Saturday, January 15, 2011

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第四十八章 日本人とnation、日本人の性格・これからの世界・日米関係はどうなる?Part1

 私見では日米同盟とか日米関係とは常に誤解によって育まれてきた。何故なら日本の常識はアメリカでは通用せず、その逆も真なりだからだ。しかし本来理解とか相手に対する把握などというものはそういうものである。それは昔から大勢の哲学者も論じてきたことである。しかし本質的に何が違うのか、を私なりに(私は日本人であるから一日本人から見た日本とアメリカの関係を)考えてみたい。

 まず基本的に日本人は少なくとも欧米流で言うところのnationという理念に対して齟齬を心に抱いている。率直に言って日本人に漲る個人的資質、つまり個人として生活していく心の中での考えとか構えからして、nationの様な合理主義はそぐわない。或いは平均的にはそういうものとして受け取っている様には思えない。これは重要なことだ。
 その顕著な例を古都京都に私は見る。
 京都はご存知の様に古来から様々な為政者達が入れ替わり立ち代り支配してきた。しかしそのいずれの時代の精神をもそれぞれ残されている。例えばこれが中国であるなら一部資料という形以外ではある為政者が失墜した時次代の為政者は前の文化を全て滅ぼそうとするだろう。尤もこれは中国が古来から多民族国家であったから致し方ないのだけれど、日本ではその様なことはなかった。勿論前の為政者が殺されたりということはあったが、基本的には前の時代にあったいいものは残そうという意識はあり続けた。
 しかし同時にそうであるが故にある種の統合され得なさ、つまり曖昧さも常にこの国にはある。
 例えば京都では名刹同士が隣接する名刹に対して隣人であるという意識は希薄だ。例えば禅宗名刹に隣接する名刹が日蓮宗である場合大半の名刹は「内とは無関係です」とそう答えるだろう。これはある意味では京都が相互不干渉主義的な他者共存を不文律としてきたことを表している。
 京都は言ってみれば多文化共存<異文化共存>性のnationならぬ、various culutured, various circles societyと言ってよい。つまり異なった時代に咲いた異なった文化がほどよく共存しつつ、それぞれは自主独立していると考えてよい。
 そしてその精神は日本人全体をも性格づけてきたとも言える。つまり京都にシンボライズされた性格は基本的なところでは、京都ほどの名刹や名庭園のない東京であれ、それ以外の何処であれ日本の都市の一つの性格となっている。要するに改正とか改革とか、構築に対する考え方自体が欧米とは違うという部分は見逃すことが出来ない。それはある部分では生来的資質として日本人の特徴とか性格に帰するし、ある部分では一つの歴史的展開の中から形成された伝統というコードとして捉えることが出来る(従って今後は改変することは可能である)。
 率直に何故日本人が生来的に欧米型nationを受け入れられないのだろうか?
 それは恐らく統率とか統合という原理自体への欧米人との考え方の違いということに帰そう。と言うことはある部分では中国や朝鮮半島とも共有し合える性格としても位置づけられるということだ。
 アジア的考え方としては日本人も又あらゆるものを類縁的に関係づけるという意味では、純粋分析的であったり、純粋個別主義的であったりする様な発想はし難いということは言える。
 そのことを顕著に示す例としては最近NHKで放映された爆笑問題司会の学者を訪ねる番組で、ある古文書研究家の意見では、日本人は情報管理に関して集団とか組織、国家レヴェルでは遅れているが、何時の時代でも個人的には優れていた、ということである。要するに個的な、つまり自分勝手に何かをすることに於いては卓抜な智恵と能力を発揮してきたということだ。
 これは日本人の生来のアウトロー的気質を示している様に私には思える。
 これは恐らく中国人や韓国人にはない資質ではないだろうか?
 もう一つ中国人や韓国人にはない資質がある。それは日本人男性が前章迄も述べてきたのだが、男性支配力、つまり男社会的支配の影に常に女性から評定される優れた男性という尺度が濃厚に反映してきた、ということである。これは卑弥呼とかお江の様なタイプの存在が時々日本史上に登場してきたことからも言えることではないだろうか?
 精神的母系社会と、勝手に私はそれを呼んでいる。実はこの事実が戦後日本から徴兵制を廃止させてきた原動力になっている(それはいい意味でも悪い意味でも)と考えているが、それは後で述べる。
 端的に日本男性は女性にもてない、受けたいという意識が根底では払底出来ないのではないか?
