Monday, November 30, 2009

〔言語の幻想とその力〕3、死と言語

 言語活動は発語行為、発話意志を伴った音声的な意思伝達によって成立している。しかしそれらを心的本質で支えているのは、とりもなおさずコミュニケーション信仰という心理であり、それを真理であると信じることである。真理とは信じるからこそ真理なのだ。言語行為とは発語によってその意味を得るが、発語される瞬間まで脳によって我々は思惟とか思念とか整理することを怠ってはいない。発語されることで整理が一応つくように我々はもっていっているのである。しかし何度も触れたように発語されることでその文章を巡る思念を脇へ押しやり、別の思念を浮上させるような意味では明らかに思念というものを発語することで、その思念によって充満される停滞を防いでいるのだ。それは思念に対する探求の断念である。断念された思念はしかし完全に消え去っているわけではない。それらはもう一度どこかで浮上するようにいつの待機しているのだ。
 伝えたいことというのは伝えたくはないことの表明として伝えられる。そして伝えたいことのみを伝えることを通して伝えたくはないことを触れないようにすることでコミュニケーションの信仰に敬虔であることが証明される。
 作家が文章を書くのは何を書くべきか一言で言い表せないからである。作家は書くことで自分の書きたいことを発見してゆくのだ。画家が描きたいテーマが予めあるのではない。描きたいから描くのだが、描きながらテーマを発見してゆくのだ。予め決まりきったテーマが言い表すことが出来るのなら彼らは長い小説を、エッセイを、時間をかけて絵を描くことを止めて演説したり、人を説得したりした教育したりした方がずっとよい。
 小説もエッセイも、要するに散文というのは一言で言い表せないことを長く連続する文章で表すのだ。詩も基本的にはそうである。短歌や俳句は一句一句では簡潔であるが、その句の連続においては何をテーマとすると一言で言い表せないからこそ、創作の連鎖が日常化しているのだ。
 今さっき思い浮かんだ実にいいアイデアは書きとめておかなければすぐに忘れてしまう。その場に何か書くことが出来るもの、ボールペンとかを置いておかないと、あとで「しまった。何を思いついたんだったっけな?」と思い悩むことになる。後悔することになる。しかし一度思いついたいいアイデアは再び何らかの形でまた思い浮かぶ。その時それは確信になる。しかし何度もいいアイデアを忘れている内に、我々はそういう後悔を重ねるとそのまま人生が終わってしまうのではないかと不安に襲われる。後悔と不安が人生において死を観念上隣接させている瞬間である。ゲームが終了しない内に何か不測の事態によって進行が阻まれないように願うのは人間のごく自然な心理である。ゲームを中断させられることは後悔が残る。どうせ死ぬのなら何かゲームが終了した後の方がずっといいに決まっている。ゲームの途中であることは他者から邪魔されたくはない、触れて欲しくない瞬間の連続である。触れて欲しくはない瞬間というものは「疑問の渦中にいる」ことである。
 棋士たちが一手を考えあぐねて最終的にある一手をさす時、彼らは躊躇を断念しただけではなく、疑問を断念したのである。決心とは躊躇の断念であると同時に疑問に対する断念である。つまり決心することで理解したのである。あるいは理解したということにしたのである。後は成功してもよし、失敗してもよしという思念に任せたのである。
 理解とは疑問の死である。死は解き明かされてはいない現象であるが、死を今次の瞬間に可能性として抱える人にとって疑問は邪魔なものであろう。疑問を持つことというのは、生きてゆく上で未来への自己の存在可能性の確信そのものなのである。自分が疑問に取り組める内は死は観念上においては遠い。次の瞬間に死を可能性として引き受ける人間には理解が必要であるのかも知れない。しかし死を論じるということはある意味では生を引き受けている瞬間の連続を持っている人の特権である。だから疑問は生の証拠である。疑問を解消されることというのは一面では小さな死である。性的エクスタシーの感受と理解によって溜飲を下げることにはある共通性がある。疑問の断念という事態とは小さな死、生の瞬間の詠嘆的な純粋反省への出発である。理解することはほっとすることであり、しまった書き留めておけばよかったという後悔と対極にある。しかし後悔はある意味では生の只中にあることであり、巧くゆかなかったこと自体を反省することを強いる試行錯誤であるが、それは死に対しては遠いということをも意味するのだ。しかしほっとすることはそれ自体で死に隣接している。性的エクスタシーがそうであるような意味で。
 ある政治家が国民に向けて説得力ある演説をし終えることは、彼の力説する政論を伝達させるという意味では履行されたのであり、従って彼は高い支持率とか選挙結果での勝利ということに対してほっとするであろう。成功というものはその成功へ向けて努力したり、苦労したり、真剣に考えたりした行為の連鎖の一応の死以外の何物でもない。次の行為へと移行するための死である。ある職務から離れること、辞任することは次の職務に就くために必要な社会的な死である。売れていた商品の売り上げが落ちることとは、その商品で信用を得ていた社の社会からの認知の死である。ある流行していた社会潮流が変化して前の常識が通用しなくなることとは、前の潮流の死を意味する。ある法律が時代遅れとなることもまたその法律の死である。かつて有名であった文化人が全盛期のようには活躍出来なくなることはその文化人の社会的な死を意味する。ほっと一息つくこととは従って生の時間での死なのである。
 それに対して新たな職務に邁進し始めることとはその人間の職業における新たな責務の誕生である。我々は自己の内においても、新たな責務を獲得することで古い責務を死へと追いやるのである。その意味では死とは生の時間においても至るところで経験しているのだ。反省的意識とは言ってみれば関心的思考(志向性)から見れば、あるいは行為の只中から見れば死を意味する。だからこそ言語活動においても多分に我々は息継ぎをしながら、その休息において死を巧みに挿入していると言えるのだ。何かを定義したり、断定的に語ったり、判断したりすることは迷うことにおける死である。躊躇することにおける死である。休憩しないでずっと仕事し続けることとはゆとりを持ってことに当たることにおける死である。死とは生を活気付ける意味での変数なのである。
 あるロック・グループのメンバー・チェンジとはマンネリ化した音楽スタイルの死を意味するし、同時にそのグループに宿る新たなスタイルの誕生を意味する。何かが誕生することにおいて、何かを我々は死に追いやるのである。それは意図的な場合もあれば、自動的な場合もあるであろうけれど。
 我々は生において死を効果的に挿入している。呼気と吸気の間で我々はほんの一瞬何もしない死を挿入している。英語と日本語のバイリンガルは、日本語から英語、英語から日本語へとシフトする時、何語をも介在させないような瞬間を挿入している。ポリグロット(多言語使用者)においても同様であろう。何から何かへとシフトさせる時、我々はどちらでもない一瞬を挿入しているのだ。その瞬間我々は無生物化し、無国籍化しているのだ。そのような転換がなされる際の一瞬には如何なる脳内のカテゴリー思考にも属さない、如何なる明白なクオリアをも有さない状態が現出する。それを生の中での一個の死と捉えるなら、我々が感じる、我々がそこで我々自身の生を捉え得る場である生は、それ自体で死をあらゆる行為と行為の継ぎ目に介在させていることとなる。
 我々は我々の生活において、あるいはもっと大きなスパンである人生において出会うものを糧にその都度自らにおいて形成されたカテゴリーの体系というものの性質を少しずつ変化させてきている。ソシュールは言語が実体ではなく、形態であるとしたが、その謂いに従えば我々は例えばリンゴに関しても、人間に関しても同様に自分が新たに出会う対象を今までに見た全対象にその都度付け加えながら、リンゴという概念に纏わる自分のリンゴ観、人間という概念に纏わる自分の人間観、それはリンゴに関する自分にとっての意味、人間に関する自分にとっての意味というものを内的に形成し直す。形態は絶えず変化し続ける。しかし同時にユングが言ったような意味での集合的無意識という心的作用によって我々は極端に逸脱した個的な意味に支配されることなしに、生活してゆこうと配慮する。その意味では如何なる特殊な対象と出会おうと、例えば極端に大きなリンゴを目にすれば、それを奇形であるとか異常であると判断しようとする。あるいは極端に邪悪な人間に出会えば、その人間を異例なケースであると判断しようとする。
 クロード・レヴィ・ストロースは哲学畑から文化人類学へと転向した人物であるが、彼の「悲しき熱帯」は、そこで彼が言うようにルソーの考え方に影響を受けているが、私が想像するに、カントの「判断力批判」に垣間見られる自然に対する崇高の観念とそれらが調合された思念に裏打ちされているように感じられる。非文明化された南米の部族を訪問することで、得られる彼の人類学的な論理と倫理は、彼が属する西欧社会もまたかつては非文明化された形態を有しており、その残滓は至るところに、一見我々はそれを文明化されて信じて疑わない仕来りの中にこそ潜んでいるという価値転換を喚起させる主旨によって彩られている。彼は文明化された西欧流の生活様式の土地から徐々に非文明化された土地へと訪問し、やがて旅を終えると今度は逆に非文明化された土地から西欧流の社会へと帰還してゆくその際の訪問者としての心理的変化について微細に叙述している。そのある種社会的発展段階における異種のカテゴリーからカテゴリーへの移行段階においては、少なからぬ隙間的な空白、西欧流でもなければ、完全に非文明化されたものでもないような中途半端、あるいは双方から見捨てられた土地を目撃しているようであるが、そのようなことは我々の日常でもしばしば経験し得ることではなかろうか?
 大きいリンゴを見て、リンゴの一般性とかリンゴ一般の観念を形成してきた自分の原体験的な先入観を一挙に打ち砕くようなその大きなリンゴとの邂逅も、それ以上のカテゴリー認識をも打ち砕く邂逅の前では一挙に印象の薄いものと化すであろう。そのような意味で一つの出会いによる一般概念の脆弱さへの認識とは、その邂逅する対象、現象の大きさ、あるいはその時々に我々が抱く印象の強度に応じて明確化してゆくであろう。だから凄いものとの出会いはそれ以前における印象的な出会いを陳腐化する。「あれは今考えると大したことでなかった。」という風に。そのようにその都度書き換えられる全体的なリンゴに対する印象、人間に対する印象、つまりリンゴ観、人間観は、しかしある時期を過ぎれば固定化させてゆこうとする我々の意志(よほどショッキングな出会いさえなければ)、例えば親しい友人とか大切な財産とかがある程度固定化されてゆくように自分に中では少しずつ如何なる鮮烈な出会いがあろうともこれ以上変化させたくはない、という観念も我々には一方ではある。この観念の固定化というものはある意味では変化に対する離別という死である。しかしその死を受け入れることで寧ろ変化し続けることの中では得られない別のレヴェルでの出会い、例えばある出会った対象に対して、それが事物であれ、住居であれ、住む土地であれ、交際する人間であれ、それとの係わり合いを深めてゆこうとする意志、まさにそれが生という現実を受け入れ、直視することなのだが、それを得る。人生とはそういう深い出会いを受け入れて固定化させて生活するということではないだろうか?
 その意味ではあるリンゴ観による、人間観による言語活動において、我々が使用する一個一個の概念に対する設定基準というものは、変化しつつ不動点をどこかで求めてもいるのだ。それは言語という幻想(了解一致に対する)と死を巧みに配列させて利用しようとする知恵ではないだろうか?それは死してこの世からおさらばする成員に対しても鎮魂の情を傾けながら、彼(女)の人生全体を客観的に位置づけて生き残った我々自身の財産とすることによって死を有効に意味付けることにも似てはいないだろうか?

 カントの「判断力批判」は神の観念を通して壮大な風景を目の前にした人間の心理を描出して崇高なる形容的定義をしている。
 神とは人間の能力(身体的なことを通した物理作用としての)の限界とその卑小さ(カント活躍時代には未だ宇宙開発も核兵器もなかったのだが)に対する人間の欠落感を埋めるものとして作用していた。もし人間による地球規模の自然荒廃とか戦争破壊が起こったとしても尚人間の醜さという観点から人間の卑小さは物理的能力の拡大に伴って増大してゆくであろう。ともあれ神とは一種の観念としての幻想以外の何物でもない。それは人間の能力の限界を遥かに超え得る完全無欠性への希求である。それを幻想と呼ばずして何と呼ぼうか?
 ジジェクの言葉を借りれば「幻想とは、自分の欲望の行き詰まりを、個々人独特のやり方で隠蔽するための方便である」(「斜めから見る」293ページより)とするなら、人間は欲望を実現すればするほど神に対する恩恵心を忘れる者であるのかも知れない。しかし我々は不滅の存在ではない。これだけはどうにもならない。この死というものの不可解さを前にすると、どこか神という永遠性、完全無比性に依拠するような心持になる。マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の倫理」によれば、プロテスタンティズムとはカトリックが心情倫理的脆弱さによって原則ある生き方を弱められたことへの反省的気運によって仕事の責務、つまり労働への意欲という、言わば責任倫理遂行によって信仰を守り社会全体を安定へと導く装置として(それも一種の人生の固定化の社会版と捉えることも可能である。)機能してきたという側面があるようだ。つまり社会的責務、職務遂行というある種の神との契約性が、その報酬として賃金を得るという倫理循環の下では、日本人にある固有の「金は卑しいもの」という観念はない。西欧社会においては労働とは神への奉仕であり、労賃は神からの賜り物なのだから。しかしそういう日本人も言語が神からの恩寵であるという観念ならば、受け入れることが出来るのではないだろうか?
 カントの捉える風景の壮大さを前にした敬虔な感情と、ヴェーバー解釈の労働の持つ人間と神との契約という側面は、我々の言語活動が類推、仮定、想像といった思惟が言語的思考のあるプロトタイプとして能力として備わっており、そこにはいつかは死する人間が神のようにはなれないも、神のように少なくとも思念上では無限性や永遠を想定し得るということを自ら知っており、その思念に憩いを見出しているということを考慮に入れると、どこかで密接に関連し合っているように思われる。
 それは義務(神との契約としての労働)と権利(思念的内容の自由)の存在を思わせる。カント的思念は恐らくそういった契約的履行という義務に対する権利としての思念の自由が生み出した尊崇の念(雄大な自然を前にしてそこに神の偉大さを知る。)ではないだろうか?それは権利だけでも義務だけでもあり得ない心理ではないだろうか?
 我々が言語の幻想とその力を実感し得るのは、人間の能力の有限性の中で無限を感じることの自由を神から授けられたのだ、と認識し得る時なのか知れない。

 ジジェクによると幻想として位置する中心を我々人間は求め、というよりも不可避的にそのような個人の価値を見出し、それは私秘的なものであり、他者によって踏み込まれたくはないものであり、そういう位置にこそ神も、偶像も存在可能性を得るということのようだ。その中心の幻想の周囲をぐるぐると回り続けることこそ主体というものの在り様であると彼は考える。そしてそれを価値論的に、とは言えその意識は殆ど無意識の作用なのであるが、他者と意思疎通する時に相互に尊重すべき領域として認識し合うことに中に人間関係の基本的な形を認めている。それと似たことを熊野純彦が「レヴィナス入門」でも述べている。そしてヘンリー・ステーテンは「ウィトゲンシュタインとデリダ」において、この二人の哲学の巨人の共通性として差延ということに帰している。その差こそ、実はソシュールが述べた言語の恣意性、そして自己と他者のドラマを介した他性認識の根源的な事態なのである。ある意味では事物に対して注がれるカント的な物自体の発想もまた、物自体の移ろいやすさとか不可解さを紛らわすためにこそ、再びジジェク流に言えば、無価値であることそのものに耐えられないことを忌避しながら、そこに善とか悪とかの判断を持つようにするのが人間であるということである。その意味ではハイデッガーが言う道具的存在者といったような認識は、無意味、無価値、無目的というような事態の忌避こそが全エネルギーの源泉であるということになる。そして恐らく死に隣接した人間は言語をそのための道具として利用しながら死への恐怖を紛らわせているのかも知れない。

