Friday, November 13, 2009

書き・読み、語る・描き、見る・聴く<言葉・絵・音楽> 第三章 聴く

 私は前章で少々物語ということを述べた。物語を生きることを虚妄的と言ったが、それは多分にサルトルの言った自己欺瞞的な側面からであった。尤も彼はそれを否定的にばかり使用していたわけではない。
 さて絵画で風景画が定着したのは比較的美術史上では最近のことであるが、我々はどこか自然そのものをも虚構化したくなるからこそ、風景画を描くのだ。つまりこの自然に対する虚構化という欲求があらゆる自然科学を人類の英知として我々は物語化してきたのだ。自然科学を信じるということは即ち、自然科学を英知とするという物語を生きるということである。
 私たちはフッサールの言葉を借りれば生活世界という物語を生きる。あるいは社会制度という物語を生きる。資本主義という、あるいはマルキシズムという物語を生き、出世という物語を生き、金儲けという物語を生き、各人生に固有の記憶内容が固有の物語を提供する(と少なくとも思っている)。例えば過去を想起して、後悔することもあるが、実際のところ、様々な過去の思い出という奴が私たちの人生を作品化する。過去における自分の衝動的な行動の方が振り返ってみると、どこか必然的であったと思えるような部分も我々にはある。つまり過去は全ての衝動を必然化するのである。
 社会制度に随順して生きるということは文化や伝統を物語、つまりフィクションとして受け入れ生きることである。これは勝者にも敗者にも言えることである。
 つまり私たちは人生の転機であると言いながら、そう判断することで人生という物語を生きる。いじめられていると自らを感じ、不登校をし、引きこもりそういう生き方を仕方なくしていても、そういう風に理解しつつ仕方ないという物語を生きる。進化論生物学者たちは個体を主とした自然選択による進化という物語を生きるし、古生物学者たちは断続平衡説という物語を生きる。それ以外にも我々は初詣、収支決算、決算報告;旅行の日程、株主総会、盆踊り、忘年会、CMとニュースとが挿入されるテレビ番組とマスコミという物語を生きる。入学式、始業式、卒業式という物語を生きる。聖書や仏典やクルアーンといった宗教聖典という物語を生きる。それら全ては実はそういう生き方を制度的に共有し合う言語ゲームによってなのだ。
 しかしそのように物語の渦中にいると常に考えて生きることは一面ではかなりしんどいことである。だから本当は一人一人が異なった物語を常に生きているのだから、小説家など要らない筈なのに、プロの作家たちの書いた小説を有難く読み進める。それは自らの物語があまりにも平凡であるから小説を読みたくなるのではなく、自分が常に物語の主人公であるということのストレスを忘れ去りたいという欲求からそれを読むのだ。「本当の物語」はプロの作家に任せておけばよいという代理感情が支配しているのだ。しかしそれは自然を虚構化し、言語という幻想を生きる我々が一時たりとも自分の物語を外れて生きることが出来ないという事実に対する直視を逃避した「本当の物語」という幻想以外のものではない。また民間であれ公的機関であれ、責任ある地位の人間は全ての社会成員が実は自分の物語が本当に「本当の物語」であるということに目覚めれば、革命や暴動が頻発することにも繋がるし、それは管理上困ることになるので、代理実践者として文学者とかアーティストという呼称を設けて彼らに個々の願望を解消させているのだ。
 聴くということは実は言語行為でも自然に接している時でも常に我々は実行している。しかしそれを情動そのものに浸りきりたいということで聴くということとなると、音楽以外にはない。音楽もまた個々の物語の主人公であることを一時忘れたい欲求が受動的に音楽が作る流れに身を任せるということによって成立している。
 ミシェル・アンリの著作に「共産主義から資本主義へ」というのがあるが、現代の金融経済危機という世界規模のクライシスは実は、かつて共産主義が崩壊した時期の世相とよく似ていると私はこのテクストを読み進めながら感じた。そしていつしか歴史というものそのものも時間に対する我々の自然の虚構化、つまり物語化以外のものではなく、それは受動的音楽の流れに身を任せることに近いものではないかと思っていた。つまり歴史は繰り返す、とそう感じる(実際はそうではない)ことそのものが、かつて聴いた音楽とよく似たフレーズを昨今流行っている音楽のメロディーラインから読み取るということに近いと思ったのである。
 過去は全ての衝動を必然化する、と私は言った。しかし実際過去という実体がどこかに存在しているわけではない。それは記憶がそうでっち上げているだけのことであり、私たちは想起され得るものと、記録によって確かめられるものを過去と呼んでいるだけである。すると「過去にあったこと」という捉え方そのものによって過去に私によって発せられた衝動や気分を何故か必然的であるように思えるということは、私自身が私の人生全体を記憶や同一性に対する信仰によって把握することが可能であるからに過ぎない。それは「自分は自分以外のものにはなれないのだ」という諦念に近い心理からの想念かも知れない。
 しかし私は恐らく死の瞬間まで「自分は自分以外のものにはなれない」と思いつつも、今の自分ではないもう一つの自分を追い求めていくだろう。これは私たちが日頃から常に心においては原因と結果が一致しないという感じを私が持っているからである。こう思ったからああしたではなく、そう思ったけれどもああしたということの方が多いというのが人生だし、何か決意したことも予定して決意したわけではない。それなのにいざ決意してしまえば、もっと前からそうする積もりだったとそう思うのである。
