Tuesday, August 9, 2011

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第六十六章 資本主義社会の矛盾点としての金融システムの崩壊

 世界同時株安は実は既にリーマンショックの時点である程度予想し得た。つまり金融システムは日本ではバブル期に大勢の芸能人、スポーツ選手、ビルオーナーなどに対して行った信用取引等の勧誘によって、バブル崩壊後多額の負債を抱えた株主達を沢山作った。しかしそういった時でも実際に株取引等を一切行わない日本人は大概が、そういった取引きを迂闊に行う者が悪いのだ、とそう捉えたし、今回の金融危機でもそうだろう。それはとりわけ国家公務員や地方公務員などの職種の人達(とりわけ官僚などの高学歴者)、或いは地方都市に於いて小売商等を経営する人達に於いて顕著に見られる傾向である。
 しかし実際金融システムはそういった大手企業等の株主達だけでなく、大勢の小口投資家達(そちらの方が頭数はずっと多い)によって支えられている。
 しかしにも関わらず実際に世界的規模の金融システムが崩壊の危機に晒されると、途端に政府もそういった小口投資家達の被害は切って捨て、要するに大企業の救済にだけ乗り出す。民主党政権によるJAL救済などもそうであった。
 つまり資本主義システムに於いてとりわけ金融システムはそういった本来なら頭数的に最もそのシステムを支えている人達をいざとなったら切って捨てるという冷酷な合理主義によって支えられているのだ。

 例えば今回イギリスロンドン暴動で、北部エンフィールドのソニー倉庫が暴徒達によって炎上させられても、多くの日本人は仮にそうなったところで、イギリス政府なり、イギリスのソニー関係者達によって賠償責任がなされる、とそう安易に考えるかも知れない。しかしそういった時イギリスのソニーにこそ投資している個人の投資家も必ず日本人も含んでいて、そういった被害に対しては眼を瞑るのである。
 これは昔GNPと言っていたところをGDPへと移行させたところで、国家主義的発想という意味では何ら変わりない。
 本来資本主義は国家レヴェルではなく個人レヴェルで幸福を追求するものであった筈だ。しかし実際に蓋を開けてみると、アメリカでもリーマンショックの時もサブプライムローンとかで結局大勢の低賃金労働者達が辛酸を舐めさせられた。
 つまり自由主義の御旗である個人の幸福追求が何時の間にか、政府直轄的管理ビジネスに於いて四捨五入させられ、弱者切捨て的発想になっているのだ。この点でも官僚や公務員は然程憤慨しない。彼等は国民の税金によって生活が生涯保証されているからである。

 日本のソニー倉庫炎上のニュースと同じことが韓国企業で行われ、それが韓国国内で報道されたとしよう。すると恐らく多くの韓国人は反イギリスデモをして騒ぐであろう。日本では既にウルルン島に入国拒否された自民党議員が三人いて、しかも独島と韓国側から呼ばれる竹島が占領されていても、然程怒り心頭に発しないまでに、そういった意味でのナショナリズムはすっかり白けきっている。しかしにも関わらず個人投資家達の金融危機に於ける悲惨には眼を瞑り、あくまで大企業を救うことだけを考える。
 これは資本主義、自由主義の理念である公平の原理に於いては甚だ矛盾した態度である。

 ライブドアショックの時も、辛酸を舐めさせられたのはあくまで個人の投資家達であった。しかし日本のマスコミはほとぼりが冷めたら、堀江元社長を又テレビに出演させたりした。
 世界同時株安の憂き目に一番大きく遭遇しているのは個人の投資家達である。これだけは間違いない。そして実際理念上では資本主義とはそういった数多くの個人投資家達の苦労と、犠牲の下に例えば政府も、国家も守られているのである。もし彼等が(恐らくバブル期でさえ)信用取引などをして、多額の借財を背負わずに済んだなら、今日の様に数多くの大企業が生延びられなかったであろう。勿論幾つかの大手金融機関は失われた十年の間に倒産もした。
 しかし一部では韓国には未だに残存している個人の内部に燻るナショナリズムは、少なくとも今の日本では希薄である。それはある部分では韓国より日本の方がソフィスティケートされた国民性であるということは言える(韓国では結婚に関しても家柄とか縦の系譜を異様に重視するが故に決して自由ではない)が、同時に個人の幸福より国家全体、政府による大企業優先主義的な救済措置のみを望む体質に関しては韓国や中国の人民による極度のエゴイズムに見習うべき部分はある。

 恐らく領土問題でも尖閣列島にせよ(ここも中国の脅威に晒されている)明確に日本の領土であると主張し中国の覇権を阻止することも出来なければ、北方領土にせよ、今後余程のカリスマティックな政治家が出現しなければ決して戻ってくるということはないだろう。
 日本とアメリカに共通する資本主義社会に対する個人の対処の仕方の弱点は、メジャーな存在を救い、個人が犠牲になることを致し方ないとソフィスティケートされた民主主義的ナショナリズムで変に大人な態度で我慢してしまうところなのである。しかし実態としては大企業内部で多くの責任を取るべき罪悪のある人達を逆に個人を犠牲にすることによって救ってしまっているのだ(韓国だったなら死刑判決が出ても可笑しくない人達である)。この点ではアメリカの十年前の方がずっと進んでいた。かなり大勢の金融家達を刑務所でと送り込んだからだ。今後のアメリカ国内での責任問題に私は注目していきたいが、かなり国内世論も二分していくのではないだろうか?
 又何か報道されたり、分かり次第このことを取り上げていきたい。

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