Thursday, November 26, 2009

〔言語の幻想とその力〕2、真理相対主義と信仰の問題

 私たちは相互の存在を他者として、それは同一共同体の成員として、知人として、友人として、家族として認可し合い、それを手掛かりに意思伝達し合う。意思伝達することそれ自体が他者を相互に意思伝達し合える相手として認可している証拠であるし、そうすることでその相互認可を確認し合っているというわけである。しかし相互理解、例えば今山の頂上にいる二人の人間が私が指す方向に鉄塔が見えるか否かということが「うん。私にも見える。」と相互確認し合えるばかりではなく、もっとメタ対象的な話題において、本当に他者が私が述べた意味内容を理解してくれているのだろうか、という疑問、あるいは私が述べる真理の意味作用を私同様に今こうやって私と発語を交わす他者は理解してくれいるのだろうかという疑問は常に私たちについて回るのである。相互に誤解に基づいて了解し合っているだけの場合も、それはいつもではないのだが、確かに存在するからである。
 しかし全ての発語において他者の自己との絶対的な意味内容了解の一致を確認し合っている暇は我々には残念ながらないのである。だからある程度の相互了解を得ることが出来れば、それ以上のものは相互に求め合わず我々は次の話題へと移行してゆこうと相互に了解し合っているのである。すると我々はこうここで一つの結論を見出すことが出来る。それは相互了解というものは絶対的な真理了解の相互一致ではなく、相対的な了解、それが酷くずれ込んでいるのではない限り、よしとしようという妥協主義的な観点による相互了解であるということが出来る。
 ただここで重要なこととは、要するにある重要な一致点さえ把握し合えれば、その一致点は実は話題模索と同様その場その時毎に模索し合うのだが、その一致点の了解をベースに我々は話題を展開し、移行すること出来る、ということである。
 例えばそれは話題とかその話題の設定という状況論的なことから、語られる意味内容的な面まで広く適合され得る真理である。
 「我々誰しも未来は予測し得ないものなのだ。」とか「我々は最早過去へは戻れないのだ。」という真理を、発語においてはもっと感慨を交えた形で我々はしばしば他者へと語る。それは無常観的な意見陳述とも言える。しかしその発語の意味内容的な真理はほぼ相互に話者同士に了解一致を得ることは可能であっても、意味作用的な例証性において、つまりそういう例として自己内部で想像する様は個人毎に大きく異なっているであろう。私がイメージする赤いというイメージとあなたがイメージする赤いというイメージがほぼ同一の色合いを指示しているという了解一致が見られても尚、その指示されたものを通して我々が得る意味は微妙にずれ込んでいると言える。それは赤いリンゴを幼い頃から沢山見てきた人とそうではない人の抱く赤いリンゴのイメージが微妙にずれ込んでいるようにである。
 しかしにもかかわらず我々は「赤いリンゴ」と言うと、その時誰しもこれこれこういうイメージものである、という了解一致を心的に設定しようとする。それをベースに「赤いリンゴ」という名詞を使用した発語の文脈を理解しようとする。そして我々は誰しもその「赤いリンゴ」という謂いを利用した会話において相互に同じことを指示して語っているのだ、と信じて疑わない。もし疑うとしたら会話は円滑に進行しないであろう。我々はある真理を語る時、それを了解し合えるという事態が、同じ意味内容を了解し合っているのだという信念と同時に、ある程度我々が抱くその意味作用的な例証性においてずれがあることを知りながら同時に、それは大幅にずれ込んでいるわけではないとい信念を持って発語しているのである。会話しているのである。このことは極めて重要である。なぜなら我々が語る真理が了解一致という面では極めて相対的なものでしかないと相互に薄々知りながら、それが酷くずれ込んでいる筈はないという確固たる信念を同時に保有しているからである。このようなことは家族とか親しい友人とかのレヴェルではなく、敵対する人間同士でさえあり得る事態である。
 例えばどんなに敵対していたり、嫌いな人間が話す意味内容においても、「赤いリンゴ」という指示がある程度信頼し合えるという事実は極めて言語活動において奇跡的事態であるとは言えまいか?
 ここで整理しておこう。我々は次にあげるような一連の了解一致の信念を抱いて発語に臨んでいると言うことは可能である。

① 私の語る「赤いリンゴ」が彼(女)が理解している「赤いリンゴ」と了解一致している筈だ、という信念を持っている。(指示性の一致)
② 私が語る「赤いリンゴ」を通した発語内容が彼(女)がその発語を通して理解している意味内容と、真理条件的な意味合いで了解一致している筈だ、という信念を持っている。(意味内容の一致)
③ 私が①、②を通して得た了解一致の観念を私と語る彼(女)も私同様了解しているという信念を持っている(信念保持の一致)
④ 私が語る「赤いリンゴ」を通した発語の意味内容を通して一致した了解の下で想像される意味作用の様相が酷くずれ込んでいるということはあり得ないであろうという信念を持っている(意味作用的想像の一致)

 ここで我々が上記のように持つ信念というものは、真理の相対主義でありながら、同時に了解可能性の絶対主義、つまり信仰であると言うことも可能である。つまり相対的な一致をしか掴み得ないのにもかかわらず、どこか一点では絶対的に理解し合える筈だという確信によって我々は言語行為を続行しているのである。それは真理相対主義を克服し、ニヒリズムに埋没することなく、最低限の理解は如何なる相手であろうとも得られる筈であるというコミュニケーションの意義に対する信仰があると言い換えることも可能である。
 そこで一つの結論をここで示そうと思う。真理了解の一致という面では我々はその履行を全面的にはなし得ない、そういう意味では言語は一種の幻想である。しかしその幻想性をも含めた力、つまり何ごとかは必ず伝達し得るのだという確たる信念が我々にはある。それを言語の力を通したコミュニケーション信仰と呼ぼう。
 我々はどういう相手をどういう話題を設定しても尚、何らかの理解を得ることが出来る。それはある意味ではその場、その都度の判断によって理解を得ているのであり、デヴィッドソン的な当座の判断である。だから何か理解するべき規範があるのではなく、ケース毎に存在する理解一致点を見出しているのだ。
 ウィトゲンシュタインはフッサールが認めていた前言語状態としての心的様相に対しては殆ど関心を持ってはいなかった。寧ろそういうものの存在に対して懐疑的であったと言えよう。しかしその両者はどこからどこまでを言語的思考と捉えるかという観点によって異なったタイプの哲学スタンスとなっているだけであり、当のフッサールが言語と無縁な思考というものを想定していたのかというと私は多少疑問に思う。
 だが少なくともウィトゲンシュタインは言語的思考を介在させずには思念出来ない思考というものの在り方と我々が日常無意識の内に採用するルール(それは文法といった形式的なことから使用という実践的な意味へと彼の哲学では移行してゆくのだが)に対して着眼して関心を注いだと言うことが出来る。しかし彼以降の哲学者たち、例えばデヴィッドソン、デリダ、サールといった人々は状況判断における普遍言語という思考能力を前提として論じてきている。それはサピアとかウオーフによる言語相対論というものがそれ以前の命題として考えられていたからであって、この論において私が言うところの相対的ではあるが、それでも尚その都度の理解点を得ることが絶対に可能である、あるいはそのように信じて発語しているような意味で、彼らは言語相対論以降の進化状況として彼らの哲学を作ったのだと今我々には言えると思う。
 何かを語ることは、その語られる対象に対して洞察したり、意味内容の探求自体に対する断念に他ならない。発語行為としての他者獲得という事態には、認識というものが不可欠であるように思われる。それは共同体的認識、社会認識の出発点である。勿論人間は言語習得以前的な他者に対する出会いはあるであろうが、いったん言語習得された(それは他者の意思疎通的対象性に対する理解の後のことである)後我々は他者を発語行為対象として認識するようになる。それから後の他者は従って自己にとって原初的意識となる。しかしフッサールは恐らくそれ以前に原意識というものを考えているようである。しかしフッサール的原意識というものは、デリダが言う原エクリチュールという概念(それは普遍言語認識的な捉え方である。「グラマトロジーについて」より)を能力として発現させる場に近いものであると考えられる。それは恐らくハイデッガーが現存在と呼んだ知覚主体の意識問題とどこかで一致した地点であるように思われる。
 断念という概念を二度ほど採用してきたが、実はこれは非常に重要なのである。というのも言語発語行為も、陳述、品詞使用も全て、語化というものは実相的にはそのものをカテゴライズすること以外の何物でもない。というのも「赤いリンゴ」という発話は、「赤黒いリンゴ」とか「カーマインのリンゴ」とか「赤いバラ科植物の果実としてのリンゴ」といった無数の形容と無数の指示の方法の中から一つのその場に適切な陳述の選択採用以外の何物でもなく、例えばリンゴ生産者間の会話なのか、植物学者間の会話なのか、日常的食料の買い物での会話なのかというような各状況に応じた陳述の体裁の選択採用に依拠した決定事項であるからである。それは陳述するその瞬間に他のあらゆる適切な陳述可能性を断念していることを意味するのだ。一つの叙述を成立させているのは紛れもなく、この他の<表現、形容>可能性の探求の断念なのだ。
 それは陳述内容、陳述形式、陳述体裁の選択だけに限らない。信じる内容、信じる対象といった日常的な判断の基礎となる全てに言い得ることである。そしてそのことは日常会話とか意思疎通の全てにも当て嵌まるのである。例えば厳密な了解一致がなされなくても、概ね理解出来れば我々は発語行為をどんどん先へと進行させる。これは一応全てを了解し合えたということをそれ自体は一種の幻想なのであるが、そういうこととして先へと進めるのである。これがなければ会話とか発話といったものは一切の進行を阻まれる。例えばある話者が「先週の日曜日秩父に出掛けた。」という内容を別の話者に告げる時、「よく秩父には行くんですか?」とか「日曜日はよくどこかへ出掛けるんですか?」とかその陳述を巡る話者固有の事情を一々全部了解しなければその先に会話が続かない場合、我々はその陳述を発端としたあらゆる陳述の主旨にはいつまでたっても進めない。つまり我々は一つの陳述の発話文章を、一応理解し、そういう内容の設定を前提としてその先を聞くことを望むのである。そういった会話とか発話といった全ての発語行為が拠って立つ前提というものは「そういうものとして聞く」というマナー、「そういう設定の下で理解する」という心的な了解が成立しているのである。これは一つのコミュニケーション信仰の実例である。
 ある陳述を話者が別の話者に行う時、その陳述は大抵、申し述べる話者の知っていて、聞かされる話者が知らないことを中心に展開される。そうした情報獲得の有無が発語行為を初めて意味あるものにする。私が見たもの、聞いたもの、感じたものの全てを誰もが了解し得るのなら私は誰にも何も語る必要はない。そしてもう一つ大事なこととは、そういう風に私だけが知る事実を私が申し述べることを私にとってのもう一人の話者が聞くことで何らかのメリットをそのもう一人の話者が認識し得るだろうという目測を私が持つことが出来る限りにおいて私は発語行為において陳述することを思い立ち、意志するということである。従って誰か他者が私に何かを申し述べるとすれば、その他者もまた私が誰か他者を陳述申し述べに対する聞き役として選択しているような意味で、私を聞き役として選択しているのだということを私は知ることになるのだ。
 しかしその陳述の意味内容そのものは、私が体験した何らかの事実によって成立しているが、その事実を聞かされた人は誰であっても、皆自分なりにその事実を内的に想像しているだけであり、その想像的絵図そのものは私が見たり、聞いたりしたものの様相とはかなりずれているであろう。要するに話者が心的に抱く過去事実に対する報告に関する限り、我々は話者の心的な様相というものは彼固有のもので、その事実に対する陳述の意味作用そのものは、報告者の内的、心的様相とは必ずずれていること、その陳述において話者である私は見たり聞いたりした当人であるが、その当人(私)のその事実に対する感受と思惑如何とは何の関係もなく、それを聞く者は私の言うことを自分勝手に想像することが許されている、そういうことを前提として、あるいはそうでなければ事実を陳述され聞かされて、そのことを想像することは出来ないというディレンマによって初めて成立しているということである。ということは、もし我々が客観的に他人の脳を開いてどういうことを想像しているかを確認し得ることが出来るのなら、自分が話す相手に想像して欲しかったことと、随分異なった様相で理解しているということを必ずそこに目撃するであろうということである。しかし実際上そういうことは不可能である。従って我々はそれをしたくてもせずに、ただ相手もまた自分が感受した事実に対する受け取り方と同様のものを受け取っているに違いないというある種の、確認に対する断念を携えて、つまりそれ以上了解一致を確認することを断念しながら、会話を、陳述の応報を続行しているということである。このことはコミュニケーション信仰があればこそ、その会話の続行を意味あるものにするが、よく考えてみるとかなり絶望的に我々が常に誤解によってのみ理解し合っているという現実をまざまざと見せつける。ここに本論の表題である言葉の幻想ということが浮上してくるのだ。
 それは真理が如何なる異なった意味作用の下で展開しても尚、その真理をある別の意味作用の下で陳述した話者の感受如何とは何の関係もなく、誰でも自分勝手な別個の、全く印象の異なった意味作用を連想しながら他者の陳述を受け取って(聞いて理解して)よい、またそういう齟齬を前提しなければ我々は何も他者には陳述することが出来ないという、要するに完全なる了解一致はなし得ないが、尚何らかの完全なる一致は得られる筈だという了解一致の幻想性を前提しつつ、かつその齟齬を常に伴った陳述応報の連鎖それ自体においては、どんなに齟齬をきたしつつも全体的なこととしては意思伝達することの意義を信じて疑わない、言葉の力を我々は認可しつつ、信仰を持って生活してもいるのである。
 そしてその事実を我々が認めるということは真理が相対的であることと、そういう相対性そのものを前提とするなら相互理解、つまり了解一致というものそのものは絶対的に可能であるという信仰を我々が決して見捨てることはないという一事を物語っている。
 真理とはしかしキルケゴール的に言えば決して誤謬のないものであるわけだから、それが相対的であるという思惟は少し矛盾するということになりはしないか、という疑問に対しては、真理の持つある意味作用の志向性というものは一元的であり、各自において異なった心的な具体的顕現(想像の仕方)があっても、尚その顕現された様相の部分的なもの同士の連関においては話者が伝える陳述に介在する真理は、どれも共通したものである筈であり、だからこそそれを真理と呼ぶに相応しいと言えるのだ。というのももしそれが真理と呼ぶに相応しくないとすれば、その陳述は意味作用の態をなさないこととなり、その陳述しようと発声されたものを巡って理解不能の声が聞かれることとなろう。つまり真理相対説とは、真理が相対的であるのでははく、その真理へと至る道筋の多様を許容するものであり、多様な様相においても尚一切の多様に漲る共通した性格こそ、真理と呼ぶものに相応しく、その真理が認識出来ない発話は、了解一致の幻想も、理解へ至る道筋も聞く者にとって見出されはしないであろうということである。よって真理とは意味内容であるよりは、ある特定の意味内容を通した多様な様相における了解へと至る道筋において共通する志向性(理解への志向性でもある。)の目指す先であると言えよう。それは異なった様相という道筋を許容し、了解一致の幻想に対する信頼、つまりコミュニケーションへの信頼という信仰心によって支えられている。
 ところで我々はそういう他者との間での信頼をコミュニケーション信仰によって確たるものとしているが、実は我々はそうしながらも自らの時間を自分で左右することが出来ない。我々の生の時間はある日突然絶たれる。死の到来である。
 死は生物学的にもなかなかその正体が掴めないもののようである。進化論的には死は多細胞生物による進化上の獲得形質であるらしいという考えが、細胞分裂の限界とかアポトーシスと呼ばれるものによって説明されてきている。次節ではその死を巡る我々の言語活動において介在させる信仰の問題について考えてみよう。