 音楽を聴くということは、既に作曲された楽曲演奏でもジャズのような即興であっても、既に演奏家の脳内には「今日はこんな感じで演奏する」という意志が粗方決定されていることそのものを受容しているわけだが、その流れに身を任せるということは、しかし「自分以外の身体的な律動」に身を委ねることになる。聴くということは、現在時の音を瞬間的に把握しているのではなく、もっと全体的な流れ、それはさっき始まった音の出だしということから今まで続いている音の流れ全体を把握する、要するに過去になりきらない過去の音の痕跡と共に今の音を聴いているということで、これは発声者、つまり話者、つまり語る者の言葉を聴くことと殆ど原理的には同じことである。しかし音楽は言葉が意味の理解に全神経が供せられているのに対し、もっと情動的なリラクゼーションと、情感的な想像、あるいは感情的な物語的進行そのものを楽しむために我々は聴いている。
 論理とは聴覚的なものであると養老孟司氏は「脳のシワ」という本で述べておられるが、まさに音を聴くように論理とは、その理の展開の中にある理屈自体を把握するのに親しみやすい物語の構造を把握するかのように理解するものである。しかし音楽は論理的な意味での理解しやすさだけではない。論理が理解しやすさと明快さ以外のものを排除しているのに対して、音楽は言葉では明快に示し得ないような感情を表現することが可能だからだ。
 第一発声者は恐らく獲物とか自然災害に面した人類が何らかの行動を促進するためにある成員が発声して、その時に相互に受信した者との間で表情を確認し合ったということに発するだろうから、その意思疎通の相互存在感確認という意味では音楽以上の情動と情感が伴われていたかも知れないが、やがて音声=意味ということになると、途端に意味了解の本質以外のものを排除して、例えば現代のビジネスマンが犇めき合う満員電車の中で作る無表情のように理解しやすさと明快さ以外のものを排除しているということが意志伝達の際にさえ顕在化してきたことを考えると、原始的な心の律動にもう一度立ち返るということが音楽に私たちが求めてきていることかも知れない。
 それは恐らく最初に何か声を出して唸ったりした時、第一発声者によって既に音楽が行われており、その発声が言語行為として定着していったことによって、逆に、言語行為が意味と音声の連携プレーになった段で、それとは違う形での意思疎通、しかもそれは陶酔と共鳴と他者相互の合一といったことだけが目的の発声になった時、彼らが第一声楽履行者となったり、あるいは最初に仕留めた獲物を包む籠や運ぶための棒などを叩いたり、日引っ掻いたりした時に音が出て、それを規則的に行うとか、要するにそこにリズムを発見したりした時、そのリズムを一旦は中止していたその者に別のもう一人が楽しいから止めるな、もう一度やれというように目配せして催促したのかも知れない。これは第一打楽器演奏者と第一打楽器演奏鑑賞者の誕生の瞬間である。
 時代は更に経過し、そこではメロディーが既に出来上がっていた。そして第一コード発見者がいた筈だ。いやその前に長短の調を発見した者もいた筈だ。そしてあるコードから別のもう一つのコードへと移行すること、それに二つ以上に恐らくもっと早く違うリズムを重ね合わせること(ポリリズム)、あるいは一つの曲に二つ以上のリズムを変則的に繋げることを最初にした人物がいたわけである。
 しかし意味論的には、と言うより感情表現的にはあるコードから別のコードへと移行することそれ自体に内在する感情の変化に対して気づいたということが、その発見者並びに、その発見者の周囲にいた者の功績である。
 音楽はある意味では現代社会では既に形骸化したコミュニケーションに対する批判体、あるいは警鐘として存在しているようにみえる。しかしそのことは本来音楽が形式的な言語行為外的に発展したのではないかという思いを抱く時には妙に現代社会の状況とは無縁に説得力を持つ。いや音楽こそが寧ろ最初は言語行為以前に定着していて、そのシステムを言語行為の方が模倣して発展進化したという風にも考えられる。
 絵画の場合、それらを鑑賞することが好きな人にとって有名であるとか、名画であるとか、権威づけられたレッテルというものを極度に警戒し、信用しないタイプの人々というのも大勢いる。そのことを考え合わせれば、音楽こそ最初は最も無名性のものだったのかも知れない。デザインは無名性のものである。アファール猿人と呼ばれる人たちは、その斧に奇妙な細工をしていたらしいが、その細工それ自体は何ら斧そのものの目的とは無縁のものであったらしい。つまりいい細工を施された斧を持った男が女から尊ばれたのではないかというのが人類学者の考えているところらしい。それは要するに孔雀の羽がかつては異性を惹きつける道具だったということ(現在の孔雀では発する音声こそが異性を惹きつけると考えられている)と相通じることかも知れない。すると音楽にもそのようなこと、つまり社会生物学者たちが想念してきたような意味で、異性を惹きつける戦略として作用してきた歴史が横たわっているのかも知れない。
 しかし異性を惹きつけることに音楽が供せられるということの前にまず聴くことに対して熱狂する、あるいは陶酔するということに対する感知ということがなされていなくてはならないだろう。本章では聴くことを主眼としているのだし、そこら辺のことについて考えてみよう。
 
