Monday, December 7, 2009

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第一章 相互構成関係

 世界とはア・プリオリにあるのではない。他に対して構える時世界は現出する。他は構えられていて自によって世界を構成することに参与する。
 構えそのものを自覚する時、そこに意識がある、と私たちはする。
 他が自の前に現出する以前のそれは未だ構え自体は自覚せられていなければ意識ではない。
 自覚すること、そうしながら構えを過去との対比で現在のものとする、つまり構えそのものを記憶する時、意識が人格を構成するものとして把握される。意識が人格を構成するものとして把握されれば、世界は意識によって記述される対象となるが、世界が対象であることが、恒常化すれば意識は既に記述によってのみ認識され、世界も記述することによってのみ成立するものとなる。これが言語化された世界(「世界」)の最初の構えである。
 語彙はこの構えにその都度引っかかってくる。どのように引っかかってくるかと言うと、世界に対する判断によってである。知覚と対象化の構えに対する自覚と、反省的判断が他の存在とその認知を通して語彙は選択されるが、言語行為においては自を「世界」の中に位置づけ他をもそれと並列されたものとして要請する。
 言語行為は対象に対する全ての判断を事後化する。
 しかし意外と言語行為は他への構えよりも「世界」への構えを優先させる。それは 意味=過去と現在の連続の自覚 の合間に反省されるし、反省対象となって現出する。
 意識は言語行為中は 「世界」=意味 の背後にあり、寧ろ言語行為の合間に言語行為の意味の往来への反省、つまりそこに人格を自然と認識的に形成し、(持続された)構えに対する 自覚=対自 の事実そのものである過去と現在の連続の自覚から現出する意味は、言語行為の認識だが、実はこの人格規定(自に対しても他に対しても)そのものが、あるいは他に対する自、自に対する他の認識、あるいはその往来そのものが意味を創出している。私たちはここに次のような図式を得ることが出来る。
 
意識の記述化が言語化の構えである

他を通して構えの自覚という自を、他と自の並列化への手段とする

記述された「世界」の中に自の人格を形成し、人格は他との言語行為において、その反省意識によってその都度決定される。

反省の伴う過去と現在の連続の自覚が、自と他との間の人格の往来を自覚させる

自・他の人格の往来が意味を創出し、意味が自の行為を自のためのものも、他への投企をも行為そのものへと意識を向かわせる

行為への意識が自・行為を振舞いとして意識させる

ここに自は自らの羞恥を知る。羞恥は行為への意識によって創出され、ア・プリオリに付与されたものとされる

羞恥は以後の行為、言語行為に「ふりをする」という意識を付与する

「ふりをする」という意識は自を他へ向けた構えと自の内的世界を二元化させる(二元的に認識させる)

 「ふりをする」は意味を伝えることに供せられる。あるいは意味を伝えることのために自の内心をこの次のものとする。
 ここに往来(トラフィック)がその都度意味を作るから、意味とは意味に対する作り変えによって意識される。
 つまり意味への構え、意味から別の意味への作り変えを誘引するものとは、言語行為であり、 「世界」への構え=記述 であり、 自・他の言語行為の反省=人格への自覚、あるいは確認 であり、これらこそ、自・他の意味(人格を作る)、人格(意味の伝達の手段)を往来の契機(トラフィック・モメント)とする。
 意識にとって記述と構えはその都度なくてはならぬものであり、まさにこれこそが「世界」を構成、私たちを存在者としている。あるいは記述と構えが成立すること(事実)そのものを、意識自体は反省によって得られる。
 反省こそ過去と現在の往来の契機(トラフィック・モメント)が作用している。それは私たちが世界を知るために「世界」(言語化作用)を通したその都度の関心という固有の構えである。
 反省という構え、関心という構えを構え自体として自覚し意識することそのものが記述であり、この記述こそが自・他において意味と人格を作り、その都度作り変える。
 反省(過去と現在の連続の自覚への構え)と関心(世界を知るために「世界」を通して何かを対象化すること)こそ行為を誘引し、意味と人格を作るトラフィック・モメントである。
 
 トラフィック・モメントはア・プリオリに付与された傾向性と、そのことへの自覚と反省、そして傾向性の作り変えをも含めて常に新たに意味と人格と関わっている。トラフィック・モメントとは反省と関心の質量である。
 「世界」とは意味の公理化によって構成されている。

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