Friday, November 20, 2009

〔言語の幻想とその力〕1、言語活動_あるいは不在のメタ対象へのかかわり

 私は先月まだ紅葉になってはいない秋口に、箱根にバスで日帰り旅行をした。しかし残念なことにはその日は午前中からずっと雲行きがよくなくて、結局正午過ぎには酷い雨に見舞われ、山の風景は全体的に霧と靄に包まれ、晴天であるならくっきりと認められる富士山や箱根の山の輪郭を見ることが出来ず全体的に悪天候の旅行となったのだった。しかし裏を返せば、その日の旅行の収穫は、実はある私の私小説形式の小説作品の導入部の描写に必要な取材旅行だったのだが、かえって晴天であるが故に心の陰影を感じさせない風景とは異なった、要するに例えば悪天候から次第に快復してゆき、太陽の光線が曇り空から斜めに射してゆく光と影のドラマを私に齎してくれた気さえするのだ。それは絶好の天候にはないある倦怠感の齎す心的様相を哲学的に私に与えてくれたのである。
 だから我々はこう言えるのだ。健康の意味がいったん健康を崩した時に自覚出来るように、悪条件下において初めて我々は条件の良好さの有難みというものが明確化するのである。健康状態の悪化は健康の美の有難さを寧ろ健康状態の時には覚醒しないような深遠なレヴェルで我々を釘付けにする。それは深層心理の自分では普段は気付かないある種の健康的鈍感さによって忘却された事象からの覚醒を伴って立ち現れると言っても過言ではない。
 ハイデッガーの道具的存在者が有用である内は、健康な状態の身体同様「死」は意識されない。しかしいったん私たちはその道具が機能しなくなると途端に物としての存在感、ある意味では役に立たないが故の鬱陶しさが立ち現れるのである。病の身体が死を意識させるようにカントの言う物自体とは、実は我々が物を見るだけではなく、他者の眼差しのように物自体もまた我々を眼差していることの覚醒であり、それは私たちもまた死んでゆき、物自体へと同化してゆくことを連想させる。
 死への連想は生の有限性、生の中での出会い(人、職、住処)の可能性の有限性へと我々を思念させる。この有限性への認識ことが、無限性を生む。この思念の意思伝達が言語活動である。有限性に対する認識が無限な想像の可能性を我々に齎す。例えば今研究室の机の前にいる学者は、あるいはオフィスにいる会社員は自分の世界の中での位置を地理的にも社会的にも認識し得る。どこどこの国のどこどこの町、どこどこのビルの一室にいると自分を世界の一部として認識出来る。しかしそれ以外のつまり彼がいる場所以外の別の場所のことを想像することが可能である。それは自分の存在を中心にすれば有限な事態が立ち現れるが、他者とか自分の知らない地域にもまた人々が住み、仕事を自分のようにしているということを想像することが可能な意味で、その想像対象は無限に可能である。そういう自分の想像対象設定の無限性という認識においてまず我々は日常的に無限という観念を自らのものにすることが思念上可能なのである。
 言語活動の大半は現前的知覚対象外の要するにメタ対象を対象としたものである。それは不在への言及に他ならない。このメタ対象へと志向した発語(想像、類推、仮定、想起)行為の反復は生の時間の経済への認識と期を一にする。つまり時間の経済と有限性の認識が無限性へと思念上展開されるわけだが、そのように現出させる価値としての無限こそ東洋哲学の無、空にも関係してくる。ハイデッガーの言う(「存在と時間」)適所性とは、行為としては意義、物としては存在理由というように位置づけられる。実はこれは存在論の認識論と一元化された(ミシェル・アンリ的に言えば)目的と手段の因果論的見方に端を発する。
 キルケゴールは「哲学的断片」で、教師とは真理を教える人であり、それは即ち神であるとした。(ということは、我々はその生徒であることになる。)私たちの自然科学的、数学的認識も全て実は客観的であるとしながら、そのこと自体で一つの信念である。あるに過ぎないと言えばニヒリズムに直結するし、信念を支える信念と言えば無限後退へと我々を誘うことになる。信念の一つの典型的なものの一つは、不可知のものの無限性と可知のものの有限性である。そこで私たちの祖先は不可知のもののない完璧な存在を神として設定する。ということは神設定とは不可知領域の存在の真理に対する認知という信念に他ならない。ある思念の言語化、あるいは言語化のための思念とは即ち思念の断念に他ならない。しかしこの見方はフッサール的ではあるが、ウィトゲンシュタイン的ではない。フッサールは言語を言語たらしめる何らかの心的作用を認めたが、ウィトゲンシュタインはそのようなものに対して懐疑的であった。そこにこの二人の天才哲学者の思想を受け継ぐ意志を巡って、大きな分岐点を後世に齎したと思う。実は私はこのことに関してまだ自分でも決着がついていないのである。しかしそれは後に詳述しよう。
 取り敢えずそのことに対する結論は先送りすることにして、今はフッサール的観点を採用して考えよう。思念を伝達するために音声的発生において表出することで、それ以上その思念に留まることを断念しているのである。ある特定の思念への「居留まり」とは思考の停滞を招聘するからである。不在のメタ対象への言及は無限に対する有限化という自己欺瞞であると言ってよい。というのも何かを話題にすることそのものが。実はそれを目の前にしていても尚、知覚されたことについての表明であってさえ、知覚されたことそれ自体に対する言及である。まして今不在の対象に対して話題にすることとは、その対象に対する過去の知識、情報、その対象に対する考え、感情的な思念といったものが入り混じる。それは最早不在対象全体に対する捉え方の表明でもあるのである。
 もともと語り尽くせない不在のメタ対象とは生の時間において知覚対象と不在対象(想起を誘引する対象としての)の有限性と想起的仕方の無限性への幻想(実際はそれとて生の時間が有限である以上、人間にとっての話題構成上の対象の全ても有限であるが、出会いそれ自体の可能性は無限であるとも捉えられる。)である。人間は未来の不確定性へと向けて無限の未来可能性の前で佇んでいる。哲学とは恐らく我々が意図的に作る不在のメタ対象間の言語的連鎖以外の何物でもない。
 批評がメタ言語であるなら、哲学はメタ対象間の連関、例えば先述の有限と無限といったもの同士の相関性への言及である。自己意識の所在である身体の有限性、生の時間の有限性(時間的な)が逆にそれを超える空間的延長、時間的延長というロック流の認識の彼方に無限を設定する、ということである。
 哲学に登場する概念はその殆どが抽象名詞である。抽象名詞とはメタ対象の自覚的な言語化である。私が見るリンゴは何百あろうと何千あろうと生きている内には世界に存在する全部のリンゴの、あるいは世界に存在した、これから存在するであろう全部のリンゴ(少なくともリンゴが絶滅しない限り)のほんの一部でしかない。あるいは私が出会う人々もまた勿論人類のある極めて極少に限定された一部の人々でしかないだろう。そのように私たちは限られた時間で限られたもの、人とのみ接する。しかしそれら特定の人々によって私たちはリンゴと言い、人と言う。別にそれらがリンゴ全体を、あるいは人全体を代表しているわけではなく、ただリンゴというカテゴリー、人というカテゴリーを通して、ある特定の存在物を認識しているということだ。そのカテゴリーを通した特定の事物や対象の認識それ自体が抽象名詞化された一般名詞の使用を巡る心的様相と言ってもよいであろう。メタ対象とは言ってみれば、概念の根源的な在り方である。
 しかし一般名詞におけるメタ対象は、具体的像が心に浮かぶ。それに対してメタ対象的自覚(メタ対象としての自覚)を持つ言語は、メタ対象間の関係概念であるが故に、具体的像とは異なり、抽象的関係像を、その概念を理解するために現出させざるを得ない。よってそれらは明らかにそのもの自体は、不在なのである対象間の連関という私たちが対象に付与する認識に他ならないのだ。それはウィトゲンシュタイン風に言えば私たちの言語ゲームを円滑にするためのものなのである。そしてここでも問題となることとは、ある対象の属するグループを概念(あるリンゴならリンゴという風に)とするのなら、あるいはその概念間の関係性そのものを全ての事例で確認することが不可能である(全てのリンゴの色彩、形状を確認することは我々には出来ない。)し、全てのリンゴとミカンの柔らかさを確認することは出来ないが、大体においてミカンはリンゴよりは柔らかいものであるということ、リンゴはどれも皆赤や黄、黄緑に近い色であり、青や黒といったものはないであろうとか、どんなに柔らかいリンゴでも、それは何らかの理由でそういう状態に今なっているだけであり、本来ミカンよりも柔らかいリンゴはないであろうという信念を私たちは持つ。つまり判断の質量として我々は信念というものを持つのだ。ある信念は別の信念と隣接しおり、その信念同士は連携プレーをしている場合もあれば、無関係の場合もあろう。しかし少なくとも一つの判断というものは恐らく幾つかの複数の信念が交差してなされると考えることが出来る。フッサールは自然科学的認識もまたその科学的なデータは信頼に足るものであるという信念によって支えられていると考えたのである。しかしそのような認識に至るまでの西欧哲学においては哲学的な思考の自律以前の神学的な認識との隣接、そこから離脱しようと欲すればするほどその残滓が堆積するというようなニュアンスも出てくる。 
 例えばハイデッガーが世界内部的道具存在者と言う時、自分を神の力の容器とルッター派が捉え、自分を神の道具とカルヴィニズムが捉えたというマックス・ヴェーバーの認識(「プロテスタンティズムと資本主義精神」より)は、前者を神秘的な感情の培養へと赴かしめ、後者を禁欲的な行動原理へと赴かしめることとなると思われる必然性においては、より後者の捉え方を喚起する思考原理であるとは言えまいか?
 なぜそのような心的様相へとハイデッガーが至ったかということについては西研が述べている(「哲学的思考」より)ように戦争の勃発による心的な不安要因が考えられるであろう。しかし人間は本来的に言語行為によって不安(それは未来に対するものであると同時に無限性へと向けられている。)を払拭するように生を生きているのだ。とすると我々がメタ対象という不在性へと依拠しながら言語行為を執り行うこと自体もまた、不安の払拭という意味を持っていることになる。それをここで無限の有限化と規定しておこう。
 熊野純彦はハイデッガーが「私」から「存在」への志向、レヴィナスを「存在」から「私」への志向という風に捉えている。(「レヴィナス入門」より)しかしこの両者のベクトルの対照性は、実は我々の認識の多義性にもよるのである。例えばハイデッガーが「遠ざかりの奪取」と言うこととは、存在者を対自的にも対他的にも世界の只中に取り残された孤立者、言ってみれば空間内における疎外者として位置づけることを意味する。しかしこの思念そのものはカントが世界の始まりと終わりに関してそのことの有無を巡るアンチノミーとして「純粋理性批判」で提出した考え、つまり「背進」という認識にも通じることなのだ。ある領域の設定はその領域外の存在を前提するし、その領域と領域外全体を包括する世界を前提する。そして世界とは限界あるものと捉えても、限界のない無限と捉えても、尚双方とも共通して言えることとは、要するに何かが設定されれば、必ずその先には何かがある、その先にも何かがあらねばならない、あるいはその先には何もないということはそのものの存在を不可能ならしめるという思念が不可避的に立ちはだかっているということである。
 そこで再び有限性という事態は、それ自体無限性を前提していることになる、という思念が持ち上がる。あるいはこう言ってもよい。無限というものを理解するために有限を我々は持ち出しているのだ、と。
 言語行為は不在のメタ対象に対する言及行為であるということは述べた。しかしそれは我々が世界を前にして、あるいは世界の中で位置する、存在する、世界を設定する我々自身による世界認識の思念的な表出として、意識的、無意識的とにかかわらず、他者と自己の社会的関係、あるいは他者と自己の心的思念の共有の確認として行われると捉えることも可能である。ハイデッガーは自己と他者という思念よりは世界の中での存在者を考えた。しかしレヴィナスはある意味では他者を自己の壁、それは対他的な意味、つまり対外的な意味でも、対自的な意味、つまり内向的な意味でも自己にとって立ちはだかる壁として位置づけている。それは自己と他者を分かつ記号として、存在自体の、あるいは消去不可能な、そして侵害不可能な対象としての顔として現出するものとしての他者である。するとハイデッガーは有限性から無限性へと、そしてレヴィナスは無限性から有限性へとベクトルを位置付けていることとなる。その時この二つのベクトルにおいてメタ対象性とはどのようなものになるのであろうか?
 空間の中の、とりわけ世界として認識された空間の中で立たされる存在者としての実存請負い型話者というものをまず考えてみよう。それは自然の中で自然と対峙する姿勢であれ、一体化する姿勢であれ、それらは皆自然と人間という二元論的な認識である。話者が私を超えて現存在の具現化された実体として発語行為をなすのであれば、それは音韻的な、極めて身体運動、身体生理学的な行為として言語活動を設定することが可能である。しかし存在から私へと志向する場合、我々は他者を壁として、ある意味では平坦ではないものであるし、かつ自己の意志ではどうにもならないものとして認識するわけだから、発語行為それ自体はあくまで共通の話題を探るという観点から考えられることとなろう。
 話題というものについてちょっと考えてみよう。話題とは認識し得る事物、現象つまり対象、そしてそれは存在するものと存在し得ないものとによって設定され得る対象間の、つまり対象とメタ対象との相関的な関連図式、あるいは自己と他者の関心領域に適合するような関連図式である。話題は予め設定されているわけではなく、当座の共通関心領域として認識されるわけであるが、実はこの共通関心領域が話題を通して認識出来るということ自体が自己と他者が共通の対象とメタ対象間の関連図式の了解事項が設定されているということとなる。デヴィッドソンはそれらをア・プリオリなカテゴリーではなく、寧ろその場、その時に当座の認知として獲得してゆくものであるとしているが、実はそのこと自体、つまりそのように当座の意味と理解の獲得をなし得る能力をこそア・プリオリと認めてもよいのではないだろうか?それは要するに他者理解をなそうとする意志と、自己と他者の壁と溝の克服を旨とする意思伝達の意志である。つまり意志とは発語行為発現の能力を滞りなく履行させる当のものなのである。ここで纏めておこう。