 最も基本的なこととして何故私たちは音楽を聴くことを必要としているかということだが、それにはどこか時間という観念に関係があるのではないかと以前から私は考えてきた。
 宗教では永遠ということを考える余地が人間に生じているが、何故永遠ということが想念されるかと言うと、恐らく人類発祥の頃から他者の死という現実があったからだと私には思えるのだ。つまり誰一人として死んだ者と再び生きていて会うことが出来ないということだけは言語行為が定着していない頃から人間の最も基本的な既知の事項だったのではないだろうか?そうすると、自分が死んだらまた会えるのかも知れないとそう我々の祖先は考えた。しかしそれを生きている内に確かめることが出来ない。つまりそれが生きているということなのである。つまり生ということの側から考えればどんなに想像を逞しくしても、一切そういうことは了解し得ない。それは永遠の謎であり、そこに永遠という考えが提出されることとなる。
 しかし時とは常にどんどん過ぎてゆき、朝は昼になり、昼は夜になる。そして幼子は成長し、老人は死ぬ。この死という生へと引き返すことの不可能な現実の前で哀惜の念が過ぎ去ってゆく者全般、そこには時間そのものも含まれるが、それに対して発生し鎮魂の情が生じる余地が生まれる。そしてその思いを発声によって示したものが「歌」だったのだ。
 音楽には切ないところがある。それがどんなに楽しい曲であれ、もの哀しいのは何故かと言えば、一切の音楽は終了するからである。そうかつて偉大な作曲家が言ったが、それは正しい。どんな長さの曲でも、それはまるで個々の人生のようではないか?
 過ぎ去っていくあの時の「今」、そして今の「今」。そして愛したあの人、この人。ごく単純な歌や演奏は、恐らく文字の発明以前に既に登場していたのではないか?
 人々を一箇所に集めることの出来たシンボルはアートであり、建築だっただろう。シンボリックな建造物や、モニュメンタルな塔や壁画の前で人々は踊り酒を飲んだ。歌はそこで歌われた可能性もあるし、誰かその中でも特に声の響きのいい者が朗読するような調子で歌を歌っただろう。ここに人類最初のコンサートがあった筈だ。例えば葬礼のような時に。この頃はまだ詩の朗読と歌の差などなかったかも知れない。そこに多少の違いが生じたのは、文字の発明だったかも知れない。文字の発明がより意味内容ということに比重をかけた表現と、原始的な唸りの差を生じさせたというわけである。表現の分化である。
 私は以前「死者と瞑想」<ブロガーの別ブログ「死者/記憶/責任」に掲載。>という論文において、ある親しい人との死別とは、私を知るその人しか知らない私(の顔、表情、気持ち、性格)への別れであると考えた<この考えは当ブログの「トラフィック・モメント」第九章 書くことの起源と葬列の順位 でも示している。>その人の前で示す私は他の人の前で示す私とは明らかに違い、その人と接する時にしか示さない私というものは、その人の死と共に永遠に別れを告げねばならない。この考えは今でも変わっていないどころか益々強まっている。私は17年前に父と死別したが、その時父親にとっての息子という私(の顔、表情、気持ち、性格)と別れを告げた。
 つまり愛する人、親しい人、好きな人、いや嫌いな人との別れすら、その人しか知らない私との別れ以外のものではない。「歌」の基本はそのことに対する了解であり、それを聴くことは過ぎ去る「今」と別れた人々への追想という意味合いがあったのではないだろか?追想してその思いを燃焼させることで再び明日を迎える、その気持ちの切り換えのためにも歌は必要だったのだ。それは小さな祭りでもあったのだろう。祭りは終わると、固有の空しさが付き纏う。まさに「宴の後」である。それと似たものは全ての音楽にもまとわりついている。音楽を聴いた後と前では明らかに気分が異なっている。
 何故歌を聴くこととは切ないのだろう?それは野暮な問いかも知れない。何故ならそれは生きていくということそれ自体が途轍もなく切ないことだからである。音楽を聴くことは母の胎盤に私たちがいた頃からその心臓の鼓動と、呼吸の度に揺さぶられる振動を感知していた時の記憶を呼び覚ますことなのだ。つまりそれは、生きているということが死から誕生し、再び死へと還ってゆくという私たちの運命を暗示しているようにさえ思える。つまり死という故郷に対する郷愁の念と、死者を送り出すということ、そしてその死者とは自分たちが生きている内には会えず、その者と死んだら会えるかもしれなくても、それを知ることは永遠に出来ない、何故なら死んだら「今」が繰り返し「かつて」になっていくことを知り続けて生きているということではない永遠の今であり永遠の過去なのだから、永遠に知り得ない謎であるという気持ちが一体化して自然と出された唸り声が歌となったのだ。そして、歌と合わせて身体を揺する、眼を閉じて陶酔するということが、狩猟の成功を祈り、狩猟の成功の喜びを分かち合うということから身体を唸り声を上げ、ものを叩き、身体を揺するということの習慣と結びついて、いつの間にか私たちは「そうであって欲しい」とか「嬉しい」とか「もの哀しい」という気持ちの意味を、意味として了解していき、その時言葉を発するということ、言葉を発して他者と自己の存在の意味を認め、そして絵を前に孤独に想念することを学び、文字を通してその文字を記した他者と一対一の対話を孤独にするということと音楽を気持ちの切り換えに利用することを習慣化していったのかも知れない。(了)

