Saturday, April 10, 2010

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第二十四章 場が打ち解けたり、個人と親しくなったりするきっかけとは何か?

 通常我々は余り親しくはない相手に対しては、自分の正体を余り率直には示しはしない。或いは会合等で冊子が配られてそれに目を通している時も、その冊子でも説明が今一説明不十分であったりして、難解な説明であるが故に理解し辛いということがあったとしても、尚それを他者に悟られまいとして、あたかもふむふむよく理解出来るかの如き表情と振舞いで隣に座る社会人の人に内心を悟られまいとするだろう。
 ところがあるものの弾みで、隣に座る老紳士が仮に会合で説明する司会者に対して、その説明の途切れたところで質問をする。
 「この冊子の概要が今一つよく理解出来ないのですが。」
 そう言ってもう一度概要を説明願えないかと老紳士が聞くと、一斉に周囲の社会人全員がそれに頷き、笑みが毀れ、それまで一切隣に座る人に何か聞くということもなかったその場が一気に和み、相互に教え合ったり質問し合ったりする光景などということは日常的にはよく見られる。
 それは自治会でもそうだし、社会人向けの啓発セミナーなどでもそうである。
 これは意外と重要である。自分が相手に対して予防線を張って、一切自分の弱点、欠点、無知な部分を曝け出さないように配慮している内は、その相手に対して対人関係的には自己防衛心でガードしているわけだから、相手も又心を開かない。が、一旦自分がこれこれこういうことがよく呑み込めないのだ、とか、よく理解出来ないからもう一度説明してはくれないか、と質問すると、途端に相手は真剣に接してくれるようになる。
 ある種の他者に対して相手が信用出来るか否か未だ判然としないが為に張っている予防線を解除することを通して人は相互に信用したり、信頼したり出来るようになるのだ。
 端的に人間関係において他者と親しくなる条件というか、親しくなれるきっかけとは、自己の他者に対する優位を示すことではない。これは最も忌避すべき態度である。これは特に若い世代の人の年配者に対する態度に見られるが、これをしていると、年配者は若い人たちに対して自己経験上でのノウハウを伝授する気持ちにはなれないだろう。
 また相手を競争相手であると認識しているような態度では、真実の情報交換が望めるということはない。勿論例えば学会に出席するような場合我々は学会員全員が学者という意味ではライヴァルかも知れない。同一政党内での同僚議員などもそうかも知れない。がそれでも尚相互の信頼関係というものは、相手に対して挑発的態度で形成され得るだろうか?それは例えば政治の世界などで仲良しクラブ的な雰囲気では政策的な信条を貫くことが出来ないから、それは官政談合的な意味での「淀んだこと、腐敗」ということへと直結するから忌避すべきである、ということとは別箇に必要な態度である筈だ。
 例えば論議議題的には敵対する立場の者同士でも卑近であるが故に意外と必要な情報交換などにおいて、例えば営業マン同士が地理的、実際の営業区域の情報を相互に教え合ったりするということは、端的にライヴァル同士であるが故に必要な行為だろう。
 そこで相手に対して自己の弱みを一切示さずに対峙姿勢を崩さないままであれば、相手も又態度を硬化させ続けることだろう。従って必要な情報を欲しいということを真摯に打ち明け、よく新人で理解出来ないことであれば、上司、先輩、あるいはある事項に関して部下の方がよく心得ているのであれば、そういう他者に積極的に自己内の欠落した状況を説明して、相手から有効な情報を引き出すことも求められている。
 その為には積極的に自分の不得手なこと、不得意なこと、苦手なこと、理解しきっていない点などを真摯に相手に告げるという態度こそが、悧巧な他者との接しにおける他者の活用の仕方であり、情報化社会を生き抜く智恵と言えるのではないだろうか?
 そのようなビジネスシーンでなくても自然人的な触れ合い、つまり趣味のサークルなどでも積極的に自己のコンプレックスを告白し合うということこそが、親しくなるきっかけとして最もよく見られるパターンであることは誰しも心の奥底では知っていることではないだろうか?
 新入生諸君、新社会人諸君、転職者諸氏、リタイアされた方々諸氏、全ての人に言いたい。格好つけている内は誰も貴方に心を許して真摯に教えてはくれない、ということを。 
 そしてそんな事貴方だってとっくに知っている筈のことなのである。従って最近対人関係に苦慮しているということがあるなら、もう一度素直に誰でもいいから、自分の情報的不足、理解しきっていないことを頭を下げてもいいから(何かものを聞くということがそれほど苦痛なくらい頭を下げることではないことくらい貴方が一番よく知っている筈である)質問し、問い質して相手の情報的優位を認めて、指導、教授を仰ぐということをしてみてはいかがであろうか?

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