①空間内存在者としての発語行為→音韻的、音声発語的行為の生理物理的観点

②私という存在、つまり自己と他者の壁を通した発語行為→共通関心領域の模索、話題設定という観点

 前者をハイデッガー的認識として、後者をレヴィナス的認識とすることもまた可能であるが、前者は常に後者を後者は常に前者を必要とするのである。その意味では前者を対自的、後者を即自的な言語活動への認識と考えてみてもあながち間違いではない。
 また①を構造主義的なアプローチに見られるラングとしての言語、そして②を分析哲学、言語哲学(日常言語学派以降の)のアプローチに見られる真理条件的な言語への解釈において顕著に確認され得る成果と見ても間違いではない。しかし言語行為にはそういった顕現された発話内容と作用、つまり音声的に他者に語りかける意味作用と、その意味作用を通して伝達される意味内容という面以外のものも伝える。それはレヴィナスが触れている(「存在の彼方へ」より)のだが、語ることというのは語らないことを語るということである。それは可知が不可知をも顕現するような意味で、言語活動そのものが語り得ることが語り得ぬことをも語るという、可能、不可能ばかりではなく、語りたい(伝えたい)ことを語る(伝える)ことというのは語りたくはない(伝えたくはない)ことを語らない(伝えない)ことの表明でもある、ということであるし、そういう真意の表明であると同時にそういう真意を認可し合う形でなされる、つまりそういう前提を持った意志伝達であるということをも意味するのである。だからここで言うメタ対象ということとは、対象という明示されたもの以外の不在への言であるという言語活動の諸相が実は、メタ対象というものを通して自己と共に語る他者が語り得ることを相互に選択し合うということの了解と認可においてこそ初めて信頼を得ることが出来るということの実践でもあるのである。ここら辺の主張はごく僅かではあるが、フッサールにおいてもなされていたし、サールなども大きく取り上げている。
 だが私たちが今しっかりと確認しなければならないことというのは、言語活動というものがそういう了解と認可という面でなされているということの事実において、我々がそういう形で言語活動がなされること自体に意味がある、あるいは言語そのものにそれを誘引させる力がると信じているということが大きな問題として浮上してくるのである。
 それは言語行為そのものが、そのことによって真実が伝達され得るのだという楽観的な観測の下で執り行われる行為であるという我々自身の認識が、「そうである。我々のなす言語行為は真実を伝える。」と信じることが、真に真実であると信じつつ、幻想ではないかという懐疑をも捨てきれないところにある。このアンヴィヴァレンツの正体こそ今問わねばならないことなのである。
 そのことへの問いというものが、実は我々が見ることの出来るものが物自体ではないという現象認識と同様、我々が語ることが真理であるとは限らないという懐疑論の出所であるし、また相対主義的な心理主義の出所であると言えるのだ。あるいは自己と他者の相互理解、あるいは自己と他者の相互理解の意味内容的な一致が履行し得るのか否かという懐疑の出所でもあるのである。それは人間相互の愛というものが、相互に信じ合うことを基本としながらも、その愛の内実が微妙にずれ込んでいるということに対する直観と、そういう直観を持つことそれ自体をニヒリスティックに捉える必要があるのか、それともそうではないのかという面での論議もまた要求されているのである。

 

Friday, November 13, 2009

書き・読み、語る・描き、見る・聴く<言葉・絵・音楽> 第三章 聴く

 私は前章で少々物語ということを述べた。物語を生きることを虚妄的と言ったが、それは多分にサルトルの言った自己欺瞞的な側面からであった。尤も彼はそれを否定的にばかり使用していたわけではない。
 さて絵画で風景画が定着したのは比較的美術史上では最近のことであるが、我々はどこか自然そのものをも虚構化したくなるからこそ、風景画を描くのだ。つまりこの自然に対する虚構化という欲求があらゆる自然科学を人類の英知として我々は物語化してきたのだ。自然科学を信じるということは即ち、自然科学を英知とするという物語を生きるということである。
 私たちはフッサールの言葉を借りれば生活世界という物語を生きる。あるいは社会制度という物語を生きる。資本主義という、あるいはマルキシズムという物語を生き、出世という物語を生き、金儲けという物語を生き、各人生に固有の記憶内容が固有の物語を提供する(と少なくとも思っている)。例えば過去を想起して、後悔することもあるが、実際のところ、様々な過去の思い出という奴が私たちの人生を作品化する。過去における自分の衝動的な行動の方が振り返ってみると、どこか必然的であったと思えるような部分も我々にはある。つまり過去は全ての衝動を必然化するのである。
 社会制度に随順して生きるということは文化や伝統を物語、つまりフィクションとして受け入れ生きることである。これは勝者にも敗者にも言えることである。
 つまり私たちは人生の転機であると言いながら、そう判断することで人生という物語を生きる。いじめられていると自らを感じ、不登校をし、引きこもりそういう生き方を仕方なくしていても、そういう風に理解しつつ仕方ないという物語を生きる。進化論生物学者たちは個体を主とした自然選択による進化という物語を生きるし、古生物学者たちは断続平衡説という物語を生きる。それ以外にも我々は初詣、収支決算、決算報告;旅行の日程、株主総会、盆踊り、忘年会、CMとニュースとが挿入されるテレビ番組とマスコミという物語を生きる。入学式、始業式、卒業式という物語を生きる。聖書や仏典やクルアーンといった宗教聖典という物語を生きる。それら全ては実はそういう生き方を制度的に共有し合う言語ゲームによってなのだ。
 しかしそのように物語の渦中にいると常に考えて生きることは一面ではかなりしんどいことである。だから本当は一人一人が異なった物語を常に生きているのだから、小説家など要らない筈なのに、プロの作家たちの書いた小説を有難く読み進める。それは自らの物語があまりにも平凡であるから小説を読みたくなるのではなく、自分が常に物語の主人公であるということのストレスを忘れ去りたいという欲求からそれを読むのだ。「本当の物語」はプロの作家に任せておけばよいという代理感情が支配しているのだ。しかしそれは自然を虚構化し、言語という幻想を生きる我々が一時たりとも自分の物語を外れて生きることが出来ないという事実に対する直視を逃避した「本当の物語」という幻想以外のものではない。また民間であれ公的機関であれ、責任ある地位の人間は全ての社会成員が実は自分の物語が本当に「本当の物語」であるということに目覚めれば、革命や暴動が頻発することにも繋がるし、それは管理上困ることになるので、代理実践者として文学者とかアーティストという呼称を設けて彼らに個々の願望を解消させているのだ。
 聴くということは実は言語行為でも自然に接している時でも常に我々は実行している。しかしそれを情動そのものに浸りきりたいということで聴くということとなると、音楽以外にはない。音楽もまた個々の物語の主人公であることを一時忘れたい欲求が受動的に音楽が作る流れに身を任せるということによって成立している。
 ミシェル・アンリの著作に「共産主義から資本主義へ」というのがあるが、現代の金融経済危機という世界規模のクライシスは実は、かつて共産主義が崩壊した時期の世相とよく似ていると私はこのテクストを読み進めながら感じた。そしていつしか歴史というものそのものも時間に対する我々の自然の虚構化、つまり物語化以外のものではなく、それは受動的音楽の流れに身を任せることに近いものではないかと思っていた。つまり歴史は繰り返す、とそう感じる(実際はそうではない)ことそのものが、かつて聴いた音楽とよく似たフレーズを昨今流行っている音楽のメロディーラインから読み取るということに近いと思ったのである。
 過去は全ての衝動を必然化する、と私は言った。しかし実際過去という実体がどこかに存在しているわけではない。それは記憶がそうでっち上げているだけのことであり、私たちは想起され得るものと、記録によって確かめられるものを過去と呼んでいるだけである。すると「過去にあったこと」という捉え方そのものによって過去に私によって発せられた衝動や気分を何故か必然的であるように思えるということは、私自身が私の人生全体を記憶や同一性に対する信仰によって把握することが可能であるからに過ぎない。それは「自分は自分以外のものにはなれないのだ」という諦念に近い心理からの想念かも知れない。
 しかし私は恐らく死の瞬間まで「自分は自分以外のものにはなれない」と思いつつも、今の自分ではないもう一つの自分を追い求めていくだろう。これは私たちが日頃から常に心においては原因と結果が一致しないという感じを私が持っているからである。こう思ったからああしたではなく、そう思ったけれどもああしたということの方が多いというのが人生だし、何か決意したことも予定して決意したわけではない。それなのにいざ決意してしまえば、もっと前からそうする積もりだったとそう思うのである。
 音楽を聴くということは、既に作曲された楽曲演奏でもジャズのような即興であっても、既に演奏家の脳内には「今日はこんな感じで演奏する」という意志が粗方決定されていることそのものを受容しているわけだが、その流れに身を任せるということは、しかし「自分以外の身体的な律動」に身を委ねることになる。聴くということは、現在時の音を瞬間的に把握しているのではなく、もっと全体的な流れ、それはさっき始まった音の出だしということから今まで続いている音の流れ全体を把握する、要するに過去になりきらない過去の音の痕跡と共に今の音を聴いているということで、これは発声者、つまり話者、つまり語る者の言葉を聴くことと殆ど原理的には同じことである。しかし音楽は言葉が意味の理解に全神経が供せられているのに対し、もっと情動的なリラクゼーションと、情感的な想像、あるいは感情的な物語的進行そのものを楽しむために我々は聴いている。
 論理とは聴覚的なものであると養老孟司氏は「脳のシワ」という本で述べておられるが、まさに音を聴くように論理とは、その理の展開の中にある理屈自体を把握するのに親しみやすい物語の構造を把握するかのように理解するものである。しかし音楽は論理的な意味での理解しやすさだけではない。論理が理解しやすさと明快さ以外のものを排除しているのに対して、音楽は言葉では明快に示し得ないような感情を表現することが可能だからだ。
 第一発声者は恐らく獲物とか自然災害に面した人類が何らかの行動を促進するためにある成員が発声して、その時に相互に受信した者との間で表情を確認し合ったということに発するだろうから、その意思疎通の相互存在感確認という意味では音楽以上の情動と情感が伴われていたかも知れないが、やがて音声=意味ということになると、途端に意味了解の本質以外のものを排除して、例えば現代のビジネスマンが犇めき合う満員電車の中で作る無表情のように理解しやすさと明快さ以外のものを排除しているということが意志伝達の際にさえ顕在化してきたことを考えると、原始的な心の律動にもう一度立ち返るということが音楽に私たちが求めてきていることかも知れない。
 それは恐らく最初に何か声を出して唸ったりした時、第一発声者によって既に音楽が行われており、その発声が言語行為として定着していったことによって、逆に、言語行為が意味と音声の連携プレーになった段で、それとは違う形での意思疎通、しかもそれは陶酔と共鳴と他者相互の合一といったことだけが目的の発声になった時、彼らが第一声楽履行者となったり、あるいは最初に仕留めた獲物を包む籠や運ぶための棒などを叩いたり、日引っ掻いたりした時に音が出て、それを規則的に行うとか、要するにそこにリズムを発見したりした時、そのリズムを一旦は中止していたその者に別のもう一人が楽しいから止めるな、もう一度やれというように目配せして催促したのかも知れない。これは第一打楽器演奏者と第一打楽器演奏鑑賞者の誕生の瞬間である。
 時代は更に経過し、そこではメロディーが既に出来上がっていた。そして第一コード発見者がいた筈だ。いやその前に長短の調を発見した者もいた筈だ。そしてあるコードから別のもう一つのコードへと移行すること、それに二つ以上に恐らくもっと早く違うリズムを重ね合わせること(ポリリズム)、あるいは一つの曲に二つ以上のリズムを変則的に繋げることを最初にした人物がいたわけである。
 しかし意味論的には、と言うより感情表現的にはあるコードから別のコードへと移行することそれ自体に内在する感情の変化に対して気づいたということが、その発見者並びに、その発見者の周囲にいた者の功績である。
 音楽はある意味では現代社会では既に形骸化したコミュニケーションに対する批判体、あるいは警鐘として存在しているようにみえる。しかしそのことは本来音楽が形式的な言語行為外的に発展したのではないかという思いを抱く時には妙に現代社会の状況とは無縁に説得力を持つ。いや音楽こそが寧ろ最初は言語行為以前に定着していて、そのシステムを言語行為の方が模倣して発展進化したという風にも考えられる。
 絵画の場合、それらを鑑賞することが好きな人にとって有名であるとか、名画であるとか、権威づけられたレッテルというものを極度に警戒し、信用しないタイプの人々というのも大勢いる。そのことを考え合わせれば、音楽こそ最初は最も無名性のものだったのかも知れない。デザインは無名性のものである。アファール猿人と呼ばれる人たちは、その斧に奇妙な細工をしていたらしいが、その細工それ自体は何ら斧そのものの目的とは無縁のものであったらしい。つまりいい細工を施された斧を持った男が女から尊ばれたのではないかというのが人類学者の考えているところらしい。それは要するに孔雀の羽がかつては異性を惹きつける道具だったということ(現在の孔雀では発する音声こそが異性を惹きつけると考えられている)と相通じることかも知れない。すると音楽にもそのようなこと、つまり社会生物学者たちが想念してきたような意味で、異性を惹きつける戦略として作用してきた歴史が横たわっているのかも知れない。
 しかし異性を惹きつけることに音楽が供せられるということの前にまず聴くことに対して熱狂する、あるいは陶酔するということに対する感知ということがなされていなくてはならないだろう。本章では聴くことを主眼としているのだし、そこら辺のことについて考えてみよう。
 
 最も基本的なこととして何故私たちは音楽を聴くことを必要としているかということだが、それにはどこか時間という観念に関係があるのではないかと以前から私は考えてきた。
 宗教では永遠ということを考える余地が人間に生じているが、何故永遠ということが想念されるかと言うと、恐らく人類発祥の頃から他者の死という現実があったからだと私には思えるのだ。つまり誰一人として死んだ者と再び生きていて会うことが出来ないということだけは言語行為が定着していない頃から人間の最も基本的な既知の事項だったのではないだろうか?そうすると、自分が死んだらまた会えるのかも知れないとそう我々の祖先は考えた。しかしそれを生きている内に確かめることが出来ない。つまりそれが生きているということなのである。つまり生ということの側から考えればどんなに想像を逞しくしても、一切そういうことは了解し得ない。それは永遠の謎であり、そこに永遠という考えが提出されることとなる。
 しかし時とは常にどんどん過ぎてゆき、朝は昼になり、昼は夜になる。そして幼子は成長し、老人は死ぬ。この死という生へと引き返すことの不可能な現実の前で哀惜の念が過ぎ去ってゆく者全般、そこには時間そのものも含まれるが、それに対して発生し鎮魂の情が生じる余地が生まれる。そしてその思いを発声によって示したものが「歌」だったのだ。
 音楽には切ないところがある。それがどんなに楽しい曲であれ、もの哀しいのは何故かと言えば、一切の音楽は終了するからである。そうかつて偉大な作曲家が言ったが、それは正しい。どんな長さの曲でも、それはまるで個々の人生のようではないか?
 過ぎ去っていくあの時の「今」、そして今の「今」。そして愛したあの人、この人。ごく単純な歌や演奏は、恐らく文字の発明以前に既に登場していたのではないか?
 人々を一箇所に集めることの出来たシンボルはアートであり、建築だっただろう。シンボリックな建造物や、モニュメンタルな塔や壁画の前で人々は踊り酒を飲んだ。歌はそこで歌われた可能性もあるし、誰かその中でも特に声の響きのいい者が朗読するような調子で歌を歌っただろう。ここに人類最初のコンサートがあった筈だ。例えば葬礼のような時に。この頃はまだ詩の朗読と歌の差などなかったかも知れない。そこに多少の違いが生じたのは、文字の発明だったかも知れない。文字の発明がより意味内容ということに比重をかけた表現と、原始的な唸りの差を生じさせたというわけである。表現の分化である。
 私は以前「死者と瞑想」<ブロガーの別ブログ「死者/記憶/責任」に掲載。>という論文において、ある親しい人との死別とは、私を知るその人しか知らない私(の顔、表情、気持ち、性格)への別れであると考えた<この考えは当ブログの「トラフィック・モメント」第九章 書くことの起源と葬列の順位 でも示している。>その人の前で示す私は他の人の前で示す私とは明らかに違い、その人と接する時にしか示さない私というものは、その人の死と共に永遠に別れを告げねばならない。この考えは今でも変わっていないどころか益々強まっている。私は17年前に父と死別したが、その時父親にとっての息子という私(の顔、表情、気持ち、性格)と別れを告げた。
 つまり愛する人、親しい人、好きな人、いや嫌いな人との別れすら、その人しか知らない私との別れ以外のものではない。「歌」の基本はそのことに対する了解であり、それを聴くことは過ぎ去る「今」と別れた人々への追想という意味合いがあったのではないだろか?追想してその思いを燃焼させることで再び明日を迎える、その気持ちの切り換えのためにも歌は必要だったのだ。それは小さな祭りでもあったのだろう。祭りは終わると、固有の空しさが付き纏う。まさに「宴の後」である。それと似たものは全ての音楽にもまとわりついている。音楽を聴いた後と前では明らかに気分が異なっている。
 何故歌を聴くこととは切ないのだろう?それは野暮な問いかも知れない。何故ならそれは生きていくということそれ自体が途轍もなく切ないことだからである。音楽を聴くことは母の胎盤に私たちがいた頃からその心臓の鼓動と、呼吸の度に揺さぶられる振動を感知していた時の記憶を呼び覚ますことなのだ。つまりそれは、生きているということが死から誕生し、再び死へと還ってゆくという私たちの運命を暗示しているようにさえ思える。つまり死という故郷に対する郷愁の念と、死者を送り出すということ、そしてその死者とは自分たちが生きている内には会えず、その者と死んだら会えるかもしれなくても、それを知ることは永遠に出来ない、何故なら死んだら「今」が繰り返し「かつて」になっていくことを知り続けて生きているということではない永遠の今であり永遠の過去なのだから、永遠に知り得ない謎であるという気持ちが一体化して自然と出された唸り声が歌となったのだ。そして、歌と合わせて身体を揺する、眼を閉じて陶酔するということが、狩猟の成功を祈り、狩猟の成功の喜びを分かち合うということから身体を唸り声を上げ、ものを叩き、身体を揺するということの習慣と結びついて、いつの間にか私たちは「そうであって欲しい」とか「嬉しい」とか「もの哀しい」という気持ちの意味を、意味として了解していき、その時言葉を発するということ、言葉を発して他者と自己の存在の意味を認め、そして絵を前に孤独に想念することを学び、文字を通してその文字を記した他者と一対一の対話を孤独にするということと音楽を気持ちの切り換えに利用することを習慣化していったのかも知れない。(了)

