Tuesday, August 9, 2011

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第六十五章 老いることを許さない社会Part2

 今日本では(外国は一体どうなのだろうかとも思うが)、毎日電車への飛び込み自殺が行われている。毎年三万人以上の自殺者を出し、その数はずっと交通事故死者より上回っている。
 これ等の遠因として私は日本国内にある全ての電子機器メーカーとそれを後押しする政府の施政方針にあるのではないかという考えを抱いている。

 前章では震災時等でも活躍してきたツールの利便性から万人にとって一部のエリートやインテリ達だけが社会の推進役となったり、オピニオンリーダーになったりする時代の終焉からポジティヴな面から現代社会を捉えた。
 しかし今回は逆のアプローチを試みてみよう。

 まず一日の内八時間余りをデスクの前にあるPC端末の経理処理や外部からの情報摂取に追われている業務の人達にとって、より反射神経とPC画面への集中力を求められ、それは次から次へと若くて頭脳明晰な社員を入社させる方針の一般企業にとって恐らく青年世代でもそれ等機器を充分使いこなせる人達は一部であるだろうが、そういったエリートを入社させ、あらゆる業務スピードが劣化してきた年配者員をリタイアさせる方がずっと企業利潤と収益アップの観点からは合理的であろう。
 それは青年世代にはより一部のエリート以外の大半の人達をおちこぼれにして、又年配者にとってはリストラへの恐怖に怯えさせる。
 四十五十となると、肩や腰も疲労がたまりやすくなるし、日々戦々恐々としている人達は大勢いるだろう。そしてそういった人達で友人もいなければ家族もいない人達、或いは家族が居ても家庭内離婚している様な人達が挙って毎日自殺しているのではないか、という想像は尽く。

 Googleのポータルサイトでは画面遷移の時間節約の為に、文字を全部入力しない内にその文字に一番近い有名企業や、多くの人達が検索したい事項へと画面が遷移しやすい様なシステムにもう大分前から移行している。例えば私がある研究者ソニー・クライトン(私のこの文章の為に勝手にでっち上げた名である)という名前をググろうとすると、ソニー(あの有名な企業の)が筆頭の画面に遷移する様になっている。
 これは時間節約の為だけではなく、やはり大企業へと収益が行く様にGoogle自体が取り計らっている証拠である。これは要するに多額の費用を支払っている大企業への配慮からであろう。
 この部分ではGoogleも一企業である以上の存在ではないので、当然個人ユーザーの利便性を無視して、四捨五入的発想で、より大勢の大企業の情報を求めている人達向けの利便性を優先している証拠である。
 そればかりではない。Twitterであれ何であれ多くのツール自体が益々携帯端末、PDA端末、タブレット端末その他のデバイスを併用するユーザーにとってのみ便利な様にどんどんリニューワルされていっている。要するに全ての機器を製造するメーカーの商品への購買意欲をそそる様にのみ改変されていっているという面は否めない。

 今世界をアメリカ国債の暴落によってドル安の波が覆っている。これは中国や日本という巨大な国家全体を揺るがす大事だし、その波は全世界に波及する。やがて中国もバブルは弾けるだろうし、世界はその時経済危機、金融危機に見舞われるだろう。既にその予兆は出始めている。
 大震災によって日本に関係するあらゆる株価が大暴落してきているが、ここに一つの資本主義経済全体が抱える問題点がある。危機対応することに向いている様にシステム全体が作用しない様になっているのだ。
 勿論現代社会は既に完全共産主義へ移行することは不可能である。しかし少なくとも全世界の経済学者達は真剣に危機対応型のシステム改変ということを真剣に考えるべき時期に差し掛かっている。

 自然災害の場合、全ての被害は不可抗力的側面はある(勿論政府対応とかでの人災的側面は否めないものの)が、こと金融システム自体は人工的な社会インフラであり、人間の頭脳による産物である筈である。従ってそれさえもが、自然災害等に対してさえ脆弱であるということは、やはりシステム自体に何処か不備があるとしか思えない。

 先ほどのGoogleのポータルサイト上での改変とは恐らくほんの些細な一現象でしかないだろう。しかしそういった一つ一つの現象が集積され、世界中のシステムの旧態依然が各個人の利便性を損なっているとしたら、この部分での矛盾を解消させる一切の努力なしに、資本主義世界経済の金融システムの改変も不可能なのではないだろうか?
 つまり利便性に於いてはより全てのユーザーに対して平等である様な在り方をまず基本としてニューツールやリニューワルを行っていくべきではないだろうか?

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