参考文献

 ウィルヘルム・フリードリッヒ・ヘーゲル「法の哲学Ⅰ」(藤野渉・赤沢正敏訳、中公クラシックス)
 エトムント・フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」(細谷恒夫・木田元訳、中央公論新社刊)
 ジャン・ポール・サルトル「存在と無」(松浪信三郎訳、人文書院刊)
 モーリス・メルロ・ポンティー「言語の現象学」(木田元・滝浦静雄・竹内芳郎訳、みすず書房刊)
 デズモンド・モリス「裸のサル」(日高敏隆訳、河出書房新社刊)
 ミシェル・アンリ「共産主義から資本主義へ」(野村直正訳、法政大学出版局刊)
 ナイルズ・エルドリッジ「ウルトラ・ダーウィニストたちへ」(新妻昭夫訳、シュプリンガー・フェアクラーク東京刊)
 ニコラス・ハンフリー「喪失と獲得」(垂水雄二訳、紀伊国屋書店刊)
 大森荘蔵「時は流れず」(青土社刊)
 各務浩司「死者と瞑想」(私の以前の論文)<ブロガーの別ブログ「死者/記憶/責任」にて掲載。>

 付記 これで「書き・読み、語る・描き、見る・聴く<言葉・絵・音楽>」は終わります。次回からは「言語の幻想とその力」を掲載更新致します。次の論文の方がこの論文よりはかなり長く続きます。しかし数日休暇を頂きます。(河口ミカル) 

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