参考文献

 ウィルヘルム・フリードリッヒ・ヘーゲル「法の哲学Ⅰ」(藤野渉・赤沢正敏訳、中公クラシックス)
 エトムント・フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」(細谷恒夫・木田元訳、中央公論新社刊)
 ジャン・ポール・サルトル「存在と無」(松浪信三郎訳、人文書院刊)
 モーリス・メルロ・ポンティー「言語の現象学」(木田元・滝浦静雄・竹内芳郎訳、みすず書房刊)
 デズモンド・モリス「裸のサル」(日高敏隆訳、河出書房新社刊)
 ミシェル・アンリ「共産主義から資本主義へ」(野村直正訳、法政大学出版局刊)
 ナイルズ・エルドリッジ「ウルトラ・ダーウィニストたちへ」(新妻昭夫訳、シュプリンガー・フェアクラーク東京刊)
 ニコラス・ハンフリー「喪失と獲得」(垂水雄二訳、紀伊国屋書店刊)
 大森荘蔵「時は流れず」(青土社刊)
 各務浩司「死者と瞑想」(私の以前の論文)<ブロガーの別ブログ「死者/記憶/責任」にて掲載。>

 付記 これで「書き・読み、語る・描き、見る・聴く<言葉・絵・音楽>」は終わります。次回からは「言語の幻想とその力」を掲載更新致します。次の論文の方がこの論文よりはかなり長く続きます。しかし数日休暇を頂きます。(河口ミカル) 

Sunday, November 8, 2009

書き、読み、語る・描き、見る・聴く(言葉・絵・音楽)<存在と意味第二弾>第二章 描き、見る

 現代社会では作家という職業は殆ど一部の人たちに限られていて、文章というものはコピーしたものを知り合いに読んで貰うということなら容易に出来ることだが、権威ある人の眼にとまるかどうかということになると至難の技である。
 その点絵画というものは少し事情が違う。要するに絵画というものは、殆どそれを売って食っていくだけの力量とチャンスに恵まれた人というのは限られるが、同時にさほど有名ではなくてもほどほどの発行部数を誇る作家や評論家ほども一般の人には名が知られていない。つまり超一流であると国際的名声を勝ち取っているアーティストたちにしても、その作品を直に鑑賞することをする人たちというのが既にかなり限られている。つまり作家とか評論家といった立場の人たちは、本と、印刷物の発行による流通というシステムの中で知名度があるからこそ、その中でも一部絵画の世界の人もいるが、出版界でいくら知名度があるからと言って、あるいはテレビなどに頻繁に登場するからと言って、プロフェッショナルなアートディーラーの眼にとまるとか、流通しているとかということはまた一切別の基準なのだ。本当にプロのディーラーやコレクターに人気のあるアーティストというのは一般社会的な意味ではごく一部を除いて殆ど無名である。またそれは絵画という作品形式が、印刷物とかコピーによってそのよさが了解出来る文章とは違うというところにも起因している。
 作品というのは世界で一つしかなく、どんなにメディアで露出していても、それは作品に対する宣伝とかコピーだけであって、作品自体ではない。
 さて私は文章を書く以前に既に絵を描くことを幼い頃からしていた。勿論最初の私の絵の鑑賞者は幼い私自身だったように思う。尤も私の父が絵心のある人間だったことも手伝って父は幼い私が描いた絵を喜んで見ていた記憶はある。
 しかしまず私は基本的に私自身が鑑賞するために絵を描いていた気がする。しかし何らかのきっかけで私の両親がそれらを発見し、そこに私の絵に対する他者の視線というものが加わったように記憶している。その点では文章を書く行為と絵を描く行為は、何ら変わりないものであろう。絵もまた描いた絵を自分だけが気に入ってそれを室内に飾るということはあり得ることだし、他者の視線を得て、他者による評定というものが気になりだすということも文章を書くことと何の変わりもない。
 その頃はしかしまだ私は芸術とかそういう意識など殆ど希薄であったと思う。そもそも芸術という語彙を知ったのは絵を描き始めた頃よりずっと後であった。寧ろ関心は絵本や漫画の方にあったのであり、私より芸術という語彙を先に知っていた生徒が小学校にいたりすると、羨望の眼差しで見ていた気さえする。その生徒は要するに私よりも先に社会の制度という現実を知っていたのだろう。
 つまり私たちはまず学問とかそういう権威的な意識を得る前に、話せるようになり、読み書きを覚え、絵を描くということを楽しみとして知る。それは権威とは無縁のプリミティヴな感性の仕業だったのだ。
 しかし小学校の高学年になっていくと、そして中学校に入学する頃には私たちはいっぱしに遠近法とかそういう語彙さえ習得していく。私は大学に入学するまでは殆ど図画工作と美術は学校でもトップクラスだったように思う。
 しかしそれはある意味では私自身が先生に褒められる絵というもののこつをもいつの間にか習得していたことも手伝っていただろう。そのことの抵抗として高校に入学してから美術部に入部し、二年生の時に部長となり、やがて美大受験というものを意識したデッサンをするようになっていった。しかし私の入学した鎌倉にある私立校は、先進的な意識の先生も多く、文化祭でモニュメントを作ることを部活動では盛んにしていたので、私は鎌倉の海岸に落ちている空き缶を拾い、それを繋げてモニュメントを作るという私のアイデアに他の部員たちが賛同し、スフィンクスを象った作品を文化祭の際に校門の前に設えることを率先してやった。すると大勢の文化祭の見学者たちだけでなく、地方の新聞から全国版の新聞の記者が訪れ、とうとう夕方のニュースショーにまで取り上げられた。そのモニュメントは出来もよかったので、学園祭終了後には、材木座海岸に暫く設置されて人々の目を楽しませた。そして五大新聞のコラム(私の名前を紹介してくれた新聞もあった)や、五大週刊誌のグラビアにカラー、白黒で写真が掲載され、やがて海外でも私の高校のしたことに刺激され、特にヨーロッパでもそのスタイルの模倣が広がっていき海外の新聞でも紹介されたことは嬉しかった。つまり私たちのした空き缶アートというのは一種のブームにもなっていったようである。
 しかしある意味ではそういう風に作品を発表するということと、作った作品を何らかの形でメディアに宣伝したりすることの比重において、後者が優先されていくと、次第にうけるために作品を作るという意識になっていってしまう。これはあらゆる仕事における陥穽である。作家だけでなく画家も、他の全ての表現とか作品を提示する職業の人たちは、学者でもそうだが、勿論科学者の夢はノーベル賞を取ることだろうし、映画監督とかアクターたちの夢はアカデミー賞とかカンヌ国際映画際とかブルーリボン賞で賞を取ることだろうが、それはあくまで仕事をするための起爆剤であり、それ以上にそういうことと関係なく研究に没頭したり、作品作りに参加したりすることの方が常に大事なのであり、勿論現代社会で求められているものを模索するという意識は重要であるが、それが評価されることを期待するためだけになされるということは本末転倒である。
 一面では空き缶の仕事に対する世間一般のものの見方はマスコミによって誘導されたのだ。私が最初に思いついたのはただ廃物利用ということと、リサイクル(アイロニーとしての)ということだったし、観光地に観光客が捨てていくアンモラルに対しての批判という意識も私にはあったけれど、それをマスコミが話題化すると、モニュメントは見世物となった。別にそれはそれでいい。しかしそれはニュースの送り手の意識が話題を作るために、「話題に乗せるために作る」という意識を作家たちに発生させる。しかしそれは本末転倒であり、そういう一発当て屋たちが我も我もと発表すると、一見ムーヴメントのように見えるが、それはただのブームなのだ。そのブームをマスコミが便乗して報道してニュースと視聴率を作る。
 それは貸し画廊で発表するアマチュア画家たちが作り出す幻想(今のブーム)を利用してアートディーラーがそれを象徴するプロ作家をでっちあげるのに利用する狭い社会現象である。アンデパンダンで「アマチュア精神を売り物のプロ」がディーラーとキュレーターによって生み出されるのだ。矛盾!それは「作ったから発表する」というよりも「発表するために作る」という本末転倒を作り出す。(金メダル獲得後の石井慧の話題とかと似ている。)
 そうなると作品同士の競争ではなく、作品を発表する者同士の付き合いか、似非ブーマーのプロの乱立になる。ディーラーが価格を設定、来歴に来歴を積み重ね価格が上昇してもアーティストには何の関係もないのだ。その際クリティックが名声を煽り立てる。キュレーターはそれを権威付けるのだ。美術館へ島流し。
 哲学ではそういうの遡及的因果関係と言って、結果が原因を作るということでウリクトとかが「説明と理解」といったテクストで示している。

