばどんなに歌舞伎自体が話題になっても、テレビの午後八時、九時、十時に今ドラマを放映している時間帯に歌舞伎が放映されることはないだろう。
 そういった意味ではかつて新派と呼ばれた現代演劇が一回は日本を制覇したわけで、その常識が覆るには何か途轍もなく大きな演劇娯楽上での革命的出来事がなければならない。

 今現在のPC端末のキーボードはQWERTY配列となっている。これはかつてタイプライターがそうであった配列のままである。この点でもっと左利きの人達にとって利用しやすい配列はないものかという思考実験は多くなされてきた。しかし極めて重要なことは今の配列のままずっと変わらずにきてしまっているので、それを変更することが今更億劫になっているというのが多くの利用者の本音である。つまり一旦慣れてしまうとそこからなかなか離脱し難いのである。しかし勿論それだけではない。何故なら既にPDA端末やタブレット端末が出回っていて、それら全てに付帯しているQWERTY配列をもっと理想的な何か別の配列に移行させるとしたら莫大なコストがかかるというのがメーカーサイドの変更しなさの根拠でもある。でも本当にそうだろうか?

 これは例えば楽器でも同じことが言える。ピアノの鍵盤が今後全く違ったシステムへと変更されていくことはないだろう。それはギターでも同じである。
 例えば今現在の鍵盤の音以外にもドとレとの間にももっと中間的な音が存在し得る筈だと唱えている人達は居る。しかしそれを楽器で表現しようとするなら、既にシステムが確立されているピアノ以外の別の楽器を開発していくなら可能性があるが、ピアノ自体に改変を加えるということはありそうもない。何故ならピアノのシステム自体が既に今迄の仕方で大半のプレイヤー達が慣れてしまっているからである。

 だから逆に何処ら辺迄なら改変が可能で、何処からもう改変させることを不可能にしていくのだろうか?それはまるで支持率を失った内閣が後は退陣を全ての市民が待っている様な状態と、一旦高支持率を確定的に維持した内閣はずっと任期一杯勤まるだろうということとに間の差異の問題でもあるし、カダフィ大佐もかつて外国では国賓クラスの扱いを受けていたにも関わらず、ある段階からは彼自身が南米のある国に亡命しようとして相手国の首脳に打診すると、全く無視されたということに見られる様な外部からの見放しということが顕在化していってしまうその臨界点とは一体何なのだろうかという問いでも言えることである。

 例えば日本人にとって伊勢神宮などは心の故郷と言われても、巣鴨の刺抜き地蔵はそこ迄は一般化し得るとは限らないと言えることの差とそれらは同じなのだろうか?

 再び芸能の話に戻ると、確かに全ての大衆演劇は原点としては歌舞伎があるのだろう。それに対して能や狂言はややそれよりはハイソサエティ的立場にあるとも言える。しかし全ての大衆演劇が必ずしも歌舞伎という原点に回帰するとは限らない。或いは演劇の全てが能や狂言に回帰するとは限らない。否却って益々原点から遠ざかっていく可能性さえある。
 例えば哲学ではギリシャ哲学が元祖であるとされるから、皆が皆原点回帰してソクラテス以前に戻るということはないに違いない。寧ろ原点とは既に皆がそうであると知っているが故に最早回帰する必要性さえないと認識しているものでもある。

 音楽で言えばアフリカの楽器が原点である故、打楽器であれ弦楽器であれ全てアフリカの民族楽器に現在音楽が回帰する様にはとても思えない。
 すると何故時々全ての分野で原点回帰ということが唄われるのだろうか?その根拠を問うてみる必要があるかも知れない。よく原点回帰すると言われるのは、ある世界であらゆるムーヴメントが錯綜して、次第に一体何処に本流があるのか見え難い状況になった時かも知れない。
 しかしギリシャ発のヨーロッパ金融危機、信用危機問題では、ではだからと言ってマルキシズムを復活させようという形にはならないだろう。勿論部分的には金融資本主義への見直しは盛んになるだろう。しかしグローバルエコノミーの構造全体に波及する改変では余程のものでない限り採用されないだろう。資本主義自体が既に初期発生期のものとはかけ離れてきているし、全ての経済をバーター交易に戻すことも出来ない。
 ならばいっそ全ての国際法を放棄するという方が未だしも可能性がある。勿論それは完全なる世界的規模のアナーキズム的発想である。もしそうしても恐らく世界の交易秩序はさして今の姿を変わらないだろうと私は予想するのだが。この問題はそれだけで一度徹底的に思考実験して見る価値がある。
 
 纏めよう。巣鴨の刺抜き地蔵に老人が常に集まるという習慣は恐らく日本人の精神的なイコンとして伊勢神宮があり続けるということよりは安定性、不動的地位性という意味では浮動的であろう。それは渋谷109が若者のスポットであるということもそうである。今皇居がある場所が五百年後も同じ機能であるということも浮動的ではある。又京都御所が五百年後にやはり天皇陛下と皇室一族の住まいであることの方が東京の皇居が皇居であり続けるよりは不動的地位性では確固としている様に私には思える。
 ピアノやギターは音を出すシステムが今後変わることよりは、ずっと新しいピアノやギターを改善した楽器が編み出されることの方が可能性としては高いし、しかしその楽器が今ピアノやギターが得ている地位に就くという可能性は半々だと言える。
 今ニューヨークを発火点に全国的規模でウォール街批判が火を噴いている。この様なムーヴメントはこれからも多くなるだろうが、アメリカが共産主義国家になる可能性は極めて低いだろうが、世界的規模で資本主義システムに改変が加えられる可能性は高い。
 そして資本主義も原点に戻ることはないだろうし、演劇や芸術も原点回帰をしないだろう。そうである。人類はそう安易には原点回帰しないのである。回帰というスローガンを持っていても、それは歴史的に遡行することでは決してないのである。それは何らかのムーヴメントを構築する為の一種の戦略なのである。歌舞伎が完全に日本の茶の間にテレビで放映されることはこれからもないだろう。だからこそかつて鈴木清順監督がフィルム歌舞伎という形で浪漫三部作を創造し、一つの話題となり、世間に印象付けられたのだ。

 不動的地位性、安定性ということはどの様に決まるかということを次回は考えていこう。それはある部分では改変させることを諦める意思決定の合理化が多くの人達によって合意されることによってである。それはあるシステムに人々が安心感を得ることによってである。しかしそれでも長い年月で徳川幕府も発足後三百年後には大政奉還した様に、完全不変であるわけではない。そのかなり長期に渡って変わらずにいることと、ある時点からそうでなくなることを決めるファクターに就いて、そして未来永劫変わることなくあり続けることで別段困らないことと、そうではなくそうであるが故に滅ぶ可能性のあることをそれぞれ考えてみよう。