Tuesday, February 1, 2011

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第五十二章 マスコミの無責任さ極まれり

 私は既に大分長いこと新聞を取っていないし、読んでいない。読むべき価値ある新聞は日経新聞だけだが、あの新聞は購読料が高く取っていない。
 新聞のことは従って語れないが、テレビの深夜の政治経済のヴァラエティは色々な局のものを聴き比べている。しかし率直に言ってテレビ東京の「ワールド・ビジネス・サテライト」以外は殆ど偏った報道姿勢である。
 昨日はNHKでもテレビ東京でもない民放のものを聴いていたが、その時キャスターが与謝野経済財政大臣が設立した会議に自民党の柳沢伯夫氏を起用したことを報じる際に「民主与党が益々自民党に似てきた」と揶揄していたが、こういう発言は余計である。
 第一我々国民は民主党に政権交代したからと言って社会主義国家になったわけではない。従って長く自民党が政権与党であった理由は、自由競争社会を前提としては我々自身が望んできたということである。しかしそれを蔑ろにして自民党時代にあったいい部分を現政権が学ぼうとしている姿勢まで批判することはない。
 こういう偏った報道姿勢を無頓着に続行させているところが日本のマスコミの無策ぶりである。
 今日もテレビをつけっぱなしにしていると、隣室から聞こえてくる国会中継で、公明党の議員が「民主党は弱者の味方ではなかったのか」という質疑応答をしていた。これなどは言語道断な意見である。
 何故なら私は何時の時代でも弱者、弱者と叫ぶ者を絶対に信用しないからである。端的に弱者に優しいということは大事なことであるが、それは国民一人一人が内的に肝に銘じておかねばならぬことであり、政治家が大上段に振りかざして言うべきことではない。大体に於いて弱者、弱者と叫ぶ者には、その背後に弱者救済を名目として利権を死守する意図が仄見える。いやはっきり見えると言ってさえよい。
 この発言は寧ろ共産党に近い。共産党は企業経営とか経済社会のシステムを全く理解していない。人員整理に就いて今も語っているが、企業全体が立ち行かなくなったら、日航でさえ倒産してしまうという現実を理解していないのだろうか?否理解していても尚自らの社会イデオロギーの方を優先してしまうという党なのだ。
 マスコミはある部分ではこういった無責任な野党政治家の発言を助長しているし、又穿った見方をすれば、マスコミ報道、つまりテレビ局の存亡自体が何らかの利権に裏付けられているとしか考えられない。
 この種の偏向報道が齎す実害は青年世代の未だよく政治経済の仕組みを知らない人達へ与える悪影響は著しい。
 日本のマスコミはある一つのイヴェントに対してその見解が色々あるという形で報道を持っていかない。寧ろ常に何らかの体制批判に終始している。これはかなりやばい状態である。マスコミは様々な意見の代弁者であるべきであり、野党だけを常に持ち上げる姿勢は慎まねばならない。私がこんなことを言ってもその点でまともなスタンス(どちらにも偏向しない)のはテレビ東京だけである。尤もそれは「ワールド・ビジネス・サテライト」自体、日経新聞がスポンサーであるからということも手伝っているのだが。
  政治経済ニュースヴァラエティとは案外難しい番組作りを要する。つまりパネラーの選択やキャスターの発言内容自体をよく吟味する必要がある。報道に纏わる公正さとか公平性ということを一切考えずその時々での気分だけものを言うタレントの様な人達(作家と称する人も多いが、碌なものではない)の無責任な発言だけを重視する。それは一重にテレビ局に顔が利くタレントであるという以外の出演理由はないのだ。
 これはマスコミ自体が私達一人一人の国民の知性を侮っている証拠である。どうせ専門的なことなど国民は分かりはしないのだから、こうやってお茶を濁しておけばよいという選択をしているとしか思えない。つまりマスコミ、マスメディア自体がそれを享受する側が余り知性的ではないということが好都合なのである。これが日本の言論界にまで波及している傾向であるとさえ言える。
   確かにブログやツイッターで未だ会ったことのない人達との間で横の連携も我々一般人も出来る様になった。しかし未だ未だ言論を自由に大勢の人達に知らしることの可能な人達とは極々限られている。この現実自体を「それでいいのだ」としているのがマスコミ、マスメディアなのである。彼等にとっては下手に一般大衆が智恵をつけてしまうことは憂えるべきことなのだ。
  しかしそれは間違っている。全ての市民、有権者達は発言権を持っている。
 今でもツイッターでは自分自身の意見ではなく、著名な批評家や論客の意見を鵜呑みにしてツイートしている人も多い。もっと自分自身で考え、どんなに偉い人が発言したことでも、それは可笑しいと批判するマナーを身につけるべきであろう。私の考えでは大半の論客、批評家、コメンテーターは、その意見を拝聴する価値などないのだ。
 今回は突発的な記事となってしまったが、こういう現実世界への横槍もまた、社会と世界と我々の生の実存を考える上では欠くべからざることなのである。

  付記 政治のイロハも知らないタレントに政治経済の意見を言わせる愚は、一重に局側のディレクターやプロデューサー自身が仕事をしやすいという理由からであり、視聴者の側のニーズに拠っているのではないのだ。こういう番組を視聴しない様に心掛けたいものである。(Michael kawaguchi)

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