 ところでそういった文化祭で活躍するということと、美大受験に合格するということは全く別の能力である。私は結局二浪の末ある私立大学の人文学部の芸術学科というところに入学し、四年で卒業したが、卒業した後がかなり波乱万丈の人生だった。
 しかしこの章で私が述べたいことは、そういうことではない。要するにアーティストという職業とか社会的意識、あるいはアートとか美術(この言葉は日本にしかない。しかも美術にはアートとかアールとかクンストハーレといった英語、仏語、独語などが通常ファインアートしか含んでいないのに、この言葉には伝統工芸やデザインなども含まれている。)という文化とか制度というものと、その制度を作る我々とのことである。
 そもそもある絵を見て気に入るということそれ自体は、誰それにいいと言われたからそういう気持ちになるということとは無縁のことである。例えば教科書に載っていたから、その絵が素晴らしいのだろうというのは学芸員になろうと思っている人とか、美術の専門家になりたいと思っている人にとってはある程度当然のことであるが、少なくともそれ以外の人々にとってそういう見方は通常のものではない。教養としてある寺院の宝物に眼がゆくということのようにも絵に対して一般庶民が接しているようには少なくとも私の目には映らない。
 そのことは、ある意味ではどんな権威者がこれこそが素晴らしいと思っても、自分の感性ではこちらの作品の方に惹かれるという意識だけがわざわざ美術館で高い入場料を支払い絵画を鑑賞するモティヴェーションなのである。
 しかもこれこれこういう傾向の絵画が好きだということさえ、実は概して成り立たない。つまりシュールレアリスムの絵画の中でもこれは好きだが、これはあまり好きになれないというような、フランドル絵画でも、バルビゾン派のものでも、印象派でも、キュビスムでもフォービスムでも、あるいは一人の画家、例えばレンブラントでもセザンヌでもこれは好きだが、これはあまり好きではないという判断しか成り立たない。それは何故だろうか?
 私は高校生の時に美術部の顧問の先生が力にある方で、丸木先生のお宅とか、高田博厚先生のお宅とかにお邪魔したこともあったが、顧問の先生とは関係なく当時一大ブームを巻き起こしつつあった池田満寿夫氏にも会いに行ったことがある。その時氏に私は「高校生で美大受験を目指している者なのですが、何か一言仰って頂けませんか?」と尋ねたところ、氏は、「好きなことをやる、そして習っている先生に小さな影響を受けないようにね」と言って下さったことが印象に残っている。氏はその後芥川賞を受賞し、映画制作、恋愛と話題を振りまき、1997年に死去するまで第一線で活躍された。
 私は氏の小説も好きだった。マルチアーティストという呼び方が定着したことの功労者でもあったのが氏である。それ以外では安部公房氏や荒木経惟氏、糸井重里氏などがこの範疇で語られてきているし、北野武氏もまさにそうであろう。
 問題なのは池田氏が私に言って下さった一言である。習っている先生に小さな影響を受けないでいるということは、社会が制度として私たちに教養とか教育という名で囁きかけてくる一切を雑音として処理するくらいの持ち前の反体制的感性とでも言うべきものがアーティストには必要であるということである。その意味では岡本太郎氏も、棟方志功氏も皆反逆者でもあった。しかし彼らは皆同時に日本の伝統美ということにも拘った気がする。
 しかしそれは制度としてアートというものが一方であり、それに対して制度に随順するのではなく作り変えるという意気込みとしてある感性と、アートに対する意志の問題である。だからそれは政治家や起業家に求められているものと同じような要するにプロ的な見識の問題である。そういう意味では私がかかわった高校美術部での空き缶アートもまた、私は社会におけるアートの位置づけに対して批判してはみたものの、今になって思い出してみると何らかの形で発表という形式(画家が貸し画廊で自腹を切って個展をしたり、ディーラーと組んで企画画廊で個展をしたりといったことから、絵画を商品として取り扱うこと)とか、社会における現代アート(そもそも画廊のシステムに対する抵抗から育まれた歴史的経緯がある)の地位とかそういう意識が当時皆無であったとは言えない。
 しかし本章で問題にしたいのは、もっと人間に基本的なこととしての、絵を描くとはどういうことかとか、絵を前にして佇むということは一体どういうことなのかということなのである。しかも先にも述べたが、それは制度外的な感性、つまり市場価値とかそういう価値基準で見るのはアートディーラーなどビジネスマンたちの立場であり、鑑賞者とか、絵画を投機の対象とするようなタイプのコレクター以外の人たちにとって絵画とかアート全般はあくまで個人の感性の問題である。ではこの個人の感性とは一体どういうものなのだろうか?
 それは端的にある絵に対しては、ある作品に対しては共感し得るも、別のある絵や作品に対してはそういう気持ちになれないということに尽きる。そしてそれは専門家筋の見解ともずれ込むことも多い。それは好きなタイプの小説とか、好きなタイプの映画とか音楽とも大いに通じるところがある。今これこれこういう風なタイプの映画が流行っていると言われるが、私は頑迷に全く異なったタイプのこういう映画が好きだということでも象徴されるように、それらの選択眼というものは、その人間の日常的な人間関係とか、仕事の態度とか、仕事の時間以外の過ごし方とか、要するに全くその人に固有の生活や時間の使い方に大いに関係がある。それは要するに人生に対する思想が形作るとも言えるのだ。
 しかしその人固有だからと言って、似たようなタイプの他人というものは、多く世間では存在する。そしてそういった他人の中でも何人かは波長が合う仲間として話相手となったり、一緒に旅行する相手となったりすることだろう。つまりそこにも共感という作用が密接にかかわっている。そして大勢としてはこれこれこう言われているが、私は断じて別の仕方で仕事以外の時間を過ごすとか、旅行をするとか、要するに私たちは、そのようにどこか世間一般と外れていることを自分の生活上で発見すると、そのことに賛同してくれる仲間に自慢したくなるものだ。しかもその趣味があまり体裁がよくなかったり途轍もなく悪趣味でもなかったりしない限り、つまり自分でも我ながら教養と学識に裏打ちされていると自負している場合には、益々他一般の仕方を軽蔑し、その自分にとって優位に思われる仕方を採用することに固執し、その固執に共感し得る仲間が切実なものとなっていく。
 ここには幾分社会制度にささやかながら抵抗する意図というギャンブル的感性というものも介在している。アートとは少なくとも法ではない。それは法に従順である人間ですら感性で接することを望むものだ。科学と宗教との協調が美術史には介在しているが、少なくとも遠近法確立以前的には視覚芸術の秩序化はされていなかったから、現代アートと中世美術との境界はスタイルとそれを受容する一般鑑賞者の間にはあまり明確なものではない。勿論作られたモティヴェーションは全く違うと言ってもよいのに、ではそういったモティヴェーションに対する意識もツアイトガイスト(時代精神)によって誘引されているのだとしたら、一体本当にアーティストに自由など存在するのだろうか?
 しかしそれを敏感に感じ取っているのが鑑賞者たちなのである。
 つまり一枚の絵というものの私たちにとっての存在理由というものも、実は常に世間一般の価値観に対して自己の価値観というものを構築する欲求と関係があると言えそうではないだろうか?
 恐らく幼児が絵を描く時アートとかそういう意識はない。しかもそのように無心で描くことの価値に目覚めるのは、あくまで制度としてのアートとか、美術史ということを知識として知った後のことである。このこともまた極めて重要である。しかしそのことに目覚めた段階では既に私たちは巧く描こうとか質感とか、実在感とか、要するにアートの教養レヴェルの技巧とか鑑識眼に毒されているのだ。つまり失った後に初めて知る価値という奴なのである。
 つまり別に職業ではなくても、文章の巧い人というのはいるし、絵の得意な人というのもいる。しかし少なくとも多くのプロフェッショナルたちが過去から現在まで無数の仕事をしてきたその歴史において、文学とかアートというのも成立している。どんな日曜科学者でもガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートンのことを知っている。それと同じようにプロフェッショナルという意識にある人たちや、そのようにその時代でも、後世からも評価されている人たちは、少なくとも幼児が絵を描くその楽しさと無邪気さとは一体何なのかということに対する哲学的洞察においては皆優れていただろうと思う。つまりその問いかけそれ自体の真剣さそのものが作品を伴って美術史に残っているわけである。
 ならば制度に対する抵抗という精神的な図式もまた、制度とは一体何なのかという問いかけに他ならない。私は前章において意味とは自‐他という関係そのものが作り、そういった関係が存在するということと、その存在に対する確認こそが意味であると言った。そういう意味では制度と制度に抵抗するということは一対のものであるし、プロフェッショナルということとアマチュアリズムということも一対のものである。
 世の中のロックシーンというものを作っているのは、プロフェッショナルと彼らに対するCDの購買層であるファンたちばかりではなく、親父バンドのような要するにアマチュアたちもまた、彼らと共に作ってきているものなのだ。そういう意味では私は生活のたしにするために売った絵もあったし、空き缶アートのような売るために作品を描くということに対する抵抗的な行為も多くしてきたが、それは今年亡くなられた偉大な漫画家である赤塚不二夫氏が、ギャグということや、笑いという要素を追求していくことが、食うためである職業という意識からだけではなく、要するに生き方なのであるという哲学から、ギャグや笑いを追求していくと、次第に死というものの影がちらついてくるというような感覚はどこか理解出来る気がしたのである。
 デズモンド・モリスはロックバンドなどが現代で受けていることの理由の一つとして胎盤にいた頃から我々が母親の心臓の音を聞いていたということと関連付けているが、そのことと、絵を描くことというのはどう関係があるのだろうか?そこまで追求すると脳科学者による視覚野と聴覚野、あるいは側頭葉による言語的認識とか、要するにそこから考えていかなくてはならなくなる。しかし少なくともそちらの専門家ではない私でもある程度推測出来ることとは、何らかの原風景(私が言うのは、赤ん坊の時に最初に目に飛び込んできたものや、もっとそれ以前のまだ目が開いていない時の瞼が閉じた状態での原視覚)というものがどの画家にもあるように、幼児にもあるということである。しかも私たちの体内には古代の人類や、それ以前のエポックにおける我々人類の祖先のDNAもあるわけである。つまりかつて洞窟で壁画を描いていた人々も、何らかの形で第一絵画発明者と、その者以外の第二絵画鑑賞者(作者以外の第一鑑賞者)が存在したわけである。そしてその二者の存在が絵画を成立させたということは前章での文字や文書と同じである。規約とか、制度として定着する以前には、文字や文書同様、絵もまた起源的な自‐他の関係があった筈である。
 哲学では絵画を一種の記号であるとする考えから、言語の一つであるする考え、あるいは通常の言語とは全く性格の異なったものであるとする見方が錯綜していて、そこら辺はメルロ・ポンティーでさえそう明確に定義づけているようには思えない。
 しかしそれ以上に本章で問題となることとは、私たちは言語を既に通常、第一発声者や第二発声者たちのようには把握していないということである。つまりあらゆる社会機能維持のための言語活動そのものが、制度的な呪縛、端的には社会的地位や、社会階層や職業という社会機能維持という目的のために手段化されているということと、そのことに対する一服の清涼剤として絵画というアートを鑑賞するというスタンスが制度的な駒の一つとして定着しているような気が私にはするのである。そこでこの社会制度的な意味での言語と絵画とかアートとの関係ということに絞って残りの紙面では考えてみたい。
 とは言ってもそう深刻に考えようと言うのではない。もっと日常的なこととしてなのだ。社会制度とはあらゆる存在者を社会的地位という形で呪縛する。自己欺瞞という虚妄的な物語を受容して生きるのが、社会人の姿だ。つまりある大地主とか、政治家とか、寺院の大僧正とか、そういった人たちは土地の管理とか、その土地を巡る地元や政財界の人々との繋がりと、絆を守るために奔走し、ゆっくりと秋の空や紅葉を見て回る暇などない。しかし私のように暇な人間にとって秩父に行った時椋神社(秩父事件の徒の結集した地として高名である。)まで歩いたその日は小春日和で、快晴だったので心地いい日差しの秋の空と美しい紅葉が私を包んだ。それはつい最近神川町の城峯公園から、神流湖畔を歩いていた午後もそうだった。しかしその素晴らしい色彩に包まれた午後、私以外その時間には誰も歩いていなかった。つまり200X年の11月X日の午後はここ二三年ずっと私がその風景たちを独占していたのだ。これはあらゆる制度的な社会的地位という規制の物語を生き、それを運命と諦めている人たちよりは一層幸福であるとその時思った。と言うのも私たちは広い土地の所有者にはなれないものの、素晴らしい景色、素晴らしい自然の光景を眼にすることだけは一切自由である。これはある意味で牢獄に繋がれた過去の政治犯たちが、薄明かりの中で僅かに天井に近い辺りに設えられた明かり取りからだけ光が零れ落ちるその牢獄内で、その牢獄の周囲に広がる田園や森を想像するしかないような状況でさえ、彼らはその光景を想像することと、僅かな光が差し込むその牢獄内の光景を知覚し、その内部の視覚像を、様々な角度から全く異なったような空間として認識することの自由だけはどんな時の権力者も剥奪することさえ出来ない(私は近藤勇と土方歳三が今生の別れとなって流山の建物に行ったことがあるが、この建造物もまさに上部にだけ光を取る小さな窓が僅かに開いているそんな作りだった。ここで二人は隠れていたのだ。)ことにも繋がるが、つまりそれよりは、ずっと最初から自由である我々は、自然の光景全体をいつでも見て楽しむことが出来、その山や寺社、公園を土地所有することは出来ないにしても、それを見ることはそこの土地管理者よりもよりリラックスした気分で出来るということだけは言える。そのリラックスした気分だけが絵画を制作する気分へと持ち込むのだ。
 そういった気分はまさに生きることそのものがアートに接するようなものである。まさに見ることの自由ということは、一方で人々を惹きつける政治的権力(政治家だけの特権ではなく、官僚、経済界でもそうなのであるが)を一切諦めることからしか掴め得ない。
 社会的地位に伴う責任という語彙は、実は社会制度的な意味では管理責任という名で言い換えられる。しかし管理ということの内にはゆっくりとした、ゆったりとした気分で自然の光景に接している暇を与えてはくれない。それは自分に対しても管理する人々に対してもそうなのだ。それは管理ということにおいて、鑑賞するような気持ちでその広大な土地、雄大な自然を眺め入る暇を与えてはくれないのである。これは言語が価値の固定化に直結しているということとも関係がある。
 人間が本質的に自由なのは、社会的地位に伴う説明責任とか管理責任という名における言語による実存者に対する世間的な価値固定化(価値そのものもまた既に実在者の決意において固定化されている)によって行動を制約されることを引き受けてでも経済力とか社会的影響力において自由であるのか(そうすることが出来てもどんな権力も人の心までは支配出来ない)、そういう影響力や地位においては不自由でも知覚や想像において自由であるのかというこの二者択一を迫られているとは言えないだろうか?(そうなると赤ん坊はこの世界で他のどんなタイプの成員たちよりも自由ということも言えることになる。)
 だから少なくともアートにおいて自由であるということは、政治的権力を放棄するということであるよりは、寧ろそれを持つことが出来ないということ、あるいはそれを持つことが比較的自由であったり、能力的に可能であったりすることがその者にアートの自由を得る資格を与えないということではないのか?(これは瀬戸内寂聴氏がテレビの対談で語っていたことでもある)それは端的にアートの創造性というものが社会的責任ということの自由とは定義が違うということも意味しているのだ。
 しかし哲学者は世界を斜交いに見る。これは自由でいることとも少し違う。メルロ・ポンティーの次の言葉がよくそのことを示している。
「哲学はある種の知ではない。哲学は一切の知の源泉を私たちに忘却させまいとする警戒心なのである。」(「言語の現象学」木田元・滝浦静雄・竹内芳郎訳、みすず書房刊、261ページより)
 この謂いをアートにも適用するとこうなる。
「アートはある種の自由ではない。アートは一切の制度の源泉を私たちに忘却させまいとする冒険心なのである。」

Friday, November 6, 2009

書き、読み、語る・描き、見る・聴く(言葉・絵・音楽)<存在と意味 第二弾>第一章 書き、読み、語る(自分の他人化から他人の自分化へ・意味について)

 私は49年と三ヶ月くらい生きていてこの文章を書いている。従って今から十年経った時この文章は丁度十年前に書いた文章ということになるだろう。その時この文章を読む私は過去の自分を他人のように感じながら読むかも知れない。つまりその時の私はあたかも私がかつて書いた文章を「書いた人」の気持ちを汲んで読もうとするだろう。その時この文章に共感するか、疑問に思うかということが、これからの私の生き方にかかっていると言っていいだろう。
 私は文章を書くのが幼い頃から好きだった。しかし最初は何か「お話」、つまりストーリーのあるものの方が好きで、成長するにつれて次第に自分の胸の内にあるものを表現するものの方の分量が増えていった気がする。
 この二つ、つまり「お話」と自分の胸の内にあるものに対する表現とは、「書かれたもの」であるには違いないし、そういう意味では共通性があるのに、幾分かの違いは横たわっているように思う。それは一体何なのか?
 エッセイや自分の考えを述べたものは総じて日記と同じように少なくともフィクションとは違う意識に読む者を向かわせる。それは「あなたも私と同じような意見があるのではないか」とか「あなたも私と同じような気持ちとか考えになることもあるのではないか」というように読む者に語っているように思わせるところがある。
 しかし「お話」とか小説であれ、小噺であれ要するにフィクションというものは少し事情が違う。つまりそこで語られた話はあくまで作者によって構成された作りものであるという了解が読む側にも既に出来上がっていて、その心の構えに対して作者はどんどん次の一手を打ち出してくるので、その際に読む人の日常生活での行動とか考えがどうであるかということはあまり大した問題ではない。そもそも日常にはない形での体験を読む者に与えるような語り口そのものが作りものだからだ。それはどんなに平凡な日常を描いていても、どこか作りもの固有の虚構感というものが付き纏っている。そして私たちは大体この「お話」、つまり物語をエッセイとか評論よりは先に読む習慣を身につける。
 エッセイや評論はそれに対して、書く者が生活してきて今も生活する中で何らかの現実の中から、それを読む者もある意味では書く者とそう変わらず似たような生活状況を持っているということを前提にして、書く者にとっての固有の状況に対する感じ取り方をしていることを告白しつつ、その報告を通して、では読む側はそのことに対してどのような考えを持つかということを問いかけるような仕方で読むように誘い込む。そしてそのことを読む者も読むという時点で皆応じることに同意しているのだ。それは一つの現実内的な設定である。
 しかし小説や戯曲をはじめ全てのフィクションは明らかにそこで提示された全体が「もう一つの現実」つまり私たち自身が実際に生活する現実そのものではなく、その私たちの現実にどういう風な形にせよ、何らかの意味で対峙するように迫るように主張されている。しかしどんなに対峙するにしても、それは必ず本当の現実とは画然として距離が設定されている。だからそれは「もう一つの現実」の設定なのである。
 だから私は自分が書いた小説を再び読み返してみる時と、エッセイや評論を読み返してみる時とではいささか違った印象を常に持つのだ。つまりそれはフィクションの場合、「ここをもっとこうしておけばよくなったのに」という形で読み進むのに対して、エッセイや評論では「これを書いた時にはこういう考えだったのか」とそう受け取って読むということである。
 これは前者が純粋な創作であるのに対し、後者がどこか現実そのものから引き出されたものであり、前者が「もう一つの現実」であるのに対し、後者が「現実の中でのある時の私」であることを意味する。つまり文章を書く時の私を、創作だと現実の時空を超えてそれ自体を一つの世界として対する「操作するという行為」に赴く私、つまり主体的な私であると読む側からそう受け取るが、非創作だと私の中にある他者を見出し、その他者と読む私は対話するそういう気持ちになるのである。それは今の自分と過去の自分という他者同士の対話であるということである。
 これは「書かれたもの」自体が前者だと客体化されており、後者だとどこかそのものに対して「今の自分」の意見を用意してしまいはするが、修正しようという気持ちにはなれないのである。一旦出した意見はそのままにしておこうというわけである。
 哲学では通常他者と呼び、それはただの他人とは意味が違う。他人とは端的に家族とか身内以外の人というニュアンスの言葉である。しかし他者とはそういう分け方ではなく、意思疎通し合える存在者ということを意味するからだと思われる。
 だから私は私の創作に対しては、読み返した時その「書かれたもの」をどうにかしようと思う。と言うのもそれはその世界として閉じた一つの他人のようなものだからである。しかし非創作において私は「書かれたもの」は他者なのであり、私はその他者と語ろうとする。勿論気持ちの上でのことである。
 このことは私以外の他人(あるいは他者)が書いた文章でもこの二つの間にそのような接し方の違いがあるという意味では変わりないように思う。
 しかしもっと重要なこととは、少なくとも自分が書いた文章を読むという行為は、何とかしたいと考える他人であれ(創作の場合)、何か語り合いたいと考える他者であれ(非創作の場合)、自分の中にある非自分性と出会うということを私はいつも自然と欲求している気がするのである。これは私が私自身の既知のものやことに対してある意味では抵抗して、私も知らない私の中にある未知のものやことを探り出したいという欲求と同じことではないかと考えている。
 通常書くという行為は一人でなされるし、読むという行為も基本的にはそうである。(かつて学生時代とかに皆で一つの文章を読んでいたが、あれは特殊な状況である)つまりここら辺が映画館や劇場で、あるいは舞台を前にして通常一人以上の人数で鑑賞することと最も大きく異なる部分である。恐らくことのことが文字にかかわるという人間の行為の本質に迫ることなのではないかと私は考えている。

