Thursday, January 6, 2011

〔トラフィック・モメント第二幕〕記述と構え 第四十三章 アカデミズムと反アカデミズムによる精神的反転現象に就いて 

 世の中には数多くのアカデミズムがあるとされる。その一つが政治の世界であり、与党があり野党がある。与党がアカデミズムとなって野党にとっては立ちはだかっている。同じ様に経済社会でもそういった関係はある。古くから一流企業とされる会社と、それを追いかけてきた新興企業の会社群がある。
 学問の世界では学界があり、その中に諸学会があり、学会に対抗して有志の研究会が沢山ある。
 何の世界でも最初に名声を獲得して業績、実績を積み一流とされたものがアカデミズムと見做される。そこまで行っていない存在は自らを反逆児と名乗ったり、アウトロー性を主張したりしてアカデミズムの向こうを張る。これは定石である。我こそはと名乗りを上げること自体が既にアカデミズムの中にはいられないぞという表明であり、アカデミズムとされる当の存在では各成員は我こそはと名乗りを上げずに済んでいる。何故なら自分達がしてきていることに疑いはないし、今迄通りしていけばよいと、これからのことに就いて不安を持たずにいるからだ。
 一方反アカデミズムはそうはいかない。そもそも「あそこなら大丈夫」というお墨付きを得ていないものだから、一回一回の会合で実績を上げていきたいという野望が常にトグロを巻いている。
 気負いは反アカデミズムを自称する成員に特に見られることはこの点では仕方がない。実績を上げることで、これ迄一流とされてきた群に対して対抗し、我こそが一流であると見做されたいからだ。
 しかしその気負いがやがて反アカデミズムの砦を守ってきた者に独裁的地位を与え、そこに最初は小さな、しかし次第に巨大化していくヒエラルキーを生じさせる。
 一方最初にアカデミズムと見做された群では然程気負いがないが為に特別な進化もない代わりに、意外と心の余裕だけはある。そして他と自分達を比較するというピアプレッシャーからは常に解放されている。
 これは先進国と発展途上国、資本主義と共産主義の関係でも言えたことだし、あらゆる壇、閥、学界にも見られた現象である。
 アカデミズムと最初に見做された群の人達はあらゆる世界からの注視を得て、あらゆる批判と評定を下されてきている。一方反アカデミズムはアカデミズムに対する批判の急先鋒ではあるし、一番良質のアカデミズム批判者足り得るも、では自分達の活動全般を外部から批判に晒されるという経験を持たずに来ている。その為に先ほど言った様な砦を守ってきた番人による独裁制と、ヒエラルキーが固定化された状態を作りやすく、急進的ではあるが、気負いに満ちて、結局心静かに何かに取り組むということがなく、何時迄経っても、忙しない心の状態で綱渡り的に活動していくことになる。
 従って賢い生き方とは何の世界でも、外部に常に批判者とか評定者を大勢作る様に自分自身を持っていき、自分自身は批判とか批評とか評定の蚊帳の外にいられる様に仕向けることだ。そして本当に外部に対しても内部に対しても言いたいことがある時のみ、適切に発言してその発言の質的な純度から、更なる尊敬を外部からも内部からも得る様にすることである。
 だからこそ最初に静かにアカデミズムと見做される様に自身を持っていき、誰からも勝者であると納得させられれば、敢えて勝ち名乗りをせずとも全ては順調にことは運ぶ。そしてそのメソッドを反アカデミズムの人達もまた本当は採用したい。しかしそれをすれば二番煎じになってしまう。従って何かを変えなければいけない。しかし最初に敢えて勝ち名乗りをせずに世間から認可されてしまった人達の様に自然に自身の能力を自負することが出来ない。ここに反アカデミズムの人達の群にとっての厳しさがある。
 だから敢えて余り気負い込まず、寧ろ反という意識、アンチ意識を持たずに好きなことだけをしていこうという生き方(本当はこれが一番難しい)さえ出来れば最初にアカデミズムと認可された群とは又別箇の価値として認められていくことだろう。それは結局別のアカデミズムになれれば、それが一番いいということなのだ。しかし多くの反アカデミズムは最初はアカデミズムと見做された人達の群並びにその組織とか集団にある種の敬意を抱き、憧れることによって結成されているのだ。それが一つ大きなネックになってしまっているのである。最初から全く別の生き方をしようという決意は、既に最初に敢えて勝ち名乗りを上げずに周囲から認可されてしまった人達に対する意識以外ではない。従って最初にアカデミズムであるとされた人達の群を全く知らずに好きな様に何事かを運営されていけば、それが理想である。