 これはかなり私の主観的な直観であるが故に反論もあるであろう。しかし確かに戦後女性の発言権が増したことがこの一因ではあるものの、それ以前から日本には女流文学的系譜、例えば紫式部とか清少納言の様な平安女流文学系譜は精神的にはその後の日本人に何処か根底で極めて深い溝の様なものとして刻印されてきたのではないだろうか?それは物事を余り白黒つけたくはない、分析的に捉えたくはないという心理となって反映している気が私はする。
 この平安時代には 妻問婚の様なタイプの夫婦形態があったが、その様なタイプの習俗があるのは日本だけだったのではないか?(正確には私にはデータがないから勘違いかも知れないが)
 例えばフランスの自然主義文学の傑作の一つである「女の一生」(モーパッサン)などは、ある意味では極めて男性支配社会が生んだ哀れな女性の姿、つまり女性の側が如何にイケメンであれ社会的地位の高い男性であれ、その心をゲットするかということに血眼になっている女性の姿を基本とした小説ではないだろうか?そこのところを考慮して読むと又違う読み方が出来ると私は思う。
 つまりhusband(ドイツ語起源のハウスバンドから派生した語彙)に象徴される様に我々の社会と違って、女性とはあくまで男性の支配をサポートするべきものであるというモラルは欧米では恐らく日本より圧倒的に強い。と言うことは欧米では日本と比べると圧倒的に女性の側が如何に男性の気を惹くかが問題なのだ。この差は重大である。要するに欧米は精神的父系社会なのである(勿論形式的にもそうである)。
 それに対し日本は全てに対して精神的に調停型文化である。従って管理職者とか管理者の様なタイプの職責に於いて求められている資質とは個性豊かなことではなく、完全に標準的な意味で公平であること、要するにある種決定的に凡庸なる貫禄が求められてきた。その意味では小泉純一郎という人物は例外的なカリスマ性があった。しかしだからこそそれは永続的なカリスマではあり得なかった。
 これは好き嫌いを別として日本史の歴然とした事実である。徳川幕府がかなり長期に渡って支配維持されたことと引き換えに織田信長は短期政権だったではないか!
 日本では大学組織であれ、役所関係の組織であれ、調停型の知性が求められ、重用されてきたことは事実である。勿論ある部分では特殊技能を、例えば現代の様なものづくり系の技術立国である日本ではあるが、それはある意味では全体の調和の中の一種の花であるに過ぎない。日本人全体のモラルとはそういった技術的天才性とは別箇のところにある、という考え方は極めて順当なものではないだろうか?
 ずばり、日本で出世するタイプの人格とは個性豊かなことではない(実は能力的にも人格的にも個性豊かということの判定自体が一番曖昧であり、その点ではアメリカの方がもっと合理主義的に冷徹であろうが、日本では出世しないタイプでもアメリカでは出世しているケースはあるだろうと私は思う。要するに日本ではある種の平凡さが積極的に求められているのである。これは特に公的機関ではそうであると言える)。端的に凡庸なる貫禄保持者である。それは何かに特別ずば抜けて優れていることではない。要するに常にバランスが取れていることである。この点こそ恐らく欧米とも中国、韓国とも違う部分であろう。何故なら日本が技術立国であることの理由の一つも一人の天才によるリードであるよりは、大勢の人達同士の協力体制、そしてそれを引率してきた凡庸なる貫禄によるところが大きいと思えるからである。
 つまりそのことと、競争社会的なfairnessが基本的に精神的に定着し難いというところとは密接に関係があるのではないか?つまり日本人は純粋に人の上の立つことも、人の下に仕えることも極めて苦手な民族なのである。だからこそ戦後も軍事力自体は凄いのに、国家正式の軍隊を自衛隊という呼称で通してきたのである。これは我々日本人の深層に刻みつけられたモラル論的な信念である様に思われる。
 そしてこのことがnationという理念と形式に自己を即応させることを余り潔しとしない日本人の曖昧志向的性格を形作ってきた、とは言えないだろうか?
 欧米の、特にアメリカの個人主義とは端的にnation管轄的な競争原理に基づいている。それは全体主義的なものなのだ。その系譜学的意味合いでは、アメリカには王政はないが、ヨーロッパでは城砦都市的傾向が濃厚な欧州専制君主制に根差すものである。
 しかし日本人が個人主義的である様に思えるのは、端的に全体主義志向からでは決してない。それはある部分では極めて自分勝手なアウトロー性、一匹狼、素浪人的なものなのである。このことは言い過ぎても言い過ぎるということはない。この日本人の性格を素浪人型、或いは一匹狼型ということでアウトロー性と呼ぶことにしよう。
 次回は今後の日本の在り方自体を考慮に入れて、戦後社会から形成された日本社会の問題点を、アメリカ社会とアメリカ人の性格との対比で考えていってみたい。

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