 私は私を一人の人間として社会人として意識する時、私以外の他人とか他者の存在を前提している。しかし私は四六時中他人や他者と私の時間を、あるいは私の存在する空間を共有しているわけではない。この一人でいる時間・空間ということが文章、つまり「書かれたもの」を読むという行為の基本にはあり、そしてその読む行為を前提として書くということは成立している。この二つのことは文字という記号を通した人間のコミュニケーションの極めて重要な本質である。
 人間は一人でいる時には何らかの意味で、他者と接していた時空間での自分というものを反省している。(ここで言う反省とは、哲学的な意味での反省である)つまり自分一人でいる状況自体が、そうではない自分以外の誰かと共にいるという状況と対になって自覚されているということだ。
 すると我々は自分のことを他人から見たような気持ちになって考えるということは、他人あるいは他者が自分に対して抱いたと自分が考える印象を想像して考えることである。つまりそうしながら自分自身が自分のことを考える時、自分を他人化している。(哲学で言うところの対自<ヘーゲル・サルトルがしきりに言っていた>と言うが)これは一つの客観的な自己内設定である。そして重要なことは、そういう設定は恐らく自分以外の誰でもするであろうとどこかで我々は信じて疑わないことである。
 それは恐らくそうでなかったなら、私は他人を一個の他者として認識し得ないだろうと思うからである。つまりそう信じることによって自分を他人化することが無意味ではないと思うことが出来るわけだ。 
 しかし私たちは自分で書いた文章のことを、その文章を書いた背後の事情と共に誰よりも熟知していることが逆に、「それは所詮私自身のごく限られた経験と主観に基づくものでしかない」という気持ちになり不安となることもある。この時私たちは何らかの意味で対話することが可能な他者の存在を求めている。だからこそ「書かれたもの」を誰かの目に通して貰いたいという欲求を持つのだ。それは何か誰かに相談したくて他者と話す機会を得ようとするのと同じことである。そしてそのことは他者固有の「自分の他人化の仕方」を知りたいという欲求も含まれるだろう。対話とはとどのつまり他者固有の「他人化の仕方」の提示に対する私の仕方との間の突合せのことである。
 文章を書くということは、創作する文章(小説やその他のフィクション)であれ、非創作的文章(エッセイ、評論、論文その他のノンフィクション)であれ、前者の他人のような世界の自由操作性、後者の対他的な対話双方とも、何らかの意味において意図的他人化、つまり自分のことを他人のように見るその見方自体、その観察するような態度のことであり、まず自分に何よりも読ませようすることである。つまり自分で自分を他人のように見るその見方自体を、ある文章を書いた時点よりは未来のある時点の自分が読むように仕向け、あるいは示そうとまず私たちは何かを書く時必ずそのように画策している。デリダが差延と呼んだ概念の内には恐らくこのようなことも含まれていたと私は思う。
 つまり文章というものを一つの記録と捉えると明らかに現在の記録者が未来の記録閲覧者を前提にしていると言える。これは誰も自分以外の人が記録したことを閲覧してくれなくても自分一人だけは最低限例外であるということを知ってそうしている、という意味では、書くことの基本に既に自分の他人化があると言える。何故なら未来の自分にとって過去の自分によって書かれた文章を読むということは、即ち過去の自分を他人化することであるからである。
 人類史的に捉えれば、恐らく文字が文字としての意味を持つに至った瞬間とは、文字を書いた者が、それをその者以外の別の誰かが目に留まるような形でそれを示して、その者の意図がもう一人に伝わるという事実によってであろうと想像される。しかしそれ以前にまずその最初の文字を書いた者が仮に他の誰かによって文字が読まれることがなかったにしても、それを書いた自分だけは例外であるということを知っていたという事実があったことだけは確かではないだろうか?
 つまり最初の文字記録者は、その文字記録の事実が他の誰かによって知られなくても、少なくとも自分だけは例外であるということに対する認知において、自分の他人化ということを図らずも実践していたことを意味する。ここで書くことにおける自分の他人化について明確な定義を与えておこう。

 <書く>自分の他人化=〔<書く>自分(現在の)に対する未来の自分(他人)から見た過去の自分(他人)〕ということの創出、あるいは設定
 
 これを今度は過去の自分の文章を読む今の自分を基準にすると、

 自分の他人化=〔<書いた>自分(過去の)という他人と接する今の自分〕ということの創出、あるいは設定

 すると、今の自分による未来の自分に対する他人化とは、未来の自分による今の自分に対する他人化と等しいということになる。
 
 ∴ 今の自分による未来の自分に対する他人化=未来(その時になってみれば今)の自分による今の自分(その時になってみれば過去)に対する他人化

 しかしここで自分以外の読者を得るとしよう。すると、その他者は端的にその文章を書いた自分による他者の自分化ということになる。その他者が過去の自分の文章をあたかも今の自分が読むように自分の文章を読むわけだからである。
 私たちはあらゆる歴史上の人物も、現今に活躍する人たちの考えも、全て過去の文章を通して知る。それはその文章を書いた人たちにとってみれば、何らかの事実や考えを文章にしてそれを通して私が知ることによって私という他者を自分化することに成功したことを意味しよう。そして私は文章を書く時その成功事例(という事実)を最初は必ず一つだけは知っていたことを意味しよう。
 つまり人類で初めて文字を書いてそれを自分以外の誰かに読ませることに成功をした人その最初の一例を除いて全ての文字記録者は、何らかの意味で過去の成功例を一回は眼にして文字記録に取り掛かったということを意味する。そしてこの例外なき事実は極めて重要である。何故ならそれこそが我々のコミュニケーションにとって最も重要なる本質だからである。だから逆に人類で最初の文字記録者の孤独も恐らくその文字を未来の自分が最初の他者となって読むことだけなら出来るということを知っていて、そのことで自分の孤独を癒していたということは想像されよう。

 しかしそのことは文字に対してなら適用出来ても、発話ということとなるといささか事情が違うかも知れない。と言うのも音声を通して何かを告げることとは、少なくとも文字が発明されてからは、その文字を私たちが音声化しているということとなるが、文字発明以前的には既成の文字を音声的に発するということが出来なかった筈であり、人類で最初の音声発声者とは、まず最低限一人の他者、つまりその発せられる音声を聴いてくれる者というのを必要とした、そしてそういう他者がいたということを意味している。
 そして文字が発明される以前に既にある音声を発し、それを誰かが聞き取るということの内に、意味というものが発生することとなったと考えられる。つまりそれは、音声自体が意味を持つと言うよりは、寧ろ音声を発することで、その発声者の存在をもう一人に誇示するということにおいて意味があるという意味でである。つまりある者が別の者に発声するということそれ自体が、自‐他という関係を構築し、発声される「書かれない文字」そのものが、内的な意味を持っていたということでもある。
 つまり文字がない段階でも既に発声者がそれを聞く側を作るということ自体に「書かれない文字」という想念を文字発明以降の私たちが想像することはたやすいが、そうであるよりは、自‐他の関係そのものが、文字的なものを誘引するような内的な(精神的なと言ってもよい)関係をその者たちに与えたであろうということである。デリダが原エクリチュールと呼んだものとはこのことだったのだろう。
 つまり意味とは、それが文字を通してではなくても、発せられ、それを聞いて貰うということ自体で、発生しているからである。それはそうすることで、内的に意味を持つ。つまり相手に対する自分の存在感の誇示ということによって相手から自分へ向けて何かが発せられるということで自分の存在感に対する相手の容認を確認出来るからだ。それは相互に存在感を示し合うという真意を確認するという下地が出来上がっていることを意味するし、それこそが意味の発生なのである。
 内的に相互の存在を一人になった時にも想起し得るように記憶する、そして相手の存在を存在として理解するということが文字以前的な原エクリチュールであろう。
 つまりここで意味についても定義しておこう。

意味=ある存在者(私)が別の存在者(他者)に音声を発する(文字を示す)ことに対する相互の了解=自分の他人化を通した他者の自分化に対する試みそれ自体の存在感の獲得

 最初の音声発声者の発声事実に対する記憶が次の音声発声者(つまり最初の音声発声者の音声に対する受信者)に介在し、やがて次から次へと音声発声行為は全成員に定着していくだろう。この過程で全ての音声発声者たち(全成員)は人類最初の音声発声者の孤独、つまり自分の他人化のファーストトライアルという認識事実を潜在的には了解していることだろう。これは要するに全音声発声者が人類最初の音声発声者の孤独を発話する際に追体験しているということである。
 私は最初発話を文字記録とは違うとしながらも、結局これをも自分の他人化であるとした。しかしこれは第一発声者が第二発声者を存在として求めるという事実そのものが、第一発声者にとって自分をその第二発声者にとっての他者にするという決断において、これもやはりもう一つの自分の他人化だと理解しているからである。しかしそれは恐らく第一発声者が最初に第二発声者となるべき存在に発声した時には、無自覚でたまたま第二発声者が自分に対して発声し返してきた時点で、初めて明確に行為として自覚されたことなのだろうとも想像されるのだ。
 意味とは要するに、意味を確認し合う最低限の他者を必要とするということから発生する。そして相互の存在確認こそが最初の意味だったのだ。(これは綾小路きみまろの漫談ネタである「あんたー!あんたー!」「何だよあんたあんたってうるさいな、何なんだよ」「ただ呼んでみただけ、返事してくれればそれでいいのよ」にも通じるものである。)
 何故そう考えるかと言うと、それは仮にたった一人だけで勝手に理解していることがあり、それを誰にも告げずにいるということは、それだけで私的言語でしかないからである。(哲学者ウィトゲンシュタインが考えた概念である。)そしてそれは第一文字記録者にも言えることである。
 すると意味発生以前的には無意味な発声のトライアルが偶発的に行われる必要があったということとなる。つまり意味とは第一発声者のこのトライアルを第二発声者が無碍にはしていなかったという事実によってのみ初めて発生したということになる(私たちは第二発声者にも感謝の念を捧げなくてはならない)。
 つまり纏めると、第一発声者にとっての他者が第二発声者となったという事実こそが、あるいはある他人が第二発声者となったが故に第一発声者にとって彼(女)が他者になったという事実こそが発声=意味という発声の意味化を齎したということになるのだ。それは要するに、自分の他人化というファーストトライアルが結果的に特定の他人の自分化という他者創出を齎したことに起因することになるのである。ここで再び定義しておこう。

意味の発生の瞬間=第一発声者の(恐らく)無自覚な自分の他人化が、ある
他人を第二発声者、つまり他者とすることによって、その他人への自分化を齎した瞬間

自分にとっての意味=自分の他人化と他人の自分化との一致=他人の他者化と自分を他者にとって他者とするような自分に対する他者化、つまり自己化の一致

∴ 意味=自分の自己化と他者の自己化とが自分にとってと他者にとって可能となるということ(自分を離れた超越的視点による判断)

 要するに意味とは、自分と他人を自己と他者として認識し得るという事実そのもののことなのである。それは自分や他人を存在論的(レヴェル)で捉えるということなのだ。
 だから書くという行為は既に上の事実を踏襲していることとなる。勿論第一記録者による最初の文字記録において、それは無自覚で偶発的突発的な行為であった可能性も大きいと私は思うのだが。

Sunday, November 1, 2009

結論になり代わるもの、あるいは言葉を巡って考えられる自由と責任③

 東浩紀氏は大塚英志氏との対談集「リアルのゆくえ」(講談社学術文庫)で次のように受け答えている。(終章2008年―秋葉原事件のあとで)

大塚 少なくともあなたは本を書いているんだから、本が届く範囲の中でやっていくべきなんだって、ぼくはずっと言ってるわけ。それからネットの上の言葉も含めて、あなたが発信できるツールの中で、あなたはあなたの言葉の中で、そういったものに対してコミットしていっているわけでしょう。
東 いや、それはやるわけです。その限りでは信じているとも言える。けれども、真剣に内省するとふと空しくなるのも事実です。評論や思想の言葉が行なっているのは、もともと心の強い読者の、その強さを高めているだけではないか。最初から心が弱く、承認を求めて陰々減々となっているひとを、本だけで変えることがあるのか。

ないだろう。もし哲学テクストを読み極度に感化され犯罪にまで走る者がいたとしても、それは哲学の本質に対する理解からではなく、そのテクストがたまたま示した「伝えるべき内容」を信じ込んでしまった結果でしかない。自分の書いた文章がどのように受け取られるかについて、東氏はそれなりの野心を前提にしている。しかしサルトルはその野心すら実存の中に封じ込め、要するにそれは終ぞ実現し得ないという地点でテクストの在り方を考えたと言える。サルトルは孤独に強かったのだ。(第七章参照)
 野心とは孤独を悟られることに対する恐怖(羞恥に根差す恐怖)が孤独を隠蔽するための便利な逃避的孤独解消法である。それは孤独に奮闘するという意味では孤独の味方であるが、それがある程度実現されると尊敬心を集めるという意味では孤独対処法でもある。
 野心はそもそも相互にぶつかり合うことを前提するので、必然的にかなり孤独を隠蔽する用意周到な手法ということになる。野心同士がぶつかり合えば、より野心の正体は見極め難くなる。
 しかしその陰で野心を発揮し得ない成員が固有の引き篭もり状態を保有する。しかしその中でも何らかの対外的な希望を抱く者はオタク化し、固有の関心領域にのめり込む。しかし一旦そうやって関心領域を設定すると、オタク同士でオタク度を巡る競争意識が生じ、やがてオタク純度を巡るエリート層が形成されていく。各オタク固有の野心の誕生である。
 2チャンネルオタクは各種差別的発言や言説の自由を謳歌し、アンチ・ヒーロー志向(朦朧会見として世界中で知られたある大臣に対して理性論的には否定しても、内心で贔屓感情を抱くこともあるかも知れないし、その場合2チャンネルに書き込むことにしようと思い立ったりする。付記 中川昭一氏のご冥福をお祈りする。河口)、マイナー・アイドル志向を性格として保有し、その中でも傑出したオタクは権威を持つようになる。2チャンネルは他の一切の権威に対する無関心を決め込み、身体論的、文化論的差別論を自由に発信することで、ある種のリビドーの捌け口として利用される。
 オタク固有の本願ぼこりは一切の横の連帯、協調を相互に拒否し、排除し合うことだ。そこには未来に対する明るい希望の奨揚は禁物である。保守安泰志向、ネクラ志向である。そもそも全ての記述が公的には表明される必要がないという前提が各オタク間の交流を最初から途絶させている。しかしそれは恐らく結社内に固有の秘密とも少々違うだろう。秘密には小さな権力に対する憧れがあるが、オタク内にそれが希薄だ。オタクは権力よりは権威を望む。
 引き篭もりにはオタクをオタクとして誇る意欲、つまり内的野心にまで至らない未消化で非充足的気分がある。AVオタク、マイナー・タレントオタクetcにさえなれない。
 勿論オタク対象全ては伝達手段という前提の上で展開される「伝えるべく内容」のヴァリアントである。しかし言葉の仕組みに着眼すれば、野心の正体、羞恥の本質や構造に対する理解のために分析を求められる。しかしそれは追究すればするほど極度の心的負担が個に圧し掛かる。つまり言葉の仕組みに対する着眼によって我々は一方で益々グローバリズム、国際スタンダードの容認へ、他方「伝えるべき内容」の追求は益々オタク的孤立化や相互不干渉化へと促進される。
 要するに全てのオタクはそのオタク内でのみ通用する私的言語の特権的利用を巡る互助会的性格の非連帯的屯に加担している。それは知る人ぞ知るいい味の店から、地方都市内に在住しているアーティストだけが集うギャラリーに至るまで様々である。
 アダルト・サイトサーフィン愛好家も、自殺サイトも今後も一切なくなることはないだろう。しかしそのこと自体を憂えることに然程意味はない。寧ろオタクが屯出来る場を何らかの形で見出そうとする心理が表向きの公的顔とは全く別な形で裏的なものとして示す必要が一般社会の中で暗黙の内に強制力として個に求められていること自体が問題なのだ。
 ウォルター・リップマンは1922年刊行の「世論」において、エリート指導者たちさえその対話の内実はたまたま寄り合った街灯の下の人々とそう変わりないという出だしで論を進めている。それは要するに言葉の強制力に対する自覚から来るものである。しかしリップマンの言説をヘーゲルは既に予感するべく次のように言述している。