 しかし必ず情報は知らないままで始めた人達にも伝わる。そして自分達の好きな様にしてきた状態に不穏な空気が流れる。そして外部から影響を受けてしまう。それはまさにキューバには既にインディオの子孫が殆どいないということが、外部から遮断されてきた孤島であった為に白人入植者達から疫病を感染してしまい、死に絶えたことに近いことがここでも起きる。結局キューバでは白人入植者達とアフリカ系黒人の奴隷の子孫達による混成国家となっていったのだが、どんな集団でも外部からの情報に対して免疫のない状態からは、必ず情報による感染をしてしまい、混乱していってしまう。しかし最初に外部へと情報を発信する立場にある人達は彼等に届く情報全体が、まず自分達の群の存在を認可した人達ばかりであるから、それは良心的な批評であり評定であり、如何に残酷な通達であってさえ、それは自分達の生存に寄与するものである。
 しかし反アカデミズムの人達にとってはそうではない。彼等は絶えず自分達のしてきたことを自己反省せざるを得ず、その評定自体を外部から得ることは至難の業である。何故なら彼等自身が常に痛烈なるアカデミズムへの批判者であるが為に、批判者に対する批判とは多くの人達にとって、それがアカデミズムの人達であれ、その外部にいる傍観者達であれ、かなり億劫なことなのである。あくまで批判とか評定とか批評といった事は、まず存在が認められた人達にしか容易には与えられないのである。ここに反アカデミズムの人達の活動の質を維持する為に払われる非情なる辛さがある。
 結局反アカデミズムは一番アカデミズムであった存在の悪い部分に習い何時迄経ってもアカデミズム色から抜けきれず、逆に最初にアカデミズムと見做された人達の群は常に新陳代謝して、外部からは批判、批評、評定を多く得て、一番適切な意見を取捨選択出来て、何時迄も安泰でいられる、という寸法である。
 これはあらゆる集団、組織の伝統的な地位維持に於ける真理である。つまり常に反アカデミズムは際立って天才性が、そのレゾン・デ・トル獲得の為には必要なのである。そしてその天才性とは自己批判し得る力量と能力、自己裁定の厳しさ、そして何よりも柔軟性、固定化されたヒエラルキーを構築していってしまわぬ様に常に心がけていくことである。しかしそれは経済力も資金力も乏しい彼等には極めて困難なことなのである。そして彼等は当初は確かに若い集団であるが、小さな集団であればこそ勢いもあったが、やがて老いていく。従って完全なる革命行為に成功して、自らが前アカデミズムを崩壊させることに成功しない限り、それはやがては別の反アカデミズムの波に呑み込まれ自沈し瓦解していく運命にあるのである。
 そして最初に敢えて勝ち名乗りを上げずに済んできた人達の群は何時迄経っても安泰であり、巧く程よく新陳代謝していくことになるのである。そして彼等自身が天動説論者でない限りは、それは反アカデミズムよりは常に得な地位にあるのだ。つまり損を敢えて背負い込まぬという知恵者こそがまず敢えて勝ち名乗りをせずに周囲から自然と勝利を承認される、ということ自体が一つの集団や組織が維持されていく最大の条件なのである。
 そしてその様な存在になる為の心得とは、そういった心得など一切関心を持たないことであり、そもそもアカデミズムに対する疑問を抱かずに好きな様にやるということ以外ではないのである。何かに対して意識するということ自体が既にある他者をアカデミズムにして、自己を反アカデミズムにすることに直結する。傍観者であり続けるのなら未だよい。彼等にはそもそもアカデミズムも反アカデミズムもないからだ。しかしまずある存在をアカデミズムと容認してしまう立場に立つ人達こそ、最初に反アカデミズムに自己を追い込みやすい、とは言える。自然形成されていくアカデミズムがあるとすれば、その自然形成に不満を抱く存在こそ最初の反アカデミズム主義者になっていってしまうのである。
 従って自分自身で自分の存在を規定するというスタンスを最初に採る者こそ最初の反アカデミズム主義者なのである。だから先ほどの真理に結局立ち戻る。自分で自分を評定しないで、絶えず外部から自分を評定して貰う様に持っていける者こそが最初にアカデミズム的存在になり得るというわけだ。そしてそう見做されると、それは巧く周囲に溶け込み次第にアメーバの様ではあるが、かなり長期に渡って組織とか集団というレヴェルでは維持されていく、ということなのである。それは得を自然に受け入れるという心持によってのみ実現されていくことなのかも知れない。
 或いはこうも言えるかも知れない。相手に対する思い込みが相手への思い込み自体に自己を追い込み、そう思い込まれる立場を益々有利にしていく(相手とはそう思い込まれるほどの気負いも悪智恵もないのが内実である)、ということが思い込み者としての反アカデミズムと思い込まれ者としてのアカデミズムの間にはある、ということが一つの真理であるとは言えるかも知れない。

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