(前略)世論は、尊重にも、軽蔑にも値する。軽蔑に値するのは、その具体的な意識と外に現われた姿からみてのことである。尊重に値するのは、その本質的基礎からみてのことである。だがこの基礎は、多かれ少なかれ曇らされて、右の具体的なもののなかにただ映現するだけである。世論は外に現われた姿においては、この基礎を明別する基準をもっていないし、また実体的な面を明確な知へとおのれのうちで高める能力をもっていないから、世論に従属しないことが、偉大にして理性的なものへと至る〔現実のおいても学においても〕第一の形式的条件なのである。だがこの偉大にして理性的なものの側では、世論がやがて自分を是認してくれて、世論のもつもろもろの先入見のなかの一つにしてくれるであろうと確信しているわけである。(第三部 倫理 中 第三章 国家 中 c 立法権、中公クラシックスⅡ、§三一八、392ページより)

 言葉は人間の真意を作るものであり、本音を吐くためのものではない。世論とは一つの本音であり建設的ではないことも多い。だからヘーゲルが言っているように本質的基礎を見据えることが可能か否かはまさに「伝えるべき内容」の選別に本質があるのではなく、言葉のどこに力があるかを、言葉を示すことによって伝えるものであるなら、それは言葉を語ることが語られる状況において、どう作用するかを予め心得ているか否か、つまり責任論に帰着する。言葉の影響力を考慮して語ることはそれ自体権力の行使以外のものではない。その事実はブログや2チャンネルの書き込みを通りすがりとして無記名で行なうことの通常な日本人の利用の仕方に可能性を生む。

 通常社会では年配者は年少者に対して苦悩があっても真意を告げないものと我々はしている。しかし例えば経済的問題といった実利的なこと以外でも、例えば性の問題にしても年配者の方が年少者よりも容易に克服しているとばかりは言えない。否寧ろ年配になればなるほど顕在化していくこともあり得る。しかしそれはなかなか同世代の人以外には話し難い。しかし同世代の人々は既に自分の身体に関する問題にかかりきりになりそれどころではない。そこで自分の年齢を告げずにどこかのブログに悩み事を書き込んだとしよう。その書き込みに対して中学生や高校生が極めて適切な人生相談の回答を寄せたとしよう。例えばその書き込みが老人によるものであった場合、その老人は通常の直に人と接するコミュニケーションでは若輩者たちに真意を告げることを躊躇する場合があるにせよ、回答を寄せる中学生や高校生も自分がさも大人の振りをして回答し、その回答に相談者が溜飲を下げたとすればそれは瓢箪から出た駒と言えないだろうか?つまり相手の顔が見えないからこそそこには真実を容易に語り合えるチャンスもあるのである。
 だから人間の想像力を規制しないという意味では愚痴や戯言を言い合う場を封鎖すべきではない。例えば2チャンネルの書き込みだって「僕はあんなものしたくはない」ともし人に告げるようなら、いっそ自分も書き込み参加した方がよい。つまり本当は興味があるからそういうサイトを検索しているのだから。無理に自分の欲求を押し込めるくらいなら、どんなに低俗な書き込みだってした方がいい。つまり低俗な書き込みをすること自体が精神を荒廃させると決め付けるなら、その考え方こそ短絡的である。
 ヘーゲルは「法の哲学」の中で次のように言っている。(第三部 倫理 中 第三章 国家 中 c 立法権、中公クラシックスⅡ、390~391ページより)
 
  追加
〔言論の自由〕現代世界の原理はつぎのことを要求する。すなわち各人が承認するようにと要求されていることは、それが正当なものであることが各人に示されなければならないと。だがその上なお各人は、そのことについて、ぜひとも共に語り、提言したいと望む。とはいえ各人は、自分の責めを果たしてしまえば、つまりそのことについて言うべきことを言ってしまえば、自分の主観性を満足させるわけであって、そのあとでは彼は多くのことを我慢するのである。
 フランスでは言論の自由は、黙っていることよりも、なんといってもはるかに危険が少ないと思われた。なぜなら黙っていることは、世人はことがらに対する不服を胸のうちにしまっているのではなかろうか、という懸念を起こさせるが、小理屈であろうとも、自由に喋ることのうちには、一面、捌け口と満足が含まれており、これによってことがらは、とにかくいっそう容易にはかどることができるからである。

 これは君主論心得的側面もある言述だが、社会機能論的にも、各個人の精神衛生論としても読むことが可能である。必要悪としての欲望の捌け口としてメディアを利用するその仕方を封鎖してはいけない。つまり正常とか異常とか、上品とか下品とかいうようなことと全く無縁に精神の荒廃とは訪れる。それは創造的で価値ある行為や優れた人格にも突如訪れるものである。そして精神の荒廃は寧ろ欲望の捌け口を悪と捉え、全ての欲求解消手段を封鎖することからくることも少なからずあるだろう。
 私は引用を最初殆どしないように本論を書こうと思い立った。しかし意外と多くそれをしてしまった。しかしこれはよく考えてみると、言語を偶像化する例としてそれはそれで意味がある。しかしかつてそれらの言葉を残した偉人たちも幾つかの啓示的な偶像化された言葉を常に脳裏に潜ませ自分の言葉を探ったのだ。それは「伝えるべき内容」だったかも知れないが、言葉の仕組みにまで意識を向かわせつつそうしていた筈だ。
 私たちは各メディアに対して自分を巡る他者各個人に対して異なった真意を持ち、その都度真意を書き換えているように接する。オタクはその中でも特定の関心領域に釘付けになる。しかし全てのメディアや伝達手段に対しそれぞれの利用仕方が規格化されたら管理社会の呪縛に降参したことになる。あるメディアや伝達手段の自分なりに固有の利用の仕方に執着を全くしない(オタク化を用意周到に回避する)なら、真にメディアや伝達手段の往来の意味を理解することなど出来ないのではないか?
  言葉の仕組みを問うのは哲学だとすれば、こういう情報は新聞やテレビから採る、しかしそこでは自分の意見をそう容易には伝えることが出来ないから、ブログで何か書き込み、そこでも容易に言えないことは2チャンネルでと考えて、個々の状況に応じてメディアの選択を我々は行なう。その時確かに我々の意識は「伝えるべき内容」へと向かっている。他者間依存や自愛を考えると確かに言葉の仕組みへの問いという哲学は背景へと退く。しかし「伝えるべき内容」は私的問題であり、そこで伝えられたことが記述として残された時、そこに成立した意味の世界は言葉の仕組みに則った「語られたこと」だけである。「語られたこと」の意味が正当に伝わらなかったことは誰しも経験している。しかし誤解を受けてしまった発言も時間がたつと、「今この映像を見れば」、「今この文章を読むと」正しいと判定されることもある。
 傍から見ていて幸福そうなエリート夫婦があったとしよう。しかしあまり愛情はないとしよう。夫は大学教授であるが、そうなったのは妻の父親が今勤務する大学の有力教授であったために政略結婚して妻も学者である立場をも利用しようとした自分にも責任がある。しかしそれがどこかで負い目となり、家庭はあまり居心地のよいものでないばかりか、妻の方も彼より教授職という意味では先輩なので多忙であり、講義終了後に直帰しても妻と二人の時間を過ごすことが出来ないために帰り道にあるバーに立ち寄るようになりそこのホステスと親しくなる、そういうような感じで私たちは新聞やテレビという正妻以外にネット、ブログ、携帯、2チャンネルを利用し始めたのだった。つまりそれらのメディア、伝達手段間の往来は一度は慣れたが次第に居心地の悪くなっていった家庭というような事情が個々のメディア毎にあったのだ。その往来を促進する理由こそがトラフィック・モメントである。送り手から受け渡されたメッセージを受け取る受け手であり大衆である我々購読者、視聴者、ユーザーたちは往来をこれらかも頻繁に繰り返し続けていくだろう。その往来を自分なりに人生の時間に意味づけるのはしかしやはり言語以外にはない。それは各メディアが他のメディアとの相関でどう捉えるかという観点において自分なりに言語行為の一環として位置づけているからだ。そしてそのトラフィック・モメントの位置づけ作用はメディアや伝達手段という存在自体の存在理由に対する自分なりの意味解釈に帰着する。それは言語が私にとってではなく私たちにとって意味があるとされる視点から見た場合、他者の死は「私たち」をいささかも変えはしないものの、私(自分)には何かを語りかけるような意味で偶像化された語彙や表現(最近では空気を読めないとかYKなど)を一方に確認し(合理論的に)、他方では私にとって偶像とは何なのか、醜態を晒す朦朧会見に出席した大臣に対する密かなエールかも知れない。私秘的な偶像として意味を受け取る自由が内心にはある。醜態を醜態として晒すマスコミ(の生贄模索性)に対する予防線としての内心である。
 要するに私たちは個としてより私秘的存在として意味の世界へ舞い降りるために、この意味はこのメディア、あの意味はあのメディアでと往来を繰り返す。私たちはまるで日本に中に東京があり横浜があり、大阪があり、名古屋があり、京都や札幌があるように文字があり、記号があり、デザインがあると考える。それらを往来させるものは意味という往来を作るモメント(契機)である。そして至るところに待ち構えているモメント間の相関を把握しようと思う時、言葉の仕組みが立ち上がる。それは責任という名の言葉の権力行使に対する落とし前である。往来の契機となるものは個人の中の責任という意識であり、それが自由を保障する。
 メディア間、伝達手段間の往来は、言葉の仕組みの多様を私たちに教える。例えば伝統的な語彙や表現は携帯メールや2チャンネルの言辞と相補的である。しかしそれは私たちがそのように望む以前に言葉の力を信じることから個として既に他者に向き合っている証拠である。つまり各メディア・伝達手段に私たちが固有の「伝えるべき内容」を嗅ぎ取っているという事実がある一方、脳科学ではマイケル・ガザニガが指摘しているように責任感は確認し得ないが、それはそうだろう。何故なら責任とは既に言語行為をすることの内に潜んでいるからである。そして我々はその言語‐責任の網の目からしか自由を自覚することが出来ない。
 私たちのトラフィック・モメントは言葉の仕組みを考える時にのみその存在を私たちに示す。私たちは往来をやめることはない。私たちが存在と存在者の間の往来によって全て理解されること自体が意味あることであると感じ続ける限り。(了)

参考文献
「論語」金谷治訳注 岩波文庫
プラトン「国家(下)」藤沢令夫訳 岩波文庫
「エックハルト説教集」田島照久訳 岩波文庫
ホッブス「リヴァアサン2」水田洋訳 岩波文庫
デカルト「省察/情念論」井上庄七・森啓・野田又夫訳 中公クラシックス
コンディヤック「人間認識起源論(下)」古茂田宏訳 岩波文庫
カント
ヘーゲル「法の哲学Ⅱ」藤野渉・赤沢正敏訳 中公クラシックス
ニーチェ「力への意志」
フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」細谷恒夫・木田元訳 中央公論新社刊
ルドウィヒ・ウィトゲンシュタイン「ウィトゲンシュタイン全集 哲学探究」藤本隆志訳
大修館書店刊
マルチン・ハイデッガー「存在と時間」原佑・渡邊二郎訳 中公クラシックス
「形而上学入門」川原栄峰訳 平凡社ライブラリー
マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
ウォルター・リップマン「世論(上)」掛川トミ子訳 岩波文庫
ベンヤミン「パサージュ論 第三巻」今村仁司・三島憲一訳 岩波書店刊
モーリス・メルロ・ポンティ「知覚の現象学」
ジョン・ラングショー・オースティン「言語と行為」坂本百大訳 大修館書店刊
レヴィナス「他者のユマニスム」小林康夫訳 書肆風の薔薇刊
土居健夫「「甘え」の構造」弘文社刊
ハンナ・アレント「責任と判断」ジェローム・コーエン編 中山元訳 筑摩書房刊
ジル・ドゥルーズ「ニーチェ」湯浅博雄訳 ちくま学芸文庫
スラヴォイ・ジジェク「幻想の感染」松浦俊輔訳 青土社刊
リチャード・ドーキンス「延長された表現型」日高敏隆・遠藤彰・遠藤知二訳 紀伊国屋書店刊
スティーヴ・ジョーンズ「遺伝子=生∣老∣病∣死の設計図」河田学訳、白揚社刊
ヒューバート・ドレイファス「インターネットについて 哲学的考察」石原孝ニ訳 産業図書刊
ダニエル・デネット「自由は進化する」山形浩生訳 NTT出版刊
ニコラス・ハンフリー「赤を見る 感覚の進化と意識の存在理由」柴田裕之訳 紀伊国屋
マイケル・S・ガザニガ「脳のなかの倫理 脳倫理学序説」横山あゆみ訳 紀伊国屋書店刊
中島義道「哲学者のいない国」洋泉社刊
永井均「なぜ意識は実在しないのか」岩波書店刊
梅田望夫「ウェブ進化論‐本当の大変化はこれから始まる」ちくま新書
大塚英志+東浩紀「リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか」講談社現代新書
大屋雄裕「自由とは何か」ちくま新書
池谷裕二+木村俊介「ゆらぐ脳」文藝春秋社刊
和田秀樹「<自己愛>と<依存>の精神分析コフート心理学入門」、「壊れた心をどう治すかコフート心理学入門Ⅱ」PHP新書

 付記 今回で「トラフィック・モメント」タイトル論文は終了しますが、当ブログ自体は同一タイトルのままで、別の論文「書き、読み、語る・描き、見る・聴く」(短論文)と「言語の幻想とその力」(中論文)を引き続き掲載更新いたしますが、数日休暇を取らせて頂きます。(河口ミカル)